*4.別れ
**
翌日の学校では、寿の態度は全く普通だった。
怒ってくるわけでもなく、親しく話しかけてくるわけでもなく。
いたって普通。
付き合ってからも、特に学校で必要以上に話さない私たち。
怖いくらいにいつもと同じ距離感に私はこっそり身震いした。
一緒にお昼を食べているメンバーの梓ちゃん、上村さん、木本さん、ももちゃんには悪いけど、実技の練習のときからお昼ご飯は美紀と一緒に別行動をしていた。
ももちゃんの行動が信じられなくて、変に勘ぐってしまうくらいなら。
こっそりと距離をおくことにしたのだった。
花火大会のあとから、ももちゃんの様子も何となくチェックしてしまっているけど、こちらもいたって今まで通り。
学科の男の子たちとも仲良さそうなところは見ないし、寿とも何かあるようには見えない。
私が見たメッセージや光景は間違いだったのだろうか。
その後、試験期間中に寿が私の家に押しかけてくることはなかった。
気を付けていた駐車場では、寿が時間をずらしていたのか、私が時間をずらしていたのか。
接触することはなかった。
試験最終日の金曜日。
寿に『明日話がしたい』とメッセージを送り、近くのファミレスで会う約束を取り付けた。
試験が終わると、そのままめいちゃんのお迎えに向かった。
残暑が残る夕方の保育園。
園児たちは、やっぱり元気に園庭を走っていた。
「めーいちゃん。
帰ろう~」
砂場でお山を作っているめいちゃんに声をかける。
公輝先生と他の園児たちが一緒になって大きな山を作っていた。
「ちょっとまって~」
そう言うと、めいちゃんはお山の下を掘り出した。
向こう側から公輝先生が掘っている。
「さわこちゃん、ちょっと待っててあげて~
もうじき完成だから~」
「あー!!
トンネルつながったよー」
大喜びのめいちゃん。他の園児たちも一緒に喜んでいる。
ちゃんと完成されたトンネル初めて見たかも。
ちょっと感動。
「さーちゃん、て、いれる?」
キラキラしたお目目のめいちゃんが出来立てのトンネルを指して勧めてくる。
「いいの?」
「うん!」
トンネルの向こう側では、公輝先生も呼んでいた。
笑顔のめいちゃんのお言葉に甘えて、トンネルに手を入れる。
砂の感触が伝わってくる、と思ったら公輝先生に手を掴まれた。
「きゃっ」
びっくりして手を引っ込めると、公輝先生がいたずらっ子のように笑った。
私の驚き具合を見て、めいちゃんもトンネルに手を入れたがる。
手を入れためいちゃんの手をくすぐる公輝先生。
きゃーきゃー喜ぶめいちゃんにつられて、他の子どもたちも順番でトンネルに手を入れる。
ひとしきり遊んで満足しためいちゃんはカバンを取りに園舎へ入っていった。
靴箱のすぐ上にあるクラスごとの掲示板を確認しながらめいちゃんを待つ。
年長さん組は、今日は運動会の練習をした様子が書かれていた。
プールが終わったと思ったら、運動会か。
掲示を見ていると、とんとん、と右肩を軽く叩かれる。
びっくりして右側を振り向くと。
ほっぺに指が刺さった。
「……勇二先生」
「はは、ひっかかった」
勇二先生はいたずらっ子のように笑った。
デジャブか。
「も~、さっきは公輝先生で、今度は勇二先生か」
がっくり、と肩を落とす。
「何、公輝?何かあった?」
「…さっき、砂場でいたずらされたんです。
てか、先生は今からお帰りですか?」
ジャージ姿の勇二先生は、大きなリュックを背負っていた。
「おう。
今日は早番。明日は休み。
あれから、彼氏は大丈夫?」
「……まあ、はい」
「そっか。何かあったらいつでも言って。
じゃあ、俺帰るから。おつかれ~」
靴を履き替えた勇二先生は私に手を降ると帰っていった。
心配してくれている勇二先生に感謝しつつ、
そのあと、私もめいちゃんと一緒に帰宅した。
「さーちゃん、あいすたべたーい」
晩ごはんを食べ終えためいちゃんが冷凍庫を開ける。
めいちゃんが来る日は大好物のアイスを入れておくんだけど。
今回はうっかりして忘れていた。
「ごめん、アイスないね。
買いに行こうか」
今夜は、母も父もお義兄さんも夜勤が重なってしまい、相変わらず、自分のことで手一杯のお姉ちゃんをみかねて、めいちゃんのお泊りを引き受けた。
明日のお昼に実家へ送っていく予定だ。
夜もそこまで寒くないし、今ある布団でも大丈夫でしょ。
お着替えだけあればなんとかなるかな。
そう思って、実家から着替えだけ預かってきたのだった。
夜7時半。
外はすっかり暗くなり、少し肌寒い。
薄い上着を羽織り、二人で歩いて5分のコンビニへ向かう。
めいちゃんは、夜のお散歩が珍しいのか、ずーっとおしゃべりをしていた。
帰宅すると、駐輪場に人影が見えた。
一瞬、寿がまた来たのかと思い身構える。
人影が声をかけてきた。
「どこ行ってたの?コンビニ?」
勇二先生だった。
タバコを携帯灰皿に捨て、こちらにやってくる。
「めいちゃんも一緒だったのか。
行くなら声かけてくれればよかったのに。
もう暗いしさ、危ないじゃん」
勇二先生はめいちゃんの頭を軽くなでると、自分の家へ入っていった。
買ってきたアイスを冷凍庫へ閉まっていると、呼び鈴が鳴った。
玄関を開けると、勇二先生が花火を持っていた。
「もらったのがあるんだけど、やる?」
線香花火、30本。
「なんで、線香花火オンリー?」
「……この前、公輝が酔った勢いで買ってきたんだよ。
で、やらずにうちにあったから。
今日めいちゃんいるならちょうどいいかと思って持ってきた」
思わず笑ってしまうと、後ろからめいちゃんがのぞき込んできた。
「ユージせんせい、なにもってるの?
はなび?」
「そうそう。
一緒にやりませんか?お嬢様」
「わーい!やるー。
はなび、だいすき」
めいちゃんはサンダルを履くと玄関ではしゃいでいた。
勇二先生はめいちゃんに、しー、と人差し指を立てて、こっそり囁いた。
「夜だから静かにやろうね。
保育園のお友達には内緒だよ」
「はーい」
めいちゃんもこっそり返事をする。
私はバケツを用意して外へ出た。
「勇二先生。
花火、ありがとうございます」
私もこっそり囁いた。
「いいよ、今度、公輝にもお礼言ってやって」
「はい」
線香花火に火を付ける。
火が付いた花火をめいちゃんに渡す。
「きれいだね~」
めいちゃんが嬉しそうに声をあげる。
花火の先端はほんのり赤くなり、
丸くなった火の玉は火花を散らし、
やがて
ポトリと、落ちた。
私は、
明日のことを考えながら、
儚く落ちる火の玉を見ていた。
**
約束の時間5分前。
すっかり暗くなった外では、静かに雨が降っていた。
テーブルを挟んで寿と向かい合っていた。
「何頼む?」
「あ、テストどうだった?」
「この前は突然押しかけてごめん」
とりとめのないことを話しかけてくる。
私は黙って聞いていた。
やがて、注文したコーヒーが2つ。
二人の前に置かれた。
「さわこはコーヒーに砂糖いれるよね。
いくつだっけ?」
砂糖を入れようとしてくる寿を遮る。
「砂糖はいらない。
それより……」
じっ、と寿の顔を見る。
瞳の中に私が映る。
「……別れよう」
瞳が揺れた。
「何で!」
「知ってるよ。
ももちゃんと浮気してるんでしょ?」
動揺する寿に
冷静な私。
「ち、ちがう」
「部屋に出入りしてるっていうのも友達から聞いたよ」
決定的な浮気の証拠はないけど、黒いモヤモヤに支配されたあの日から考えていた。
私はできるだけ感情的にならないように、静かに話した。
「カタギリ君の家でゲームをやってるときにももちゃんが来たの?
そこから仲良くなったの?」
寿が小さく頷く。
「……それは、
岸田さんもゲームが好きで、話が合ったんだよ。
さわこ、いつも忙しそうだったし、あんまり会えなくて……」
寂しくて浮気をした、と認めた。
私は夏休みに入る直前のことを思い出していた。
あの時は、二人で乗り越えられると思っていたけれど、それは違ったみたい。
目頭が熱くなるのが分かった。
私は、泣かないようにしっかりと顔をあげると
「……分かった。
寂しい思いをさせてごめん。
じゃあ、さよなら」
泣き声にならないうちに、伝票を持って席を立った。
お会計を済ませ、外へ出る。
いつの間にか、雨足が強くなっていた。
私の顔は濡れていた。
**
昨日の雨が嘘のように晴れている、日曜日。
めずらしく1日バイトがない。
こんな日はいつも寿と会っていたけど、
もうその必要はなくなった。
昨日、泣いたせいで目は腫れ、顔は浮腫んでいた。
……酷い顔。
スマホに映る自分の顔を見て、落胆する。
時間を確認すると、まだ10時だった。
布団をかぶり直した私は、もう一度寝よう、と目を瞑る。
すると、昨日から頭に蘇る記憶がまたも襲ってくる。
専門学校の入学式で寿に会って、同じ高校の人がいる、と驚いたこと。
不思議なことに、お互い進学先は知らなかった。高校では同じクラスだったのにね。
タイプが違ったし、話したことはなかった。
入学式のあと、話してみて意気投合。
夏休みには、高校のときの友人を交えて遊んだこともあった。
去年の今頃は、二人で遊びに行く仲になってて、何回目かのデートで真剣に告白されて、付き合うことになった。
……それが、どうして。
寿との楽しい思い出が浮かんでは消える。
その度に私の頬を涙が伝う。
別れを告げると決めた時には、確かに寿への気持ちは冷めていた。
でも。
いざ別れると、楽しかった思い出が押し寄せてきて、懐かしくなってしまう。
つい、後ろを振り返ってしまう。
気持ちが弱っていることを自覚する。
と、
そこへ。
メッセージの受信音が響いた。
明るい音に微かな振動。
美紀からだった。
ピンポーン
チャイムが鳴り、玄関を開けると美紀が買い物袋を持って立っていた。
花柄のかわいいマイバッグ。
中にはチューハイやおつまみ、ポテチにチョコレート。
「さあ、飲もうぜぃ」
にっこり笑う美紀につられて笑う。
「……ありがとう。
どうぞ」
と玄関を大きく開け、美紀を招く。
すると後ろから。
「おっじゃましま~す」
元気に公輝先生も入ってきた。
「いやいやいや、なぜ?」
すかさず、家の中に侵入するのを止める。
私の防御もむなしく。
するりと家の中に入り、手荒いうがいをする。
「さあ、さわこちゃん!
飲むよ!」
めっちゃいい笑顔の公輝先生に手招きされる。
ここ、私の家だし……
「……さっきそこで合ったの。二人で飲むのバレちゃったよ。ごめん」
こそっと囁くと、美紀は買ってきたものを部屋の真ん中にあるテーブルに並べる。
ビールを渡しながら、
「で、公輝先生は何でここにいるんですか」
美紀が質問をする。
「え~、さっきパチンコで負けちゃって(笑)
まっつんに晩ごはん食べさせてもらおうと思って来たらさ~、
美紀ちゃんに飲み会って聞いたからついてきちゃった」
えへ、と笑ってビールを飲む公輝先生。
「お邪魔しちゃってごめんね~。
ごはん食べたら帰るから、ね?」
そう言いながらつまみをつまむ。
「会費!
会費だしてくれたらいてもいいですよ」
美紀がニッコリ笑って手を出す。
「え~、
もう手持ちがないんだよね……
!!
ちょっと待ってて」
何か閃いた公輝先生は、一旦外へ出ていった。
美紀と顔を見合わせて笑う。。
「……帰った?」
「さあ?
とりあえず、飲もっか」
「そうだね」
ビールの美紀と、チューハイの私。
乾杯をして、一口。
「で、ちゃんと別れられたの?」
美紀にいきなり本題を切り出される。
つまみに伸ばしていた手が一瞬止まる。
「うん、まあ……。
ももちゃんとの浮気も認めたし」
「……そっか。
まあ、飲もう飲もう!
そして次に進もう!!」
明るくテンションを上げる美紀。
「ありがとう」
「いいってことよ」
美紀がいてくれて良かった。
さっきまで泣いていたのに、少し心が軽くなる。
二人で2回目の乾杯をした。
2回目の乾杯をした直後。
玄関が開いて、公輝先生が戻ってきた。
「はい、会費~
じゃあ、いただきま~す!」
美紀にお金を渡し、ビールを飲む。
からあげに手を付けた時、勇二先生もやってきた。
「……おじゃまします。
公輝、帰るぞ。飲むならうちでいいだろ」
ベシッ、と公輝先生の頭をはたいてから、私の顔を見た。
「お友達と飲んでるときにごめんね。
このバカすぐ連れて帰るから」
そう言うと勇二先生は公輝先生のビールを取り上げる。
「あーー!
オレは女の子と飲みたいの~
会費払ったから大丈夫なの~」
「はいはい、帰るぞ」
「あの!」
帰ろうと格闘している先生たちを止めたのは美紀だった。
「みんなで飲んだ方が楽しいし!
一緒に飲みましょう」
「ほら~
美紀ちゃんもこう言ってくれてるじゃん」
勝ち誇ったような公輝先生は、ビールを取り返すと美紀の隣に座った。
「……じゃあ、
いい?」
遠慮がちに聞く勇二先生に、美紀がにっこり。
「大丈夫です!
ビールでいいですか?
あ、私さわこの友達の美紀です。
勇二先生ですよね?お噂はさわこから聞いてます~」
しゃべりながらテキパキとビールを出し、つまみをお皿に盛り勇二先生の前に出す。公輝先生にもつまみやお菓子を取り分けて渡す。
美紀からビールを受け取った勇二先生の目が「噂、って何?」と言っている。
「メダル作るの手伝ったこととか話したからかな」
ふふ、と笑ってごまかしておく。
全員飲み物を持ったところで、今度は公輝先生が乾杯の音頭をとった。
「でさ~、オレとまっつんは大学からの付き合いなんだよ~
卒業して何年?
同じ保育園で働くのは初めてだよね~」
酔った公輝先生が美紀に絡んでいる。
話の内容は主に勇二先生との馴れ初めらしい。
対抗して美紀も私との出会いを公輝先生に話している。
「私とさわこの出会いは専門の入学式だったよね~
名前順で座ってて、吉田と湯木で前後で座ってたんだよね」
「そうだったね」
と相槌を打っておく。
盛り上がる美紀と公輝先生。
「あ、先生。タッパー返さなきゃだった」
スイカをもらった時に借りたタッパーを返していなかったことを思い出す。
タッパーをキッチンへ取りに行くと、勇二先生もついてきて、そのまま外へ連れ出された。
美紀と公輝先生の話題はどのお菓子が美味しいか、に移っていて、
私たちが外へ出たことに気づいていない様子。
勇二先生は私からタッパーを受け取ると、一度家へ入り、今度はタバコを持ってきた。
駐輪場前のいつもの定位置でタバコに火を付けている勇二先生に話しかける。
「……先生、お休みの日にすみません」
「ああ、大丈夫。
こっちこそ、友達といるときに悪かったね。」
火の付いたタバコを口に加える。
「ううん、
今日は美紀と二人で失恋パーティーだったの」
私の言葉に目を見張る、勇二先生。
携帯灰皿に仕舞われるタバコ。
「……彼氏と別れました。」
俯くと、勇二先生の大きな手が私の頭を包み込む。
ポンポンと軽く叩くと、そのまま引寄せられる。
ふんわりとタバコの匂いに交じって、勇二先生の心臓の音が聞こえる。
予想外の出来事に私の心臓もドキドキしているのが聞こえる。
「まあ、そういうときもあるさ。
若いんだから次行け、次」
そう言って、また優しく頭を撫でる。
びっくりするくらい優しい表情に、ドキンと胸が鳴る。
「若いんだからって……
そんなに年、変わらないでしょ?」
勇二先生の、若いんだから、発言に思わず笑いが溢れる。
「……変わるだろ。
俺27、で、さーちゃんは?」
「20」
ガクーっと勇二先生が脱力する。
「変わるじゃん。
俺が小学校入学したときに産まれてるじゃん」
「そう言われるとそうだけど……
私、お姉ちゃんとは12歳離れてるからなぁ」
7歳差ならそんなに離れてないんじゃないかと思ってしまう。
ちなみにお義兄さんとお姉ちゃんは10歳離れている。
うーん、と考えている私に先生が笑いかける。
「よし!
傷心のさーちゃんが元気になるように、お兄さんがお出掛けに連れていってあげよう」
そう言ってスマホの予定を確認している。
「明後日、学校あるの?
なければその日ね。」
「え、と……
試験結果が明日分かるから、追試がなければ明後日はお休みですかね」
傷心……は大分薄らいできたけど。
どこかに連れていってくれるなら、気晴らしに誘いに乗ってみようかな。
「了解。
結果分かったら連絡して。
じゃあ、飲みに戻るべ」
そう言って私の部屋へ向かう勇二先生。
慌てて後を追う私。
部屋では、美紀と公輝先生のお菓子談義が続いていた。




