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第7話 所有物の定義

 莉子は困っていた。目の前には、女子生徒が数人、莉子を取り囲むように並んでいる。


「神城様と如月様に媚びて、どういうつもりかしら」

「この前は、如月様の手を握っていたわ。どんな手を使ったの?」

「庶民のくせに学園へ入学できたのも、裏があるんでしょ」

「あら、汚らわしいこと!」


 女子の嫉妬は恐ろしい。誤解が嫉妬を生み、嫉妬が言葉の暴力になり相手を傷つける。その傲慢さに彼女たちは気づいていないのだろうか。


「……」


 莉子はなにも言えなかった。契約を交わした以上、メイドのことはバレてはいけない。下手に弁解して怪しまれるより、「下品な女」として嫉妬の種になっていた方がマシだった。


「何か言ったらどうなの? 私たちを無視するわけ?」


 女子生徒の一人が、苛ついた様子で莉子の髪の毛を引っ張った。


「いっ……」


 それでも何も言わない莉子に痺れを切らしたのか、取り巻きの女子生徒に何かを耳打ちすると、冷笑するように莉子を見下ろした。


「ねえ、なんだか匂わなくて?」

「ほんとね、汚らわしい庶民の匂いじゃない?」

「やだ、可哀想に。綺麗にして差し上げないと」


 バシャン、と頭からバケツいっぱいの水がかけられた。冷たい水が制服に染み込んでいく。


「あら、うっかり手が滑ってしまいましたわ。ごめんなさい。でも、綺麗になったじゃないの」


 女子生徒たちは満足したのか、笑いながら校舎へ戻っていった。


 (……大丈夫、耐えて、私……)


 莉子は歯を食いしばると、いつもの小さな広間に駆け込んだ。ここは日当たりがいいため、冷えた身体を日光が温めてくれる。制服のスカートの裾を絞って水気を切る。しかし、バケツ一杯分の水がそれで追いつくわけもない。


 (着替え、持ってくればよかった)


 泣きそうになるのを堪えて、莉子はベンチに座った。噴水の方をみる。――今日は蓮巳はいない。


 莉子は諦めたように空を見上げると、綺麗な雲がゆっくりと風に吹かれて泳いでいた。あんなふうに自由になれたらな、といつになく感傷的な気分になる。


 ふと、視界が白く染まった。タオルのような柔らかな感触が、顔に触れる。


「馬鹿か、お前」


 驚いて声の方に顔を向けると、顔にかかっていたタオルが膝の上に落ちた。代わりに、如月の綺麗な顔が目の前にある。


「ひっ……!」

「お前……俺のこと幽霊とでも言いたいのか?」


 如月は不服そうに膝に落ちたタオルを手に取ると、再び莉子の顔に投げつけた。


「……風邪でも引かれるとこっちが困るんだよ」


 それだけ言い残し、如月は広間を立ち去った。しばらくの間、莉子の顔にはタオルが張り付いたままで、如月の思いがけない優しさを受け入れるのに、時間がかかったのは彼には内緒だ。





「このタオル、私が洗濯したのに、詠一様の香りがする……って、私気持ち悪い!」


 莉子はタオルで身体を拭きながら、自分の言葉に猛省した。でも、不思議と柔軟剤ではない、柔らかな香りがして、どことなく安堵を覚えた。


 制服はまだ湿っていたけれど、ある程度乾いたので校舎へ戻ることにした。広間から校舎までの道すがら、誰とも会わなかったのが救いだ、と思いながら歩いていると、校舎の裏、草むらの影から人の気配がした。


 振り返ると、草むらから出てきた手に腕を掴まれた。


「きゃっ!」

「おい、静かにしろ!」


 腕を引っ張られそうになった瞬間、莉子は咄嗟に握られた左手の五指を開き、一歩前に出て鍵手を作ると、手首を回転させて小指側面で相手の腕を押しやった。そのまま、相手の手首を掴んで縛り上げる。


「いててて、なんだよお前! 痛え!」

「わっ、すみません!」


 ハッとして男の手首を離す。莉子は咄嗟に出た自分の護身術の巧みさに驚いた。過去に護身術など覚えた記憶はない。そういう知識には疎く、腕力も自分にはないと思っていた。


 (いま、身体が勝手に動いた……どうして……?)


 目の前では、知らない男子生徒が莉子に掴まれて赤くなった腕を押さえている。


「クソッ、調子乗んなよ」


 血走った男子生徒の目に、恐怖を覚えた。逃げようとしたところを、制服のジャケットを無造作に引っ張られる。


「……っやめて! 離して!」

「お前、あいつの言うことしか聞かないんだな。神城にばっか従って、なんか理由でもあるのか? ……教えろよ」


 乱暴な力に、身動きが取れない。男子生徒が莉子の頭に手を伸ばそうとしたが、莉子は恐怖で身体を動かせなくなっていた。

 

「ハッ、やっぱりあの噂ってマジだっ――」


 男子生徒が言葉を言い終える前に、莉子の制服を引っ張っていた力が解ける。

 目の前には、今までに見たことのない形相の神城が、男子生徒の胸ぐらを掴んでいた。


「ヒィッ!」

「おい、誰の許可でこんなことをしてる」


 ギラつく黄色の瞳。男子生徒が怯えて逃げようとすると、神城は相手の腕を掴んで地面にねじ伏せた。神城の拳が大きく振りかぶりそうになる。


「やめてください……! それ以上は……!」


 莉子は必死に神城の体にしがみついた。


「……は? なに言ってんの? こいつにはこれくらいの罰は必要だろ?」


 神城の目は本気だった。莉子は思わず身体がすくむ。


「ご、ごめんなさい……私、私のせいで……ごめん、なさい……」


 莉子は先ほどまでの恐怖と、神城に怯える男子生徒、見たことのない神城の言動と、それをさせてしまった自分への罪悪感で胸がいっぱいだった。


 神城は莉子の濡れた制服を見るやいなや、強引に莉子を抱きかかえ立ち上がった。何も言わずにそのまま学園を後にする。


「うっ、うっ……」


 莉子の泣き声だけが神城の耳元に響いていた。





「んで、いつまで泣いてる」


 莉子は神城の部屋で正座をしたまま泣き喚いていた。神城はソファで莉子を見下ろすように、胡座をかいている。

 

「はぁ、お前さ、なんで俺以外の奴に命令されてるわけ? 喧嘩売ってんの?」

「うっ、ごめんなさい。助けてくださり、ありがとう、ございました。うっ……」


 神城は呆れたようにソファから立ち上がると、莉子の手に握られたタオルを取り上げた。


「これ、俺のじゃない。メイドはこんな上質なタオルを使わない。……誰からもらった?」


 その言葉に、ぞっと身体がこわばった。


「紅茶と菓子」


 木曜日の夜。メイド部屋の前に届いたものだ。

 莉子の顔が青ざめる。


「お前は俺のものなんだよ。なんでわからない? もう、誰にも近づけさせないようにするしかないのか……?」


 莉子の涙がぴたりと止んだ。身体が硬直する。

 こちらに一歩、また一歩と歩み寄る神城の姿に、莉子は言葉を失う。今までにない震えが身体を蝕む。呼吸が乱れ、回数が増える。息継ぎができない。次第に意識が遠のきーープツン、と記憶が途切れた。




 

 神城は、自分のベッドで休ませている莉子の頬を撫でた。涙の乾いた跡が残っている。寝ているのに怯えた顔をしている莉子に、苛立つ。濡れた制服は脱がして、部屋着に着替えさせた。もっとも、莉子の着替えがどこにあるかは知らないので、神城の寝巻きだ。


 神城が近づこうとすると、拒絶してこうなる。でも、見ていないと誰かが莉子を支配しようとする。


「クソッ」


 神城は莉子の持っていたタオルを壁へ投げ捨てると、莉子の頬を軽くつねる。それでも起きない。

 抑えきれない苛立ちと焦燥感が、神城の胸に這い上がっていた。


「……俺の莉子に、触れるな」


 神城は静かに自室の鍵を閉めた。





 ――観察対象 No.417

状況:学園内における三重外的圧力

命令適応反応:138%(無意識的従属傾向強化)

感情変動:羞恥 68% → 恐怖 91% → 拒絶反応 → 解離傾向

記憶封鎖率:94.6%(危機的状況時に解除傾向あり)

身体反応:条件反射型防衛行動(旧データと一致)


「襲撃時の反応が鈍っている。危機管理が足りない。もう一度、叩き込ませる必要あり」



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