第24話 独裁者の元で
中庭のラベンダー畑を抜けると、背の高い男が足を止めた。
「私に何か用ですか。さっきからずっと後を付けていますよね、天海朔くん」
男は振り返ると、眼鏡を人差し指で持ち上げる。知的で神経質そうな印象を与える動作だった。
天海はポケットに手を入れたまま、木陰からゆっくりと現れた。レンガ道を踏み締めると、その男ーー紫鷹に近づく。
「あんたに天海くんなんて呼ばれる筋合いはないね。気持ち悪い。その喋り方もやめたら? 似合ってないよ」
足元の小石を軽く蹴る。紫鷹の革靴にコツンと当たった。紫鷹は一ミリたりとも動くことなく、天海を見つめている。その表情すら無表情で、何を考えているのか全く読めない。
「教師に対して、その口の聞き方はいけませんね。……きちんと立場をわからせる必要がある」
紫鷹は声色を変えると、一歩、天海に近づく。
「ふん、なにが教師だ。五大財閥総合情報機関諜報部特殊課の孤高のエース。つまり、この国の優秀なスパイさん。相方の南雲が怒ってたよ。そんなエリートさんが他の仕事を放ってまで、うちのメイドに何か用?」
「あぁ、君は確か私たちの研究部署にも協力してくれているんだったな。天海財閥の取締役には感謝している。立ち話もなんだ、私室が近くにある。そこへ来るといい」
「は? 誰があんたの部屋なんか行くわけ」
「ここでは他の生徒に聞かれてしまうリスクがある。メイドのことについて、教えて欲しいのだろう」
紫鷹の刺々しい態度に天海は舌打ちすると、背を向けて歩き出した紫鷹の後を追った。
*
「で、どういうつもりで教師のフリなんかしてるわけ?」
天海が木の椅子へ乱雑に座ると、ギィッと音を立てて椅子の足が軋んだ。
中庭を抜けた先、校舎の一角に小屋があった。木々が隠すようにして周囲を覆っている。小屋の真ん中に、椅子と小さな机だけが置かれている。殺風景で生活感のない、居心地の悪い場所だ。
紫鷹は眼鏡を外すと、胸元のポケットへ閉まった。そのまま表情を変えずに無言で天海へ近づくと、天海の手首を掴み、無理やりポケットから引っ張り出した。
天海は痛みに顔を歪める。手の中に隠していた盗聴器が床に落ちる音がした。
「その前に、自分の立場をわからせる必要があると言っている」
「……離してよ。あんたのその顔、機械みたいで嫌いなんだよ。近寄らないでもらえる?」
睨みつけるように紫鷹を見る天海を、紫鷹は軽くあしらうと、床に落ちた盗聴器を躊躇いなく革靴で踏みつけた。粉々になった盗聴器の破片だけが残る。
「うわぁ……最悪」
天海は椅子をギシギシと鳴らした。
「南雲は仕事が遅いだけだ。あれはあいつの仕事分で、私は仕事を放棄するなど一度もしたことがない。難癖をつけて、被害者ズラをするのは昔からだ」
小さな机の上には、ラベンダーの花が花瓶に差し込まれている。この空間で唯一、生命の営みを感じられるものだ。
「あっそ、どうでもいいけど。そろそろ本題に入ってくれない? もう盗聴器はないから」
「スマホを出せ。反対側のポケットに入れているだろう」
「スマホに盗聴器は付けてないよ。生徒ならみんな持ってるでしょ、スマホなんて。それともなに? これは教師命令? スパイ命令?」
天海は嘲るように紫鷹を見ると、ガタンッと大きな音がした。ぐらりと視界が揺れたかと思うと、そのまま膝をつき、床に倒れる。
紫鷹が天海の座っていた椅子を蹴った。
「いった……なにする……」
ポケットから飛び出した天海のスマホを紫鷹は拾い取ると、そのまま手の中で握り潰した。画面がバキンと割れて、天海の足元に半分ほどに縮んだスマホが落とされた。
「……怪力かよ。なにしてくれてんの」
「このスマホも今は必要ない。素直に差し出していれば、壊す必要もなかった。無駄な手間をかけさせるな」
蒼い瞳がこちらを見下ろす。天海はそれを、恐ろしく不気味な威圧感に感じた。睨みつけるわけでも、怒りに狂っているわけでもないのに、表情を変えることなく淡々としているその身体から出るオーラ。決して逆らうな、と全身に釘を打ち込まれるような支配力だった。
(こいつ……何者なんだ……)
「……十二番目の少女計画、君も知っているだろう」
その言葉に、天海はピクリと身体を反応させた。
「それをあんたに邪魔させられそうだから、こっちは困ってるんだけど」
「邪魔? 私は援護しているだけだ。必要な情報収集は怠らず、異常があれば介入し対処するのが私の役目だ」
「援護……? あれが援護と言えるの? あんなに怯えた彼女は初めてみたよ」
「あれはああいう奴だ。全ての反応は想定内に収まっている」
「……」
まるで自分の手の内で莉子を操っているかのような口ぶりに、天海は苛つきを覚える。やはり、莉子と紫鷹を近づけるのは賢明でない。天海は紫鷹の圧力に圧倒されながらも、この計画を潰すわけにはいかないと、莉子を見届ける責務を背負う自分を鼓舞した。
「その目つき、悪くない。だが、君は被験体を上手くコントロールできていない。そんなようでは、前のメイドと同じように失敗してしまうだろう」
「……つまり、僕に説教しにきたってわけか」
「事実を伝えたまでだ。今の君にはこの計画を成功させることはできない。感情の昂りがその証拠だ」
「じゃあ、どうすればいい」
「そうだな、ヒントをあげよう。そもそも、君はこの計画の趣旨を理解しているのか?」
紫鷹は窓際まで歩くと、壁に腕を組んで寄りかかる。何かを考えるように指先でトントンと音をたてる。
「僕たち財閥の跡取りに相応しいメイドを育成するために、作られたプロジェクトだろう」
「不正解だ。実に自己本位で短絡的な思考。失敗から何も得られていないお粗末な出来だ」
「……お前に何がわかるんだよ」
天海は床から立ち上がると、紫鷹とは反対側の窓際の壁に背を預ける。苛立った様子で、右足の靴裏を壁に当てる。
「そうやって感情的になるところだ。君は失敗をすることを恐れ、現実から目を背けようとする。メイド側が悪かった、相性が悪かった、運が悪かった、そんな言い訳ばかりで根本的原因の分析を怠っている。だから十一人もの被験体を無駄にしている」
「そうだとしても、全部が全部僕のせいじゃないでしょ。神城の傲慢さで、自傷行為をした子もいた」
「あぁ、三、五、十一番目の被験体か。神城の傲慢さは幼稚だが、“支配者”としての価値基準においてはまだマシな役回りをしていた」
「五番目の子なんて、『もう死にたい』って僕に懇願したんだ。それが支配者として良いって……?」
天海は向かいの紫鷹をおぞましいものを見るように目を向ける。俯き気味の紫鷹の目元には黒い前髪がかかり、表情が読み取れない。
「役回りとして、の話だ。良いとは言っていない。こちらはどれだけ支配者として有能か、君たちを見定めている。最も、理性的に支配を完成させられる後継者を財閥は求めている。神城の支配は、その点では不相応だろう」
「なんだよそれ。試されているのは、僕たちの方じゃないか」
「勿論、忠誠育成ビジネスとして、理想的なメイドや従順な部下を輸出する事業の構想も含まれている。本当に何も聞いていないんだな。よほど信頼されていないみたいだ。“父様”から」
その言葉に、天海はドンッと右足で壁を蹴った。身の毛のよだつ怒りに、息遣いが荒くなる。
しかし、爪で壁をグッと引っ掻くと、怒りを無理やり抑え込むように深く息を吐いた。
「……そうやって、僕のこと、取り乱させることが目的なんでしょ? 父様から信頼されていなくてもいい。ただ、託していただいたんだ。その期待に答えたい。他の奴らは、メイドがいなくなる度に記憶を消されていたけど、僕は違う。そして、莉子は僕のメイドに相応しい存在だ。だから、お前に邪魔はさせないよ。理想的なメイドの輸出事業? あぁ、聞いてないさ。お前の世迷言には、これ以上付き合いきれない」
天海は呼吸を整えて、ゆっくりと紫鷹に近づく。紫鷹の前でピタリと止まると、紫鷹の襟元に付いているネクタイピンをむしり取った。
「これ、盗聴器とマイクだろ。耳に付けてるピアスは無線機。一体誰とやりとりしてるんだ? 財閥相手なら、こんなことは不要だろう。お前がこの極秘プロジェクトを牛耳ってるんだから。一人で、独裁的に」
紫鷹は僅かに口元を緩めて、口角を上げた。
「……なぜそうだと確信できる?」
「諜報部特殊課はお前と南雲だけ。特殊課は、他の諜報部とは違って財閥直属のお気に入りだ。極秘プロジェクトなら、特殊課だけに任務を与えるだろう。だけど、南雲は上の命令にだけ従う調子の良い奴だ。お前のこともどこまで正気かって、困った様子だった」
「それで?」
「紫鷹、お前は僕が“十二番目の少女計画”について全てを知っているわけではないと気づいていながら、わざと全貌を明かすようなことをした。……それを聞いた僕の反応を試そうとしたんだろ。この極秘プロジェクトに本当に見合った人間かってね」
「……」
「今日のお前とのやりとりで良くわかった。俺たちの行動を把握、そして崩壊させるために潜入しにきたんだろ、学園に」
天海は手の中にあるネクタイピンを床に叩きつけようとした、その時――紫鷹に骨が軋むほどの力で左手首を掴まれた。
「っ……」
「それで私のことを知ったつもりか?」
(いった……ほんと、こいつ馬鹿力……)
「離してよ……暴行で他の教師に訴えるよ?」
「その口の聞き方を直せば、離してやる」
「ふっ、誰が」
紫鷹の力が強まる。天海は顔を歪めて、反対側の手で紫鷹の手を離そうとするが、その手は無情にも紫鷹のもう片方の大きな手で憚られた。
「くっ……離せ……折れ、る……」
天海の左手が、爪先まで青白く染まっていく。感覚が麻痺してきている。このままでは腕を本当に折られてしまう、そう焦ったその時、ドンッとドアの近くから、音が聞こえた。
振り向くと、そこには両足を震わせて立っている莉子がいた。




