第22話 波乱の幕開け
「おい、南雲! 屋敷に執拗な仕掛けをしてるのはあんただろ」
慌てた様子で止めに入る警備員の手を振り解き、天海は『五大財閥総合情報機関諜報部特殊課(ごだいざいばつそうごうじょうほうきかんちょうほうぶとくしゅか)』と書かれたドアを蹴る。目の前の広いデスクで、一人の髭面の男が机に突っ伏していた顔を上げた。機嫌の悪そうな顔を振り向かせると、声の主を睨む。
「……あぁ? 朔か……勝手に入ってくんじゃねえよ」
「勝手に入ってきてるのはあんたでしょ。うちの屋敷とうちのメイドに、そんなに興味があるの? どういうつもり?」
南雲はクマの作った目を擦ると、胸元の曲がったネクタイを雑に緩める。ボサボサの頭を掻き分けると、タバコをふかしながら空を見つめる。
「ふぅ。……俺じゃねえよ。あいつだ。紫鷹。まったく、めんどくせえ野郎だ」
「お偉いさんに言われたことだけしてればいいものを」と南雲は小声でタバコの煙とともに吐き出す。とても諜報部員には見えないが、彼はれっきとしたこの国の国家安全保障を担う優秀なエージェントだ。天海財閥は研究組織ぐるみで、諜報部へ仕事依頼をすることが時折ある。
「紫鷹? あぁ、あの無愛想で堅苦しい男ね。僕、あの男のこと昔から嫌いなんだよね。そんな奴がなんで莉子のこと監視してるわけ?」
「知らねえよ。直接本人に聞け。俺はあいつの放ったらかした業務を捌くのに精一杯なんだ。見てみろ、一ヶ月家に帰れてねえんだよ。泣けてくるぜ」
デスクの上には飲み終わった缶コーヒーとインスタント食品のゴミ、タバコの吸い殻まみれの灰皿が積んである。
「はぁ、そのゴミどうにかしたら。おじさん臭さが増すだけだよ」
「うるせ、朔は昔から可愛げのない子どもだな」
「もう子どもじゃないから」
「いいや、つい最近まで、よちよち歩きしてた赤ん坊だっての」
天海は床に転がった70Lのゴミ袋を南雲に投げつける。「冷えなあ」と不貞腐れたように南雲がゴミを回収し始めた。
ふと、南雲は手を止めて天海を面白そうな顔で見上げた。
「そういえば、今日から紫鷹が八芒星学園へ送りこまれることになってっから。まぁ、あんまり突っかかるなよ。これもうちの業務の一貫なんでね」
天海はピタリと身体を固まらせた。嫌な予感がした。なんとなく、紫鷹と莉子を会わせてはいけない、そんな危機感を抱く。
(もし彼女に影響があれば……これまでの繰り返しはもうごめんだ)
「は? どうして。それは“十二番目の少女計画”に必要なことなの?」
「じゃなきゃ、やんねえよ」
南雲はカッと白い歯を見せて笑う。髭面と髪型と服装さえ整えれば、それなりに良い男だ。だがこの大雑把な性格では、その垢抜けた姿は一生日の出を見ることはないだろう。
天海は不服そうに南雲を睨むと、早足で部屋から出ていった。
(はやく学園へ向かわないと。今までの計画が台無しになれば、僕は……)
天海が去り、諜報部特殊課は一気に静かな空気を取り戻した。南雲はタバコをふかしながら、「ふん、わかりやすいところは変わんねえな。ま、扱いやすくて良い素材だ」と呟くと、乱暴にタバコの火を灰皿に擦り付けた。
*
如月は戸惑っていた。隣にいる莉子の様子が変だからだ。これからHRだと言うのに、莉子はずっと俯いていて顔を上げようとしない。
「……おい、大丈夫か……?」
如月が小声で声をかけても、莉子は俯いたまま返事をしない。如月は短くため息をつくと、困ったように席を立とうとした。今日は天海が日直だが、いつものように登校してくる気配がないので、代理で如月が日直の仕事をすることになっている。面倒だが、ここでの好感度を保つにはこれも良い手段だ。
如月は椅子をずらして立ち上がると、制服の袖に重みがかかる。ふと袖を見ると、莉子が小さな手で如月の袖を握っていた。
「い、いかないで、ください」
如月はぽっと耳が赤くなる。そんなに可愛い声でお願いされたら、動くに動けない。
「わかったよ。いかない」
如月が席に座り直すと、莉子の手が離れた。
(何か言いたくない心配事でもあるのか……)
先週の莉子の異変を知っている如月は、今の莉子から目を離すことはできないものの、むやみに詮索することも躊躇われていた。
「体調悪いなら言えよ。急に倒れられても困るし」
莉子は小さく頷くと、両手をぎゅっと膝の上で握りしめた。
*
「はい、みんな席について。これからHRを始めます」
古典担当の澄川先生が、教壇の上で名簿を広げる。担任の宮本先生は? と、クラスメイトたちがわざめく。
しかし、今の莉子には教室の声はほとんど聞こえていなかった。
(身体が寒い。またこの感覚だ)
莉子は止まらない震えに堪えながら、両手でぎゅっと拳をつくる。さっきは如月がどこかへ行こうとしているのを、思わず止めてしまった。少しでも如月の温もりがなくなってしまえば凍えそうなくらい、嫌な感覚に襲われていた。
「えー、みんな急で申し訳ないけれど、担任の宮本先生がしばらくお休みすることになったので、今日から臨時講師の紫鷹先生に代理を勤めていただきます。英語の授業も担当してもらうから、粗相のないように。じゃあ、紫鷹先生、どうぞ」
コツ、コツ、と革靴の音が教室に響く。先ほどまでざわめいていたクラスメイトたちが、小さく息を呑む。ゆっくりとドアから入ってきたその男は、鼻筋の通った端正な顔立ちをしていた。背丈は高く、スラリとしているものの筋肉の量と質が良い。几帳面に整えられた黒髪に、スーツを完璧に着こなす上品さが漂う。なにより、皆が見惚れたのは、眼鏡の奥からのぞく美しい蒼い瞳だった。ずっと見ていれば惹き込まれてしまいそうなくらい、妖しい深い蒼。
「初めまして、紫鷹です」
あまりの美しさに、女子生徒たちが声をひそめて話を始めた。次第に教室の声が大きくなっていく。「美しすぎるわ」「私、思わず目が離せなかった」「どこか危ない雰囲気が素敵……!」
教室が騒がしくなる中、莉子は目を見開いたまま俯いていた。紫鷹の声を聞いた瞬間、耳鳴りがした。額から汗が流れる。身体の芯が冷えて、震えが止まらない。心臓が壊れそうなほど悲鳴をあげて拍動している。
(な、に……? からだが、おかしい……それに、この声、どこかで……)
隣の如月がちらりと莉子を見た。莉子の震える拳に、そっと温かい手が添えられる。ハッと、莉子は如月の方を見た。心配そうに莉子を見つめる水色の瞳から、莉子はいつまでも目を離さなかった。目を離してしまえば、如月がどこかへ行ってしまい、取り残されてしまうような気がした。
「莉子……大丈夫か? 俺は離れずにそばにいる」
如月の言葉に、莉子は身体の力が少しだけ抜けていくのがわかった。力を込めすぎて手に食い込んだ爪痕が痛い。ありがとう、と口にしようとした時、莉子は驚愕した。
ーー声が、出なかった。
「みんな静かに。ここからは紫鷹先生に変わってもらうから、迷惑かけないでね」
澄川先生が教室から去っていく。教壇には、異様な雰囲気の美しい男が一人だけ。
「では、皆さんこれからよろしく。さっそくですが、出席確認をさせていただきます。相川さん、伊瀬谷さん、……」
紫鷹が話し始めると、自然と皆が彼に従った。美しさだけでは説明がつかない、紫鷹には有無を言わさない圧力、目を離させない威厳、普通の人にはないようなただならぬオーラが纏っていた。
「夢乃さん、……夢乃さん……? 返事は?」
莉子はびくりと肩を揺らした。如月が目で、返事を、と訴えている。莉子は紫鷹を見ることができなかった。莉子の身体は、彼を拒絶していた。
「夢乃さん、そこにいますよね。どうして返事をしない?」
莉子の顔からは血の気が引いていた。紫鷹の視線が全身に突き刺さる。莉子は懸命に声を出そうと口を開けて動かすが、喉元がキュッと閉まっていて声が出せない。冷や汗が止まらない。その様子を見ていた如月が、咄嗟に声を上げた。
「紫鷹先生、夢乃さんは……」
「夢乃さんは、体調が悪いみたいです。僕が保健室へ連れて行きます」
ピシャリと言い放たれたその声は、教室の前から聞こえた。皆が声の主を見る。
「キャー! 天海様よ! 久々のご登校ですわ!」
教室内が一気に騒がしくなった。天海は紫鷹を睨みつけると、莉子の元へ向かう。
「え、天海、お前どうして……」
「そんなことより、どいて。この子連れてくから」
「ちょ、おい!」
天海は莉子を抱き抱えると、教室の後ろから颯爽と去っていった。
「……そうですか。彼は天海朔くん。欠席から出席済みに変更しておかないといけませんね」
名簿を見ながら、紫鷹が無表情で呟く。
残された如月は、突然のことに動揺を隠せなかった。如月の拳がグッと握りしめられる。莉子のすぐそばにいたにも関わらず、何もできなかった自分を悔いる。そして、莉子へ「離れずにそばにいる」と言ったことを思い返した。
「先生、僕も彼女が心配なので、見に行ってきます。すぐに戻りますので、HRを続けてください」
如月は立ち上がると、紫鷹に和かに微笑む。女子生徒たちが「はあ、やっぱり王子様ね。素敵!」と恍惚な表情で如月を見た。如月はそんな女子生徒たちにも美しく微笑むと、すぐに教室を後にした。
「騎士ごっこか……」
教壇に佇む紫鷹は、そう小さく呟いた。紫鷹の蒼い瞳からは光りが消え、その瞳は静かに本人不在の莉子の席へと向けられていた。
第22話をお読みいただきありがとうございます。
第3章が開幕しました。第5章で、物語はひとまず完結します。
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今後とも、日替わりメイドをよろしくお願いします!(*´-`)




