第19話 如月詠一の違和感③
屋敷に戻ると、莉子は柔らかい香りに包まれ、如月の部屋で寝具を交換していた。その間、如月はソファに腰掛け、ぼーっと天井を見ている。
あの震えは、なんだったのか、莉子にもよくわからなかった。でも、なんだか、急に教室が寒くなって、それで、手足から震えていって……そんな中、隣の席の如月の体温が、やけに温かく感じた。触れてはいないのに、じんわりと如月のいる方から体温が戻っていく。そして、彼の淡い水色の瞳を目にした時、莉子の震えは完全におさまっていった。
「詠一様、あの……」
「……」
気まずい空気の中、莉子は特段話すこともないのに、どうしてか如月に声をかけてしまった。当然、返事はない。お互いに何を話してどこまで触れていいのか、わからなかった。
居心地の悪いもどかしさに、莉子はリネンをぎゅっと握りしめる。寝具交換は終わったので、今日の奉仕は終わりにしとうと、残りのシーツと掃除道具をワゴンに乗せて部屋を後にしようとすると、如月が天井を見ながらぽつりと呟いた。
「……俺は、このシステムはおかしいと思う」
「えっ……」
如月は莉子の方を見ようとはしない。
「財閥の奴らは、メイドに全ての責任を押し付けようとしている気がする。メイドの弱みに漬け込んで。泉もそれに気づいている。天海は論外として、神城はただ面白がってるだけだから、当てにはならない。……もし何か、心配事があるなら、その、俺にも、言ってくれ……」
「頼りないかもしれないが……」と消え入りそうな声で付け加えた。手で顔を隠していたので、表情は見えなかったが、耳が赤くなっていることはわかった。
如月がそこまで気にしていたことに驚く。自分以外にも、この屋敷がおかしいということを感じている人がいることに安堵する。でも、莉子はなぜだかその言葉に、全てを肯定できない違和感を感じた。
(なぜだろう。私はこの“日替わりメイド”のこと、そんなに悪くは思わない。弟の命と、私の生活を保障してもらっているからかな……?)
自室の監視カメラや、命令に背くと電気ショックが与えられるなどの仕組みは変だとは思うが、それも、自分がここから逃げる、つまり契約違反をすることがないように、感情や行動が暴走するのを制御してくれているように感じる。
(それよりも、私のほうが、変……)
「詠一様、ご心配ありがとうございます。でも、私はここでメイドとして生きていくことで、恩恵も受けています。だから、詠一様も、“ご主人様”でいてください」
莉子はにこりと微笑んだ。莉子の瞳から、一瞬、色が消えたことに、誰も気づかなかった。
「メイド、それ、本気で言ってるのか……?」
「えっ、そうですけれど……」
「……どこかで頭でも打ったのか?」
「……?」
如月の戸惑った様子に、ふと、莉子は自分が何を言っているのかわからなくなった。でも、すぐに自分も如月もおかしなことは言っていないと首を振った。
「財閥のことはよくわからないけれど、この制度がなければ私は一人になっていたから……ここが私の居場所なんです」
「いや、あんなに怯えたり震えたり……おかしいだろ。放っておけない……本当に大丈夫なのか?」
タオルの件と言い、神城の部屋に閉じ込められた時といい、やっぱり如月の本性は、王子様でも冷たい人間でもないのでは、と莉子は頷いた。
「そういえば、私、先ほどなにか詠一様を戸惑わせるようなこと言いましたか?」
「は……?」
莉子はまた首を傾げた。なんだか会話が噛み合ってない気がする。
「俺がこのシステムのことをおかしいって言っても、否定しなかったから、頭でも打ったのかって聞いたんだけど……」
「あれ、そうでしたっけ……」
莉子の体が急に震え出す。悪寒がして、ガクガクと歯が当たる。頬に涙がつたう。
(教室の時と同じ……! これは、なに? なにが起こってるの……?)
「なんで泣く……急にどうした」
「ど、どうしてでしょう……涙が、勝手に……あれ、止まらない」
「おい! しっかりしろ。莉子!」
如月は莉子の元へ駆け出すと、小さな身体を抱きしめた。震えがおさまるまで、ずっと、ずっと、強く、離さないという想いが、肌から肌へと伝わってくるのが莉子にはわかった。
(温かい……。この温もりは、優しさだ)
莉子は大粒の涙をこぼしながら顔を上げると、如月の綺麗な目がすぐそこにあった。
「莉子、やっぱり変だ。何をそんなに怯えている。俺はお前に命令なんてしない。あの日から、ずっと。だから、落ち着いてくれ。心配事があるなら、遠慮せずに相談してくれ。それとも、俺の力だけじゃ、お前を助けてやれないのか……」
莉子は如月の淡い水色の瞳に、吸い込まれるように見つめていた。涙の粒が、小さくなっていく。如月の瞳に、莉子の姿が映る。それを見た莉子は、今、本当の自分がちゃんとここにいるということを、如月が示してくれている気がした。
(やっぱり、詠一様は、本当はとても優しいお方……)
「お、おい、まだ苦しいのか?」
「万能薬……」
「え……?」
「あなたの瞳と体温は、私の万能薬です。そばにいてくださるだけで、私は、救われています……」
莉子は涙を流しながら、如月に抱きついた。この涙は、先ほどのものとは違う。優しい温もりに、身を委ねる。
如月の固まっていた両手が、優しく莉子の背中に回る。
「莉子……」
「ふふっ、やっと名前で呼んでくださった」
「……っ前から呼んでた」
「じゃあ、そういうことにしておきます」
如月の体温が上昇していくのがわかった。
今度は時間に取り残されることなく、確かに、莉子の支えとして、如月の両手は莉子を包んで離さなかった。
*
――観察対象No.417
状況:混乱のち、トラウマに応答し記憶一部改竄
命令適応率:126%(安定化)
記憶封鎖率:96.5%(適応化により、一時自己回復)
「美しい軌道修正だ。理想的な被験体と、精度の高い装置……しかし、危うさは消えない。常に危険状態と隣り合わせだ。そろそろ、頃合だろう」
一時記録終了
暗号化キー:■■■-■■■-■■■(アクセス制限中)
――F




