第17話 如月詠一の違和感①
如月は南棟のサンルームであぐらをかいて寝そべっていた。三階にあるこの部屋は、大きな窓に四方を囲まれており、解放的で清々しい。気分転換にはうってつけの場所だ。赤から紫に色を変えようとしている夕焼け雲は、一日の終わりを刹那に刻む。
さっき、保健室で泉が莉子を抱きしめていたのを見てから、心のざわめきが落ち着かない。
泉は基本、他人には無関心だが、昔から気に入ったものには甘い、天然の人たらしなのには薄々気づいていた。まさか、莉子に対してあんなふうに接するようになるとは、如月にとって想定外だった。
(俺は、泉みたいに、自分に正直になれるだろうか……)
莉子は如月の二面性について知った時、何も言わなかった。ご主人様の如月詠一として、どんな時でも対等に扱ってくれる。それがメイドとしての役割だとしても、仮面をつけた自分しか見てくれなかった両親や、自分を拒絶した兄とは違う、如月にとって本当の自分を受け入れてくれる唯一の存在だった。
如月は泉を思い出して気分が悪くなる。まだ莉子は泉の部屋で奉仕をしているのかと思うと、居ても立っても居られず、勢いよく上体を起こして、サンルームを後にした。
無意識に東棟三階へ向かっていた。
(……今あの二人のところに行っても、俺は邪魔なだけなんじゃないか)
足の動きがゆっくりになっていく。先ほどまでの興奮が呆気なく消えていく。如月はため息をついて、自室に帰ろうと振り向きかけた時、かすかな甘い香りに動きが止まった。
艶やかな黒髪が如月の前を通り過ぎる。莉子が早足で廊下を去ろうとしていた。
「お、おい! メイド!」
声をかけても聞こえなかったのか、振り向くことなく莉子は如月から遠のいていった。
(なんだったんだ? 俺のことは無視か)
如月はまたため息をつくと、今度はドンドンと足音が聞こえる。泉が慌てた様子でこちらに向かってきた。
「如月か、ちょうどよかった。莉子を見なかったか?」
「え、さっきすれ違ったけど。何かあったのか?」
「自室へ戻ったのか……それで落ち着くなら、無理に押しかけないほうが賢明か」
「何のことだ?」
青ざめた顔の泉を見るのは初めてだ。莉子になにかあったのだろうか、と如月も顔をしかめる。
「……いや、これは口外していいものか、わからない」
「相変わらず硬いな。メイドのことだろ? 何か気になることがあったなら、共有し合うのが効率的なアライアンスだ」
「……あぁ、そうだな」
泉は短く息を吐くと、心を整えるように深呼吸した。
*
「No.417……」
「その数字が莉子と何らかの関係があるのは間違いない。だが、No.417が一体何のことを指しているのか、検討もつかない」
そんな数字はこれまでの財閥関係、学園関係ですら聞いたことがない。莉子の学籍番号は225番だ。同じクラスだから覚えている。
「なるほど、何か裏がありそうだな」
「あぁ……」
戸惑う泉に、如月は物珍しさを感じて泉の顔をじっと見る。
「な、なんだ?」
「いや、泉はメイドのことになると焦るんだな。小さい頃から俺たちは大人の都合で顔を合わせてたけど、いつも泉は他人を見下すような顔をしてた。どうでもいいって感じで。でも、莉子が来てから変わったよな。……人間味が出たというか」
「……そうか。そうかも、しれないな」
「いや、そこは否定したり遠慮したりするところだろ。天然理仁様は気楽でいいな」
「……天然……?」
泉は難しい顔で何かを考え込んでいたが、どうせ無駄でくだらないことを考えているだけだろうと、如月は窓の外を見る。数字――如月はハッとして泉の方に向き直した。
「なにか思いついたのか?」
「そうだ、数字で思い出した。先週、屋敷の古書で“12”と書かれたメイドの履歴書みたいなものを見つけたんだ」
「履歴書?」
「多分、ここへ雇われた時に作ったものだろうけど、それがやけに変な履歴書で」
「変、というのは?」
「メイドの過去の経歴、身体能力、細かい身体計測値とか、そこまで必要か? ってくらいメイドに関する情報が書かれていた。変だと思って、次の日にメイドに聞いてみようと古書へその履歴書を取りに行ったんだが、なくなっていたんだ。あったはずのその履歴書が」
「……それは、本当に莉子が書いたものなのか」
如月は身震いした。言われてみれば、履歴書にそんなことを書く必要はない。筆跡はわからなかったが、莉子の顔写真が貼られていたから、そう認識してしまっていた。
「この屋敷にある監視カメラの数の異常さは?」
「もちろん、気づいてるさ」
「莉子の腕には、契約時に彫られたであろう、薄緑に光る痕が残っている」
「えっ、それは知らないんだけど」
泉は莉子の服を脱がしたことがあるのか……? と疑問がよぎり、如月は赤くなる顔をしかめた。
泉は軽く咳払いをする。
「たまたま風で袖が捲れた時に、見つけただけだ。如月は、他人の貞操をやけに気にするところがあるな」
「……いや、気のせいだろ」
泉に自分の動揺を悟られていたことに、如月は悔いる。勝負もしてないのに負けた気分だった。
「履歴書には12という数字か……」
「メイドに直接、履歴書のことを確認してみるか?」
「いや、それは避けた方がいい。また莉子のトラウマの引き金になりかねない」
泉の真剣な表情に、本気で莉子を守りたいという意志が垣間見えた気がして、如月も自分の心を奮い立たせる。
「そうだな。なるべくメイドには負担をかけないようにしよう」
「この屋敷に俺たちが集められたのも、何かの糸があるかもしれない」
「最悪の場合も想定しておかないとってことか」
「あぁ……莉子が、俺たちをここに集めた元凶、ということだ」
重い空気に、廊下の大時計の音だけが響く。壁右上の角、監視カメラのレンズが動いたような気配を感じて、如月は身構える。
(自由がないのは、俺たちもってことか……)
如月は不服そうに監視カメラを睨んだ。泉が顎に手を当てて、「莉子の過去を漁ってみるか……」と呟いていた。ふと、如月は思いつく。
「そういえば泉、メイドのこといつから呼び捨てにするようになったんだ?」
「……気づかなかった。いつだろうか」
これだから天然人たらしは、と如月は三度目のため息をついた。
*
「ううーん、カイくん、顔舐めない、で……起きるからぁ……」
白猫が莉子の頬に鼻を擦り寄せる。莉子がガバッと起き上がると、白猫は驚いたようにベッドの下に隠れた。
「朝……! わ、カイくん?! 驚かせてごめんなさい。あれ、私、なんだか怖い夢を見た気がするけど、思い出せない」
莉子は部屋の窓を開ける。今日は快晴だ。この屋敷に来た時は桜の花びらが舞っていたが、もうすぐ初夏が訪れようとしている。櫛で髪を梳かしながら、鼻歌を口ずさむ。日光が艶やかな莉子の髪を照らす。
(なんだか、今日は気分がいいなぁ。悪い夢が全部、嫌なことを流してくれたのかな)
莉子は身支度を終えると、木曜日の担当、如月の部屋をノックした。
「詠一様、朝です。起きていらっしゃいますか?」
如月は朝が弱い。だから、こうして毎週如月を起こすことが日課であり、最初の奉仕だ。白猫が莉子の後をつけてスタスタと歩いてくる。
ドンドンドンドンと、中からせわしない足音がしたかと思うと、扉が勢いよく開かれた。寝巻き姿の如月の、綺麗な切れ長の二重が莉子の前に飛び出してきた。
「メイド、あれから調子はどうだ?!」
淡い水色の瞳が揺れる。まだまぶたが重そうに垂れ、まつ毛の影ができている。
莉子はこんなにも慌てふためく如月を見るのは初めてで、ふふっと小さく笑う。
「詠一様、今日はお早いんですね。そんなに慌てて、どうされたんですか?」
にこりと微笑む莉子に、如月は呆気に取られた。
莉子は、昨日の恐怖を全て忘れていた。




