第16話 泉理仁の決断②
「えらい汗だ。泉、大丈夫か?」
保健医の西野が驚いた様子で振り向く。泉に抱かれた莉子を見るなり、慌ててベッドに寝かせるように指示した。
「嬢ちゃん、過呼吸でも起こしたのか、まだ呼吸と脈が荒いな。体育倉庫だって? 意地が悪いな。こっちでも厳重に注意しておくよ。にしても……閉所恐怖症でもあるんじゃねえか? この感じよ」
閉所恐怖症……知らなかった。思えば、泉は莉子のことを何も知らない。知ろうともしなかった。
「しばらく寝かせておいてやれ。それよか、お前さんがそんなに慌てるなんて珍しいな。いつも涼しい顔したお坊っちゃんだと思ってたぜ。雪でも降るってか、ガハハ」
西野は髭を触りながら大口で笑う。この笑い方はどうも苦手だ。泉は汗で張り付いたシャツが鬱陶しくなり、シャツを脱ぐ。
「おっ、いい身体してんな。鍛えてるのがよくわかる」
「毎朝ジョギングしてるくらいだ。鍛えてるつもりはない。汗で濡れたままのシャツを着るのが鬱陶しい」
西野は「ははーん」と意味深に髭を触るが、急に保健室の外が騒がしくなったかと思うと、「西野せんせー」と別の生徒に呼ばれた。戻ってきたと思えば、血相かいた様子で可愛げもなく両手を合わせる。
「理仁くん、ごめんよ〜。神城と如月が嬢ちゃんのことに気づいたみたいで、すごい形相で保健室に向かってるって。あの二人が揃うと大変なんだ。ここは任せた。すまんな」
「えっ、おい。こいつはどうすればいいんだ」
「どうするって、起きた時にまたパニックにならないように、そばにいてやるのがいい。……そうだな、できれば、身体が触れ合うくらい近くにな。タッチングって言って、医療じゃ有名な治療法だ。んじゃ」
西野はまた大口を開けて笑うと、今度はニヤリとして早々と去っていった。
(タッチング……ってなんだ)
泉は深く考えると、ベッドに寝ている莉子の隣に寝転んでみる。薄く口を開けて寝ている莉子の顔が目の前にあって、落ち着かない。そっと頬を触ってみる。柔らかい、なんだこの生き物は、と拍子抜けした。全然起きないので、タッチングが弱いのかと思い、自分の身体の上に莉子を乗せる。胸元に莉子の吐息がかかり、思わず顔が赤くなる。
(……自分でしといて、なぜ赤くなる……)
小さな身体に、小さな呼吸。莉子がこんなにもか弱い生き物だとは想像もしていなかった。少し力を加えれば、本当に壊れてしまいそうだ。
「う、ううん……」
莉子の目がゆっくりと開き、桃色の瞳がこちらを覗く。
「起きたか。保健室だ。倉庫ではない」
「……へ」
丸い目が大きく見開かれる。上裸の泉を見るなり、莉子の顔が耳まで赤く染まり泉の元から離れようとする。
「おい、動くな。しばらく安静にしていろと西野が言っていた」
「そそ、それより、どどどうして理仁様は服を着ていないのですか?! そしてどうして私は、理仁様に、抱かれているのですか?!?」
「汗でシャツが濡れて不快だった。これはタッチングだ。医療業界では有名な治療法らしい。大人しくしろ」
「ええっ! そんなこ……」
泉は自分の上で暴れる莉子を抱きしめていた。タッチング……などはどうでもよくなっていた。それよりも、莉子を守れなかった自分に後悔する。どうしても、彼女を離したくなくなってしまった。
「すまない。しばらくこうさせてくれ」
「理仁、様……?」
「……俺はお前のことを見て見ぬふりをしていた。お前が倉庫に閉じ込められたと聞いた時は、気が気ではなかった。こうなる前に、助けてやれなくてすまなかった」
莉子の身体の力が抜けていくのがわかった。抵抗心がなくなったかと思うと、泉は安堵する。
「理仁様……私は、大丈夫です。この学園に通えているだけで、幸せ者というか……。だから、気にしないでください」
莉子が笑った。泉の前で笑うのは三度目だ。けれど、これは本当の莉子の笑顔じゃない。悲しい目をしている。
(……そんな笑顔は、見たくない)
「無理をして笑うな。莉子には、心から笑ってほしい」
自分でも驚くほど優しい声が出た。
(これが、俺の、本音……)
莉子はそんな泉を見るなり、目に涙がじわじわと滲み、次第にほろほろと大粒の雫が溢れ出た。
「うっ、こ、怖かったです。ほんとは、すごく、怖かった。暗くて、狭くて、呼吸がうまくできなくて。うっ……もう、誰も助けてくれないと思った……」
泉はその白い頬に湿る雫を指で拭う。
莉子が本音をぶつけてくれたことが嬉しかった。同時に、このか弱い生き物を守らなければ、という意志が芽生える。
(誰も守ってやらないのなら、俺が――)
泉は、泣いている莉子をもう一度優しく抱きしめた。今度は、壊れないほどに、ぎゅっと、強く。
二人だけの温かい空間を包むように、カーテンが風になびいた。
*
神城と如月が、青ざめた顔でこちらを見ている。
「どういうことだ理仁! 説明しろ!!」
神城の大きな声が耳に響く。
(こいつは相変わらず声がでかい)
「メ、メイド、大丈夫か?」
如月が動揺を隠せない様子で莉子の前に屈む。
莉子は焦りと恥ずかしさを浮かべて、ベッドに上体を起こして座っている。あんな状態を二人に見られて、誤解されてしまうのが怖い様子だった。
「も、もう大丈夫です……その、ご迷惑おかけして申し訳ありません……」
「莉子は暗い場所が苦手なんだ。あんなところに閉じ込めた奴ら、絶対許さねえ」
「お前がそれを言うかよ」
「あんだと!? あれは気の迷いというか……すぐに助けたし……こんなことした奴らとは違う!」
「いや、同類だろう」
「あ?!」
「それより、泉、メイドになにかしたのか。あんなにくっついて……」
「そうだ、理仁、お前ムッツリだもんな。ったく、油断ならねえ」
「何もしていない。西野に言われた通りしただけだ」
「「西野だと?!」」
三人の会話を聞いていた莉子が、小刻みに身体を揺らしている。
「ふ、ふふっ。あはは」
一同が驚いて莉子を見る。
「……三人とも、面白いです。ふふっ、私のために、心配してくれて、ありがとうございます。嬉しいです。その……みんなで一緒に、帰りませんか?」
莉子の笑顔に、空気が和む。瞳と同じ、天然のピンクダイヤモンドのような、美しく儚い、奇跡のような癒しの笑顔。
「ああ、帰ろう」
泉は莉子の手を取る。神城が「おい、ずるいぞ」とつっかかると、如月が「うるさい。お前は昨日メイドを堪能しただろう」と二人で言い合っている。
四人で歩く影が、重なり合う。屋敷までは、もう少し。もう少し、この手を握っていたいと、泉は胸の中で願った。
*
屋敷に戻ると、莉子がメイド服に着替えて泉の部屋へやってきた。今日はゆっくり休んでほしいからと、泉は奉仕を断ったが、莉子は申し訳ないと書斎の整理を手伝っている。
(まったく、また他人のために)
泉は古い方の棚から不要な書類を取り出していく。どれも軍事産業や、重工業の資料ばかりだ。これらは全て頭に叩き込んである。将来、日本の防衛産業と工業生産を担うことになる泉の責任は重い。そして、鍵付きの棚には、政治工作に関する資料。
(俺も、いずれは汚い世界へ入り浸ることになるのだろうか)
自然と莉子の姿を目で追っていた。天然の、癒しのような優しい存在。莉子は膨大な資料を端から取り出し、一生懸命に棚の埃をはたいている。
ふと、莉子の髪に埃が被っているのに気づいた。泉はやれやれと埃をはらいに近づくと、急に莉子の動きが止まった。
「どうした。虫でもいたか」
泉は莉子の隣にかがみ、顔を覗く。すると、莉子は青ざめた顔で目を見開き、怯えた様子で一つのファイルを手にしていた。次第に莉子の身体が大きく震えていく。
莉子の手にあるファイルを見ると、“No.417”と背表紙に書かれていた。
(こんなファイルを作った覚えはないな。なんの数字だ?)
「莉子、それは……」
ガタン、と莉子が立ち上がった。引き攣った顔で、泉を見下ろす。
「あ、あの……そ、そういえば、わた、し、カイくんのお世話が、残ってい、たんでした。ごめん、なさい、行かなきゃ……」
「お、おい。莉子、どうした。変だぞ」
泉が莉子の手を取る。莉子は今までに見たことのない恐怖を浮かべた顔で、泉の手を勢いよく払いのけた。
「ご、ごめん、なさい……」
莉子は振り向くことなく泉の部屋から立ち去った。
(……あんなに怯えた莉子は初めてみた。この数字には、何か意味があるのか?)
残されたファイルを手に取ると、表紙に「Project ■■ ■■■」と書かれていた。途中の文字が滲んでいて読めない。泉はきなくさいと思いながら中を開けてみる。
ーー中身は空だった。
泉は苦い顔でファイルを投げ捨てる。
壁画の裏に赤く光る監視装置が、不気味に点滅し部屋を沈黙に導いていた。
*
――観察対象No.417
感情変動:従順70%→信頼59%→恐怖95%→意識消失 動揺64%→吐露73%→疑惑52%
記憶封鎖率:92.0%(危険区域)
「良い気分のまま一日を終えることは許されない」
「真実を知った時、君はどのような数値を見せてくれるのか。その時は、私が最も君の近くにいるだろう」
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今後とも、日替わりメイドをよろしくお願いします!




