第13話 神城帝真の葛藤①
最近、神城の様子が変だ。毎朝、やけにそわそわして、落ち着きがない。担当でない日、莉子が廊下の掃除をしていると、いつもはわざとゴミを落としたり、埃を指摘したりと朝から莉子を弄んでいるが、そんな暇はないように素通り。他のご主人様が見ていないか確認すると、ビニール袋を持って早くに屋敷を出ていく。
今朝も朝食を半分食べると、残りは昼用の弁当にしてくれと莉子に指示し、すぐに身支度をして学園へ向かった。いつもはギリギリまでくつろいだ後、リムジンで悠々と通学しているのに……天海によると、ここ数日は徒歩で通学しているらしい。
(……あの帝真様が……おかしい)
莉子は徒歩通学だが、昨日、初めて天海に誘われて車で通学した。その際に、人目を気にしながら歩いている神城を見かけて気になった莉子は、今日は神城の跡をつけてみることにした。
(バレないように、しないと……)
*
神城は、ビニール袋を持って通学路を歩いていた。屋敷は街から少し離れたところに建っているので、しばらく歩かないと、都市部まで出られない。まるで陸の孤島だ。街へ出るまではとても静かで、道端に植えられたアヤメやシャクヤクが規則正しく咲いている。これも執事の吉田の趣味だろう。
十分くらい歩いた先、草むらの途中にある石造りの祠が目印だ。祠を超えた先、林の茂みの中に向かう。昨日は夕方から雨だったので、地盤が緩んで足場が不安定だ。小岩を慎重に避けながら歩く。
と、その前に、神城は苛立ちげに振り返った。
「おい、何ついてきてんだ」
視線の先には、おどおどと目線を逸らすように立っている莉子がいた。
神城はため息をつくと、早足で莉子の元へ向かう。莉子は近づいてくる神城に慌てた様子で後退ると、足元の小岩につまずき、頭から倒れそうになる。
「わっ……」
「お、おい!」
神城は咄嗟に莉子の身体を受け止めていた。
以前、学園で莉子が水濡れになり男子生徒に絡まれていたとき、莉子を抱きかかえ屋敷まで連れて帰ったことがあった。あの時は怒りが暴走していて気付かなかったが、いま神城の腕の中にあるのは、柔らかい触感に、温かい体温。莉子の、優しく、壊れそうなほど小さな身体に、思わず力が緩んだ。
(こいつ、こんなんだったか……)
「ご、ごめんなさい!」
「……たく、バレバレだっての」
「……」
「頭から転ける馬鹿がいるか」
神城は呆れたように自分の胸の中にいる莉子を見ると、潤んだ丸い瞳がこちらを覗いていた。清潔感のある甘い香りが、ふわりと舞う。小さな手が、かすかに震えている。無意識に、莉子を抱きしめていた。
「帝真様……?」
莉子は驚いたように身体を固まらせた。神城はそれに気づくと、突き放すように莉子から離れる。
「っ……わり」
「い、いえ……」
落ち着かない。なにも言わずに下を向いている莉子を見ると、焦ったくなる。
「なんか言いたいことあるなら言えば」
自分でも驚くほど冷たい言い方だった。そんなつもりはないのに、莉子を前にすると冷静でいられなくなる。神城はそんな自分が嫌いだった。
「えっと……勝手についてきてごめんなさい。最近、帝真様の様子がいつもと違うから、その、気になって……」
「ふん、勝手にしろ。そのかわり、誰にも言うなよ」
神城は強引に莉子の手を引っ張ると、そのまま林を抜ける。
茂みを超えた先、ひらけた空間が、そこにあった。青空から降りそそぐ山吹色の陽が、林を抜けて交差する。まるで万華鏡のように反射して、地面を明るく照らす。
木陰で、小さな影が動いた。
「あっ……猫だ」
神城はビニール袋からミルクと弁当箱を取り出すと、慣れた手つきで猫の前に置いてある食器へ移す。猫はその間、喉を鳴らしながら神城の足元に擦り寄っている。
「この子を守るために……」
「たまたま見つけたんだ。腹すかせてたみたいだから、うちに有り余ってる食材を分けてる。そのくらいしか、やってやれることはない」
木陰には毛布が敷かれていて、雨除けに傘が立てかけられている。莉子には見られたくなかったが、仕方ない。口外したら、罰を与えるつもりだ。
「……帝真様って、動物に好かれやすいんですね」
「あ? 勝手に寄ってくるんだよ。こっちから触ったことないし」
「ふふっ、きっと帝真様が優しい人だって、この子はわかってるんですよ」
莉子がしゃがみ込むと、猫は莉子に身体をスリスリして甘えた様子で離れない。莉子は目を輝かせながら、猫を優しく抱きかかえる。
「かわいい……っ」
笑顔でぎゅっと猫に頬を擦り寄せる莉子に、神城の心臓が高鳴った。今まで、莉子の素顔を見たことがなかった。自分の前では本心を隠して振る舞う。いつも怯えた様子でいるのに、どこか芯が冷めていて、何かを諦めたような顔をする。神城はそれが嫌いだった。
(……莉子はそうやって笑うのか)
急に、身体が熱くなる。
(なんだよ、これ……クソッ)
「帝真様も、撫でてみてはどうですか?」
「なっ……俺はいい。触ると、壊れそうなんだよ」
「壊れそう……? 優しく撫でるだけなら、大丈夫ですよ。ほら」
「いいって言ってんだろ、やめろ……っ」
小さな命が二つ、神城の前で光っている。触れてしまえばすぐに壊れてしまいそうな、危うい、小さな小さな灯。
(俺には、触れられない……)
*
授業は退屈だ。でも、家にいるよりはマシだった。癇癪持ちの母親の小言を聞かなくてもいい。ここでは何をしても誰も文句を言わない。全てが自分の思い通りにいく。神城にとって、唯一の自分の居場所だと思っていた。
新しいメイドが来ると聞いた時は、暇つぶしにちょうど良いと思った。命令すれば何でも言うことを聞く。どんなおもちゃよりも扱いやすい。
でも、莉子は違った。命令に従っているのに、感情だけが抜け落ちたような、人形のような態度。どれだけ支配しても、自分のものにならない。いっそ壊してしまえばいい、そう思った。
けれど、壊れていくのは、自分の方ではないかと、いつしか気づき始めた。莉子のことになると、自我が昂り、抑えられない。そんな自分に苛立つ。
神城は中庭を歩きながら、空を見上げていた。こんなにも清々しい空なのに、気分が晴れない。
(クソッ、全部、あいつのせいだ)
足元の石を蹴る。ふと、花壇の向こうから楽しげな笑い声が聞こえた。
莉子と如月が、ベンチに並んで座っている。莉子の目元が優しげに細まり、楽しそうに笑っている。それを見た瞬間、胸の深い場所が、波打つように低く唸った。
(……なんだよ、あの顔。俺の前では、一度も見せたことないくせに)
神城は拳を強く握ると、昂る感情に身を任せ、早足で莉子の元へ駆けていった。




