第10話 もう一人の自分
「如月様がご登校よ! 今日も素敵だわ!」
莉子と如月は同じクラスだ。だが、この二人は教室内、いや学園内において会話をすることはほとんどない。学園内での如月は、成績優秀、質実剛健、いつも和かな笑顔で誰にでも優しい。女子からは理想の王子様、男子からは謙虚で品の良さから憧れの的だ。
……というのは表向きで。莉子は知っている。如月の本性は、怒ると足蹴りでドアを破壊するほどの凶暴性を持っていることを……。
今日はクラス内で席替えがある。くじ引きで決まるらしい。新しい莉子の席は窓際の一番後ろ。そして、吉か凶か、隣の席は如月だった。
「や、やあ、夢乃さん……よろしく、ね」
如月がひきつった笑顔を向けてくる。
(い、嫌なら無理に笑わなくていいのに……)
気まずい雰囲気のなかで、授業が進められた。
*
「クソッ、なんでメイドと同じ席になるんだ」
如月は苛立っていた。飲み干した缶コーヒーの空き缶を握り潰すと、ゴミ箱に投げ捨てる。
くじ引きは如月が用意した。莉子と席が離れるように仕込みをしていたにも関わらず、なぜか隣の席になってしまった。
(メイドの隣にいると、演じにくいんだよ……)
不貞腐れながら校舎裏のベンチに座っていると、向かいから莉子が歩いてきた。学園でも何かに怯えながら過ごしている姿に、如月は無性に苛つきを覚える。だが、ここでは素通り。この関係性を知られてはいけないと、母上から言い聞かせられている。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ、と如月はベンチの足を軽く蹴った。
――だけど、なぜか莉子だけは放っておけない。如月が初めて莉子に命令した時、莉子は何かの痛みに悶えるような、異様な反応をした。……あれは、異常だ。
見ていないと、壊れてしまいそうな、そんなむず痒さがこみ上げてくる。
(メイドのことを考えると、調子が狂う……)
ふと、莉子と目が合う。その瞬間、如月は心臓が締め付けられるような痛みに襲われた。
「くっ……」
痛みに顔を歪め、胸を抑えてしゃがみ込む。心臓が鷲掴みにされるような、痛み。……いつもの痙攣性の発作だ。
(っ、しまった。頓服薬を教室に忘れてきた)
如月の呼吸が浅くなる。脈が速い。今日の発作はいつもよりひどかった。コンクリートの土を爪で引っ掻く。汗が土に染み込む。教室へ頓服薬を取りに行こうと立ち上がろうとした時、温かくて柔らかい指が顔に触れた。
「詠一、様……?」
如月が顔を上げると、青白い顔をした莉子が膝をついてこちらを覗き込んでいた。よりにもよって一番見られたくない相手。
「お、俺に構うな。あんまり近くにいると、怪しまれる……っ」
「そ、そんなこと言っている場合ではありません……! こちらの壁に上半身を預けて、力を抜いてください。脈を確認します。……冠攣縮性狭心症ですね。失礼します、ネクタイを緩めます。この花壇に足をかけてください。ニトログリセリンはお持ちでないですか?」
手際の良い対応だった。莉子に医学知識があったとは、と如月は驚く。その間も莉子は当たり前のように対応を続けている。
(しかもこいつ、自分が手際よく動いてるのに、気づいていない……)
「……っ、薬は教室の鞄の中だ。いつもは明方に発作が起こるから、今は持ち歩いていない」
「かしこまりました。私が取りに行ってきます」
莉子は急いで校舎の中へ走っていった。
如月は緩められたネクタイを握りしめ、目を閉じる。
(病気のことは教えていない。なのに、すぐに病名を言い当てた。何者だ……?)
遠くから如月のもとへ駆け寄る足音が聞こえた。目を開けると、薬とペットボトルの水を持って莉子が薬を飲ませようとしていた。如月は、身を任せて薬を飲み込む。ついでに水を何度も飲まされた。
次第に、胸の締め付けが落ち着いていく。息苦しさも軽減し、脈拍が戻りつつある。
「……落ち着いた、みたいですね。よかった……」
莉子が泣きそうな顔をしながら如月を見ていた。自然と如月の手が莉子の首に回る。如月は、力尽きたように莉子に身体を委ねて眠っていた。
*
「おーい、如月。気づいたか?」
薬と清潔なリネンの匂いがする。如月は保健室で目を覚ました。
「ったく、最近発作が起きてなかったとはいえ、ちゃんと頓服は常備しておけよ。常備薬の意味がねえだろ」
保健医の西野の掠れ声が耳に響いた。勢いよく起き上がる。
(メイドは……!)
咄嗟に莉子を探している自分に気づいて狼狽する。
(なに考えてるんだ、俺は……)
「あん? あの嬢ちゃんのことか? 隣で寝てるさ。緊張がほぐれたのか、ここに来た途端ぐったりでよ。たく、感謝するんだな。すごい形相で走ってきたと思ったら、お前が失神してるって。まあ実際は睡眠不足で寝てただけだったけどな。ガハハッ。ここまで担いでやった俺にも感謝しろよな」
如月はすぐにベッドから降り、隣のカーテンを開けると、すやすやと眠る莉子がベッドに横たわっていた。
「……心配をかけてしまった。こいつには、俺の手当ては重が荷すぎたのかもしれない」
「おっ、珍しく感傷的な詠一くん登場。責任持って屋敷まで送るんだな。……それと、この嬢ちゃん、ナニモンだ?」
肩がビクリと揺れた。
(……それはこっちが聞きたい)
たが、ここで西野に怪しまれると厄介だ。西野はこの学園の教師の中で、莉子のメイド契約について知っている数少ない人物だが、隅に置けない洞察力を持っている。如月は前髪を搔きわけると、莉子のほうをゆっくりと見やる。
「……知らないね。ただのメイドだろ」
*
莉子は戸惑っていた。目の前には、ソファに足を組んで座っている如月。なんだか睨まれているような気がしている。
「おい、メイド。あの対応はなんだ? どうして俺の発作のことを知っていた」
如月の手には、頓服薬が握られている。
「これは俺が管理している。この薬の存在を知っていたら、病気のことはわかるかもしれない。たが、これをメイドに見せたことは一度もない」
「ええっと……」
実は、莉子は如月が発作を起こした時のことをよく覚えていない。慌てて何かの対応をしていた、ような気がするが、詳しい言動は思い出せない。
「なんででしょう……?」
苦笑いで誤魔化してみる。しかし、目の前のご主人様には効果がないようだ。
莉子は思い出してみる、朝からの自分と如月の様子を……。
「……多分、コーヒー、じゃないでしょうか?」
「コーヒー?」
「はい。詠一様は、いつもノンカフェインのコーヒーをお飲みになられます。きっと、カフェインを摂取してはいけない理由がある。過敏症か、何かの誘発因子になるとか。しかし、今朝、詠一様はカフェインの入ったコーヒーをご要望されました。昨夜、遅くまで勉強なされていて、寝不足でしたよね。そして、席替えで私と隣の席になりすごくストレスを感じておられていました。また、朝の授業から一度も水分を摂取されておらず、脱水状態だったのでしょう。さらに、詠一様はカルシウム拮抗薬を内服されています。こちらは、私がいつもお渡ししています。この薬は高血圧や心臓病の方への治療に使用されますが、詠一様は高血圧持ちではない。つまり、狭心症の治療または予防で使用されているということ。発作時、詠一様はベンチに座り安静状態でした。胸を抑えて発汗されており、頻脈、持続時間としても冠攣縮性狭心症に当てはまると判断しました」
目をぱちくりさせる如月に、莉子はハッとする。……自分でも思わぬことを口走っていた。
「……メイド、よく見てるな……俺のストーカー?」
「ち、違います! ええっと、その、ご主人様のことを知っておくのも、メイドの役目ですから」
莉子は苦笑いで誤魔化してみる。……効果がないようだ。
「ま、まあ、毎日飲んでる薬のこと知ってるなら、わかる人にはわかるのか。身内にそういう人がいたとか?」
「あ、そ、そうでした! 祖父が治療のために飲んでいたのを、覚えていたんです!」
嘘だけど、とりあえずそういうことにしておいた。莉子にもあまりよくわからない。この屋敷に来てから、莉子にはたまにこういうことがある。
「……でも、助かった。メイドがいなかったら、他の生徒に見られてたかもしれないし、何よりあの苦しさがずっと続いていた。……か、感謝する……」
目線を逸らす如月の顔は、うっすらと頬が赤く染まっていた。莉子は、今まで如月の心の声を聞いたことがない気がしていたので、こうして素直な言葉を聞けて、胸が高揚した。
「いえ、とんでもありません。詠一様のお役に立てて、私も嬉しいです」
満面の笑みで手を合わせる。この方のメイドをしていてよかった、と心から思った莉子だった。
ーーでも、たまに自分が誰かに操られているような感じがする。自分のなかに、もう一人の自分がいるような、そんな感覚に襲われる。
(これは、なに――?)
*
――観察対象No.417
予期せぬ生理的障害(発作)により、被験体によって直接的介入がなされ、応急処置後、如月詠一の生存維持に成功。対象の行動は予測を超えており、観察者としても興味深い。無意識化で被験体が医学的知識を使用。潜在的知見の活用で、記憶封鎖の解除なくとも被験体の構造の一部に触れることができた。
良質なデータ確保。
第10話をお読みいただきありがとうございます。
ここまで読んでくださった方々、感謝いたします。
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