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第八話 『 天賦の才と、男のプライド 』

その日、リオスは家の裏の訓練場で、信じられないものを見ていた。

彼の前で、父ダリウスと木剣を打ち合っているのは、獣人の少女フィーネ。半年前に彼が森で拾った、あの小さくて怯えていた少女だ。

だが今、彼女の姿に、かつての弱々しさの欠片もなかった。


ダリウスが振り下ろす重い一撃を、フィーネは柳のようにしなやかな体捌きでひらりとかわす。そして、生まれた隙を逃さず、電光石火の速さでカウンターを繰り出した。その動きには一切の無駄がなく、まるで舞いを踊っているかのように美しい。


(えええええっ!? オレより強いんじゃないのか!?)


リオスの心の中で、絶叫が木霊した。

彼が何ヶ月もかけて、血の滲むような努力の末にようやく身につけた技術を、フィーネは、まるで呼吸でもするかのように、いとも容易く使いこなしている。


やがて、訓練が終わりの合図と共に、フィーネはぱっと明るい笑顔を浮かべ、リオスの方へ駆け寄ってきた。その手には、彼女の身長に合わせて作られた、小さな木剣が握られている。


「リオス、どうだった?」


期待に満ちたキラキラした瞳で、彼女は尋ねる。途切れ途切れの言葉だが、その興奮は十分に伝わってきた。

リオスは、引きつりそうになる顔を、無理やり笑顔に変えた。そして、先輩風を吹かせるように、彼女の頭をポンポンと撫でる。


「よーし、よし。中々いい動きだったな。だが、俺のレベルに達するには、あと十年は早い!」


その瞬間、後方で訓練を見ていた父ダリウスが、吹き出すのを堪える音が聞こえた。

「プフッ……」

父は、慌てて顔を背け、肩を震わせている。

リオスは、その父親を、冷ややかな、ジトっとした目で見つめた。


(マジかよ)


その視線に気づいたダリウスは、こちらを向くと、両手を合わせて「すまん…」というように、悪戯っぽく片目を瞑って微笑んで見せた。


全く、どうしてこうなったのか。

事の始まりは、今から一ヶ月ほど前に遡る。


―――――――


フィーネの心の傷も癒え、エルデン家での生活にもすっかり慣れてきた頃のことだ。

リオスは、日課である父との訓練に励んでいた。フィーネは、そんな二人の様子を、いつも家の縁側から、ちょこんと座って眺めているのが常だった。


だが、その日の彼女の視線は、いつもと少し違っていた。

リオスが剣を振るうたびに、彼女の狼の耳がぴこぴこと動き、ふさふさの尻尾が、ぱたぱたと床を叩いている。その瞳は、まるで「遊んでほしい」と飼い主を見つめる子犬のように、純粋な憧れと羨望の光で輝いていた。


ヒュッ、と木剣を振るう。

ちらりと縁側を見る。

きらきらした瞳と、目が合う。

もう一度、剣を振るう。

また、目が合う。


(……なんだその目は……。そんな目で見られたら、集中できんだろうが!)


リオスは、ついに根負けした。

彼は、訓練を中断し、大きなため息をつくと、フィーネの方へ歩いて行った。


「……やってみたいのか?」


彼の言葉に、フィーネは、今まで見たこともないほど、ぱあっと顔を輝かせた。そして、これ以上ないというくらい、力強く、何度もこくこくと頷いた。その喜びように、リオスも思わず苦笑いを浮かべる。


「はっはっは。弟子ができたな、リオス」

様子を見ていたダリウスが、面白そうに笑った。

「いいだろう。一度、やらせてみろ」


ダリウスは、その辺に落ちていた手頃な木の枝を拾い、フィーネに渡した。

「まずは、構えからだ。リオスの真似をしてみろ」


フィーネは、嬉しそうに木の枝を受け取ると、リオスの構えをじっと見つめた。

そして、次の瞬間。

彼女は、すっ、と自然に腰を落とし、完璧な構えを取ってみせたのだ。

それは、リオスが、何週間もかけて、何度も何度も矯正されて、ようやく形になった、あの構えだった。


「…………は?」


リオスの口から、間抜けな声が漏れた。

ダリウスも、目を見開いて固まっている。


「……フィーネ、一度、振ってみろ。俺がやったように」

ダリウスが、信じられないという声で言う。

フィーネは、こくりと頷くと、ダリウスが手本で見せた素振りを、一度見ただけで、完全に再現してみせた。

ヒュッ、と空気を切り裂く音は、まだ小さい。だが、そのフォームは、非の打ち所がなかった。


(嘘だろ……。俺が、あの素振りをマスターするのに、三ヶ月かかったんだぞ……?こいつ、三秒でやりやがった……)


これは、バグだ。世界のプログラムの、致命的なエラーに違いない。

そうでなければ、説明がつかない。

転生者である俺が、こんなに苦労しているのに、森で拾った獣人の少女が、こんなにあっさりと……。これが、物語でよくある「才能の格差」というやつか。


ダリウスは、もはや驚きを通り越して、感心したように唸った。

「……とんでもねえな。これが、獣人の身体能力と、天賦の才というやつか……」


彼は、面白くてたまらないというように、笑みを浮かべた。

「よし、決めた!フィーネ、お前も明日から、リオスと一緒に訓練に参加しろ!お前は、とんでもなく強くなるぞ!」


こうして、フィーネの、恐るべき才能を開花させる日々が始まった。

そして、リオスにとっては、自分のプライドが少しずつ削られていく、受難の日々の始まりでもあった。


―――――――


そして、現在に至る。

リオスは、フィーネの頭を撫でながら、内心でため息をついた。

(まさか、一ヶ月でここまで成長するとはな……。もはや、どっちが先輩か分からん)


彼は、まだ自分の才能が覚醒するはずだと信じている。自分は、大器晩成型の主人公なのだと。

だが、目の前で、圧倒的な才能が、ぐんぐんと成長していくのを見せつけられるのは、精神的にかなりこたえるものがあった。


「よし、今日の訓練はここまでだ!」

ダリウスが、満足そうな声で言った。

「フィーネ、お前は日に日に強くなるな。リオス、お前も、いい目標ができて良かったじゃないか」


父の言葉は、完全に追い討ちだった。

(目標って……。俺は、こいつに追い抜かれるために、毎日、血反吐を吐くような努力をしてるわけじゃないんだが……)


男には、プライドというものがある。

たとえ相手が、可愛らしい年下の女の子であろうと、負けたくないものは、負けたくないのだ。


「ふん、まあな。俺が本気を出せば、フィーネなんて、まだまだ赤子同然だよ」


リオスは、精一杯の虚勢を張って、そう言った。

フィーネは、その言葉の意味が半分も分かっていない様子で、「そうなのかー」と、こてんと首を傾げている。その無垢な姿が、余計にリオスの胸に突き刺さった。


(見てろよ、二人とも……)


彼は、心の中で、静かに闘志を燃やす。

(いつか、俺の隠された力が覚醒した日には……二人まとめて、ぎゃふんと言わせてやる!)


才能ゼロの転生者と、天賦の才を持つ獣人の少女。

二人の奇妙な師弟関係、あるいは、ライバル関係は、こうして、始まったばかりだった。

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