戦争
桜の木の下には死体が埋まっている。
爆発音と子供達の悲鳴が廊下に響き渡る。それを突入の合図とばかりに、遠くの方で足音がし始め、それらは少しずつ大きくなっていく。ここに着くのも時間の問題だ。そして私達を発見するだろう。そうなれば、最悪あの世への片道切符を握らされかねない。早く逃げなければいけない。だというのに。
「い、今の爆発は何!?」「今度はなんだ!?」「何があったの?何が起きているの!」「もしかして僕達を助けに来たんじゃ…」「じゃあなんで爆発音がするのよ!?」「怖い、怖いよぉ!」「だ、大丈夫だよ!なんとかなる!」
こいつらは何故逃げようとしないのか。爆発があれば直ぐに逃げるのが普通だ。だがこいつらは自分が死ぬ可能性など微塵も頭にない。戦争の授業も聞いている振りをしながら、右から左へ聞き流しているに違いない。今すぐにでも怒鳴りたい気分だったが、そんな場合では無いとわかっていたので、拳をぐっと握りしめ我慢した。そしてこの状況を切り抜ける方法を探す。みんなが叫んでいる間、足音は刻一刻と迫っていた。職員室側の廊下方向から聞こえてくる。1年生の教室を抜け階段の横の出入り口に行くには距離が長すぎる。向かう途中で見つかり、背中を撃たれるやら刺されるやらで全滅だ。となると外への逃走は不可能。逃げる以外の選択を取るしかない。そう、教室に隠れることだ。今の所これが最善策だろう。幸いここは1階だ、窓から逃げることもありだ。結論に至った頃、職員室側の廊下から複数の声が聞こえてきた。どれも低い声だ。私は急いで皆に教室に隠れるよう伝えた。しかし、パニック状態の皆に私の声が届くはずもなく、テレビのドッキリだとかもう皆避難したんだとか、ありもしない希望に縋り猿のように大きな声で、それが死神達を引き寄せる音だとも気づかずキーキーと喚く愚か者達に、私は思わず軽蔑の眼差しを向けた。もう間に合わないと思った。全員ここで死ぬのだと。曲がり角に銃を持つ手が見えた次の瞬間、私は____。
1人で教室にいた。自分でも信じられなかった。体が勝手に歩いていったのだ。「え?」小さく呟いた直後、廊下から悲鳴が聞こえ始めた。悲痛な悲痛な、子供達の不協和音。逃げ惑う足音達と、それを追いかける足音達。鬼ごっこにしては残酷で、戦争にしては一方的なそれは、純新無垢な子供達が、無邪気に蝉の死骸を千切って遊ぶ光景よりも醜悪だった。私は両手で耳を塞ぎ、カタカタと震えた。何も知らなかった。知ったふうにしていた。戦争の醜さを肌身で感じた。無知は罪だと、心が脳に激しく訴えかけている。もう何も見たくない、聞きたくない、感じたくない、そう思った。そこに、1つの悲鳴が塞いでいるはずの耳に響いてきた。真菜の悲鳴だった。私は恐る恐る閉められた扉を小さく開けた。そこに映った光景は、真菜が1人の男に撃たれる瞬間だった。脚を撃たれて転び苦しんでいる。廊下の左側から、真菜を呼ぶ声が、小さく聞こえた。撃った男は真菜を引っ張り、服を脱がそうとした。その光景は、私を憤怒させるには十分すぎた。頭に血が上り、脳が私の身体から吹き飛ぶような感覚に陥った。教室にあった刺股を掴み取り、扉を思いっきり開けた。撃った男とその取り巻き達が、驚いたように此方を振り返った。全部で8人。私は雄叫びを上げながら、1番手前にいた男を袈裟押さえにし、その勢いで後ろにいた奴らも壁に押付けた。そしてしゃがみ込んでいた男の首元を蹴り上げる。気絶して倒れた。だが子供の力で軍人7人の動きを封じれる訳もなく、刺股を奪われた勢いで床に打ち付けられた。頭をぶつけて視界が歪む。背後から足音が聞こえてきたと思ったら、胸ぐらを捕まれ持ち上げられた。足が地面から離れる。苦しみながら目の前を見ると、拳が飛んできた。顔面に広がる激痛。馬鹿な真似をしたと思った。その後も3発殴られ、目の前が赤く染った。私の動きが無くなると、男は舌打ちしながら乱暴に私を投げ捨てた。子供の顔面を本気で殴るか普通?朦朧とする意識の中隣にいる、脱がされたシャツで胸元を隠す真菜を見た。真菜も私を見ていて、その顔は恐怖で塗りつぶされていた。その恐怖は男たちに向けてか、はたまた血塗れの私に向けてか。どうでもいいことを思いながら、私はこの後の自分を想像した。このまま地面に突っ伏していれば、犯されるか殺されるかのどちらかだろう。どちらにせよ、私の向かう先はあの世だ。それを思考して、私は走馬灯を見た。過去の家族との幸福に満ちた思い出達。そして今の、家族の害虫を見るような目。最後に映ったのは___悪魔のように笑う妹。
消えかけていた命の火が、再び私の目に宿った。憎悪、復讐、嫉妬、憤怒……あらゆる感情を火に焚べて。まだだ。まだ死ねない。あいつを、あいつらをこの手で壊すまでは。宿ったその火…感情は、私の命の火を燃え上がらせた。この炎をもっと燃え上がらせろ。目の前の敵達を焚べて。何としてでも、絶対生きろ。
私はは覚悟を決めた。
気絶した男の隣に転がる軍事用ライフル銃を取る。外部への連絡を取り終わった男が最初にそれに気づいた。が、もう遅い。私は一切の迷いなく、銃の引き金を引いた。その弾丸は胸を貫通し、男の背後で床を跳ねる。それとほぼ同時に、私は残りの6人に向けて銃を乱射した。銃の反動で腕がもげそうだった。5秒ほど経った直後、6人は後ろへ倒れた。流れ出る血溜まりが、6人の死を私に教えた。よろけながら立ち上がった瞬間、脚に激痛が走った。呻き声を上げ、片膝を着く。脚を押さえながら後ろを向くと、最初に気絶させた男が立ち上がっていた。その手にはハンドガン。ポケットか懐にでも隠し持っていたのだろう。男は血走った目をして、再度その引き金の指に力を入れた。私は死の危機を猛烈に感じた。燃え上がった炎を思い出し、獣のような声で男に飛び掛かる。狼狽える男を押し倒して馬乗りになり、顔面を殴り付けた。拳が悲鳴を上げていたが、そんなのどうでもよかった。4発目の時、殴る左腕を誰かが掴んだ。押し倒している男だった。動きが止まった一瞬を見逃さず、男はハンドガンを掴み取り私を撃った。利き手じゃない方で撃ったからか、狙いがズレて私のこめかみ近くをかすった。血が流れてきたので、反射的に片目を閉じた。外れたのを見て男は直ぐ様ポケットのナイフを取りだし、私の顔面を狙った。その腕を掴んで回避しようと試みた。逸らすことは出来たが、私の右頬を深く切った。そんなものお構いなしと、私は男の腕を殴りナイフを手放させ、そして、男の体を刺した。何度も刺した。男は刺される度に体を跳ね上がらせ呻き声をあげていたが、私が数回刺し終わると何も発さない人形のようになっていた。全て終わった頃には、死体に刺さったままのナイフをまだ掴んだ状態で、私は肩を上げ下げして息を切らしていた。全身から汗が噴き出している。体が熱い。人殺しという名の悪夢が、私の中に入ってきたかのようだ。負傷した部位の痛覚が遅れてきた。その燃えるような痛みに悶えながら、私はゆっくりと立ち上がった。そして真菜の居る方向を見た。真菜の顔はさっき見た時よりもさらに恐怖に塗れていて、怯えた目で私を見つめていた。手を伸ばすと何をされると思ったのか、悲鳴を上げて死体と反対の廊下へ這いずり出した。その先にいる他の5人の方を見た。5人も真菜と同じ顔で、私をじっと見つめていた。___まるで化け物でも見るかのような目で。私は絶望した。しかし納得もした。学生が、同級生が、友人が、大の大人を8人も殺したのを目の当たりにして、怯えない方が無理がある。仕方がない。不可抗力だ。理性で無理矢理心を切り替え、腕で顔の2種類の血を拭った。そして歩き始めた。野良猫に近付くように、ゆっくりと。6人は怯え、恐怖で足がすくんでいた。私が1歩近づくほど、その顔の青が深まっていく。1メートルほどの距離を残して、私は立ち止まった。誰も動かない。誰も喋らない。私の指先から床に落ちる雫の音だけが、廊下に響き渡っている。その音が10回ほどした時、私はゆっくりとした口調で喋り始めた。
「さっきのみんなの質問、まだ答えてなかったね」皆の表情は変わらない。
「これは、戦争だよ」
皆の表情が変わった。訳が分からないというように困惑し、その目は揺れている。
「もう平和な日本じゃないんだよ、ここは。」
「そ、そんなこと急に言われたって、無理よ!」
叫んだのは一羽さんだ。そしてそれに呼応するように、他の皆も叫び始める。
「そうだ!何が戦争だ!そんなのあるわけないだろ!?」「そもそも戦争がこの国である訳…!平和主義のこの国で!」「どうして私がこんな目に…!」「死にたくない、誰か助けて!!」「母さんッ!」好き放題叫ぶ子供。そんな6人に腹が立った。そしてとうとう、私の堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ!!!」
一瞬で静かになった。真菜が初めて見る私の怒りっぷりに目を白黒させている。
「戦争なんてない?起きるわけが無い?誰か助けて?甘ったれたこと抜かすのも大概にしろ!」
男を殴った手で隆史の胸ぐらを掴む。
「もう一度言ってやる、これは戦争だ!平和な街は無法地帯と化し、人間の醜さが剥き出しになり、自分の正義を武器に人を傷付け弄び、そこらの蟻のように簡単に殺し殺される!人権を、生きる権利を与えてくれる奴なんて居ない!強者は玉座でふんぞり返り、弱者は殺与奪権をそいつらに握られる!年齢も性別も関係ない。金と権力と地位を持つやつ、そして!自分の為に他人を蹴落とすことが出来るやつだけが生き残れる、生死を賭けた愚かで醜悪なデスゲーム!それが戦争だ!!!」
全員目を見開き、呆然と息を切らす私を見つめている。誰もが言葉を口にしない中、1人がこれだけ言ってもなお反論した。一羽だ。
「わ、私は関係ない、!誰も殺したくない、誰にも殺されたくない!お母さんとお父さんと、ずっと暮らしていたい…!生きる権利も人権も、失いたくない!奪われたくない!」
涙ながらにそう訴えかける一羽を見て、私は怒りが込み上げてきた。歯軋りの音が自分の口の中から聞こえた。隆史から手を離し、一羽の長い髪を引っ張った。痛みを訴えかける一羽を死体の所まで連れていく。他の5人も私を止めようと追いかけてきた。一羽の両手両足を床につかせ、強制的に顔を前へ向かせた。その目線の先には8つの死体が転がっている。
「よく見ろ!目を逸らすな!さっき見ただろう?私が殺した!理由は殺されそうになったからだ!自分が殺される前に相手を殺さなければ死ぬ!親と平和に暮らしたいなら、人を殺さなきゃいけない、生きるために!」
「私に人殺しになれって!?」
「ああそうだ!」
一羽の肩をつかみ私へと視線を移させる。子供の迷うその目を見つめながら、懸命に言い聞かせる。
「殺人は、初めに覚悟を決めるだけでいい!後は何も考えるな!恐怖も後悔も自分の醜悪さも!考えるのは生き抜いた後でいい!全部忘れろ!……さっき言ったな、生きる権利も人権も、失いたくないと、奪われたくないと」
少し間を置いて、私は静かに諭す。
「失わなくていい、捨てなくていい。国も他人も与えてくれないなら、自分が与えろ」
一羽はハッとした表情を浮かべた。
「奪われそうなら死ぬ気で守れ。殺されそうなら相手を殺せ。どれだけ自分が醜く見えても、外道に成り下がっても、自分を信じ己を突き通す事が出来る者は、美しいのだから」
一羽は私を見つめていた。先程のような目ではなく、目に輝きが宿ったように。それは周りの者達も同じだった。
これが桜武美香の、伝説の始まりだった。
夏に生まれた、美しい桜。




