中
「ま、とりあえず、話くらいは聞こうじゃないか」
「……」
「ほれ、缶コーヒー。俺のおごりだよ」
「……」
「B◯SSのブラック。缶コーヒーだと、これが一番好きだったろ」
俺は、ひとまず涼をベンチに座らせて、落ち着かせた。近くの自販機で、飲み物を買って、彼女に渡す。
「……ありがとう」
涼は、疲れきった瞳でそれを受け取ると、口を開けて飲んだ。
しばらく見ない間に随分、雰囲気が変わった。明るい一方、それでいて芸術家気質な奴特有の、頑固で気難しい面が共存する不思議な雰囲気な奴だったが、今は身だしなみは整えているものの、いかにもジメジメとした負のオーラを放っていて、陰気な雰囲気を感じさせる。
茶髪と、金色がかった瞳は、一年前と変わらないはずだが、くすんで見えるのは、現在の涼の雰囲気のせいだろうか。
「……俺を捨てて、きっしょいおっさんになびいた事には怒ってはいるが、今はそこまで怒ってはいない。一年もすれば、流石にこっちも心の整理はつくさ」
涼の方から口を開き辛そうだったので、俺の方から話かける。彼女は明らかにビクビクしていて、気まずそうだ。
「なんで自分の命を粗末にしようとした? 俺は、それに本気で怒ってるんだが」
怒気を含んだ、威圧感のある声に、涼は少したじろぐ。一瞬、涙がこぼれそうになったが、それはギリギリ耐えた様だ。
「……栄と別れた後、色々とあったの」
「何があったかは知らんが、自殺はいかんよ。涼のお父さんとお母さん、お前が反対を押し切って、東京に行った後、随分心配してたぞ。そんなおじさん達がお前が自殺した、なんて聞いたらどう思うよ? それに、俺だって、お前の事は恨んではいるが、死んで欲しいとまでは思ってない」
そう言って、俺は自分の缶コーヒーに口をつけた。それから更に言葉を続ける。
「それに、知ってるか? 子供が親より早く死ぬと、死んだ後に賽の河原で延々石積みをやらされるんだ。お前だって嫌だろ? 無意味な謎の強制労働なんて」
「……そう、だね」
「だからもう自殺なんて考えるなよ」
そう言われて、涼は静かに頷いた。
それから、彼女はポツリポツリと話し始める。
「私にも本当に色々あったのよ。色々」
「……何があった? お前は嫌な奴だが、話くらいなら聞いてやる」
「優しいんだね。栄は」
「曲がりなりにも旧知の仲の奴に死なれたら、俺だって気分が悪いだけだ」
「……一年前の夏、栄を捨てて、親も故郷も捨てて、私は社長さんの愛人になった」
ゆっくりと、涼は口を開いた。
「始めの頃は良かった。たまに社長さん相手に股を開いて、心地良い言葉を囁いていれば、生活資金も、画材も好きなだけ与えてくれた」
「良い仕事だな。愛人屋ってやつは」
「ええ。その時は良かった。なんなら、最高に調子に乗ってた。私には才能がある。これくらいの恵まれた環境にいられる権利があるって、おごっていた」
涼はそこまで言って、ため息をついた。
「それからしばらくしてからね。歯車が狂いだしたのは。まず、社長さんの会社の経営が傾いた。社長さんの会社、元々かなりブラック企業でね。どんどん人を使い潰していった結果、悪評が世間に知れ渡って、新しく入る人がいなくなっちゃった。それから人手不足で徐々に職場が崩壊して、サービスの質も悪化の一途を辿って、最終的に経営自体が破綻した」
「はっ! ブラック企業らしい末路だ。ザマァみやがれ」
俺は、久々にスカッとした気分になった。因果応報。おごれる者も久しからず、だ。
「負債は相当な額でね。愛人を囲うどころの話じゃなくなった。最終的に私はお役御免で、いきなり別れを切り出されて、放り出された。社長さん自身も借金取りに追われて、今はどこにいるのか、そもそも生きているのかすら分からない」
一呼吸置いて、涼は話を続ける。
「でも、まだ、私の心は折れていなかった。まだ、金の卵を産むガチョウが死んだだけ。私にはまだ、この腕がある。バイトを掛け持ちして、美大の学費を捻出しながら、いつか、絵で名をあげてやるって野望を捨ててはいなかった」
進退窮まった状態で、手っ取り早く春を売って稼ごう、なんてならない辺り根は真面目なんだよな、こいつ。
「……決定的だったのは、あの発明のせい」
「発明?」
「AIよ。画像生成AI」
そうイライラしながら、彼女は吐き捨てる様に言った。
「噂には聞いた事がある。少しコツさえつかめば、素人でも美麗なイラストを作れるって……」
「……あれによって、私の心はへし折られた。私が、何時間も、何日もかけて描いた絵と同等か、それ以上のクオリティの絵をたった数秒で作り出す、人工造形神。あんな邪神に、人の身で勝てる訳がない。私の、これまで積んで来た努力が全否定された気になって、絶望して……そこからはもう駄目。腐る一方。心を病んで、どんどん精神的に落ちぶれていった」
そう言って、涼は自身のスマホの画面を示した。そこには彼女のSNSのアカウントが表示されていた。
「最近は偉そうな事を言うだけで、ロクにイラストだって描いてない」
かつて、定期的に自身のイラストをアップロードしていたであろうアカウント。見るとそこに、最近投稿されたイラストは無かった。代わりにあったのは、AIと世間への呪詛。中には、よくもまぁこんな発言を全世界に向けて発信出来たな、と思える程ゾッとするものさえあった。
気がつくと、彼女はうっすらと涙を浮かべている。
……今、AI嫌いの人間が泣く姿を、AIイラストで描くという特大級の尊厳破壊が行われた気がする。これがザマァの一つになるかどうかはともかく、俺は何も言えない状態で、彼女にスマホを返した。
「本当に色々と、間が悪かったな」
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心ってやつよ。なにくそ、機械に負けるかって奮起する事も出来ず、いっそ、開き直って自作品に最新技術を使おうって気概もなく……。プライドが高過ぎた。嘲笑ってよ。向上心の無い馬鹿女って。同情されるより、そっちの方がかえって気が楽になる」
「重症だねぇ。……で、今後はどうするんだよ? 我が友、李徴子さんよ」
「分からない」
涼は、空になった缶コーヒーの容器をもて遊びながら、言った。
「…………絵は、続けたいと思ってる。まだ、描けるかは分からないけど」
「じゃあ、続ければ良いじゃないか。何もかも捨てて、最後に残った筆まで折ったら、それこそ負け犬だぜ? あと、とりあえず、自殺はやめろ。それこそ、死んだらそこで終わりだ。あの世から、絵を現世に投稿する事は出来ないんだぞ」
「ん」
一応、涼は頷いてくれた。本当にこれで自殺衝動が収まるかは分からないが。
「今日はね、都会の喧騒から離れて、久しぶりに故郷の景色を見たかったの。当てもなく、ブラブラして……ふとSNSを見たら、あるAIイラストがバズっててね。面白く無くて、作者にレスバふっかけたら、法律の話と正論でボッコボコに論破された挙げ句、「お前の下手くそな絵なんて、AIに学習させる価値も無い」なんて、私の作品にまで酷い事を言われて、いよいよ心が折れた。衝動的に線路に飛び込もうとした」
「自分から、見ず知らずの相手に喧嘩売ってそれじゃあ、世話無いね」
「言霊よ。普段、ネガティブな事ばっか書き込んでるから、自分に返ってきたんだ」
そう言って、涼は大きなため息をついた。
「とりあえず、お前はしばらくSNSはやめろ。悪いものが全部そこから来てるじゃないか。ありゃ、精神病んでる奴には過ぎた玩具だよ。大体なぁ、文字だけで相手の思想信条を正してやろうなんて考え自体、傲慢なんだよ。第一、お前の考えが絶対に正しい根拠もどこにあるんだ? あぁん?」
「……うん」
「あと、お前はもう少し、現実世界の人間に頼れ。繰り返すけど、おじさんやおばさん、心配してるぞ。顔くらい見せてやれよ。あの人達なら、俺なんかより、もう少し、親身に聞いてくれるだろうさ」
「……うん。なんだかんだ、優しいね栄は」
「お前はしょうもない裏切り者だが、それでも鬱になったり、死んだりしたら寝覚めが悪いだけだ」
「やっぱり昔の事、怒ってるじゃん……」
「やられた側はいつまでも覚えてるんだよ。そういうもんだ」
本作に画像生成AIの是非を論じる意図はありません。また、議論をふっかける様な感想、その他荒れそうな感想は削除させてもらうのであしからず。