エンゲルとの因縁③
「なるほど。経路は不明だが術式が邪神軍に漏れて、当面の敵のネクロマンサーに手こずっているから力を貸して欲しい、と」
俺たちはリーベルさんに事の顛末を話し、協力を要請した。
「あぁ、そういうことだ。経路については一応王宮でも調査するとは言っていたが」
「そういうことかい。なら答えはNOだ。悪いことは言わん。寒波が本格的になる前に帰るこったな」
リーベルさんは俺の要請を即座に断ると、そそくさと踵を返す。
「待ってくれ! アンタの言いたいことは分かる。一方的に研究室を潰しておいて、何言ってんだって話だよな?」
「…………」
「でもな。大人なら分かるだろ? 今は守りに徹しているが、このまま奴らを放置しておけば近隣の街に危害を加えかねない。暫定勇者の討伐軍はもうじき邪神城へ到着するとも聞いた。ネクロマンサー如きのためにわざわざ引き返してくるとは考えにくい。だから俺たちで何とかしなきゃなんねーんだよ!」
どうして俺はこんな言葉しか出て来ない。
だがそれも当然、か。
旅に出てからの半年間、俺は常に邪神討伐の表舞台にいた。
言わば裏方の彼が、どんな想いで聖都を飛び出したのか、想像もできない。
結局、俺も都合が悪けりゃ正論に逃げるしかなくなる。
リーベルさんはこちらに振り向き、顔を強張らせて言う。
「なぁ、マルクさんよ。さっきから立派な講釈垂れてくれるがな。俺はアンタの母親の事情も知ってんだよ」
「っ!?」
彼の口から思わぬ人物が飛び出し、言葉に詰まる。
クルーグやルイスの話では、俺の母親は邪竜との戦いの後、俺の呪詛を解くためにありとあらゆる人物のもとへ赴き、頭を下げていたらしい。
当時聖都は、〝次なる勇者〟探しに躍起で俺の容態など気に掛ける余裕はなく、彼女に本気で協力する者は少なかった。
まさに孤立無援だったのだろう。
そんな彼女の努力がようやく実を結んだのは、邪竜戦の1年後だった。
一人の解呪魔法に精通する教誨師と出会い、俺に掛けられた呪詛の効力を大幅に弱めることに成功する。
そうして長い眠りから覚めた俺を待っていたのは、ある意味勇者にとっては死よりも辛い現実だった。
かつての見る影もないほどに体は衰え、魔力は減退。何より自分が原因で人々の平和が脅かされると思うと、気が気でない。
そんな俺を見かねた彼女は、もう一度呪詛を解いた教誨師のもとへ訪れる。
しかし、それが皮肉にも運命が狂い出すきっかけとなる。
というのも、その男が邪神に唯一対抗できる存在として魔神・シャハトを崇める魔神教の幹部であったからだ。
毒を持って毒を制す。
そう主張する男の口車に乗せられ、母親は入信してしまう。
無論、俺は反対した。
魔神の信憑性、組織そのものの胡散臭さ。
どれをとっても、賛同する要素がない。
だが今思えば、俺は内心本気ではなかったのかもしれない。
と言うより、知らず知らずのうちに逃げていたんだと思う。
母親から、そして何よりそんな母親の期待に何一つ応えられない自分自身と向き合うことから。
「実はな。一度俺のトコにもアンタの母親が相談に来たんだよ。息子の呪詛の後遺症を何とかして欲しいってな」
「……聞いてねぇよ」
「まぁその時は研究・開発までに時間がかかる上に、予算の都合上しばらくは難しいと言って帰ってもらったがな」
「……今、お袋のことは関係ねぇだろ。俺が聞きたいのは、アンタが協力してくれるかだ」
「勝手だな」
リーベルさんはそう言うと、次の瞬間には不快感を隠すことなく、まくし立てる。
「別に研究室なんてどーだっていい。術式の神薬? あんなのどこで作ろうと同じだ! 必要ならいくらでも作ってやる。俺が許せねぇのはな。勝手に国家財政とやらと天秤にかけて、一方的に切り捨てることだ。全部テメェの物差しじゃねーか。聖都はそうやって人も物も切り捨ててきたんじゃねぇのか!?」
彼の主張はもっともだ。
人々の命や安全は、リスクリターンなどという言葉で片づけていい問題ではない。
何か別の意図でもない限り……。
「分かるだろ? 邪神以前に術式は事実としてそこにある。実際こうして敵に利用されてんだ。それとな。術式に目をつけるのは邪神軍だけとは限らないぞ」
「……アンタもやっぱり聖都の中に裏切り者がいると思うか?」
リーベルさんは黙って頷く。
「なぁ、マルクさん。もしアンタの母親が術式の漏洩の原因だったらどう思う?」
「おいっ!? それはどういうことだ!?」
「そのままの意味さ。アンタの母親が盲信している組織が全ての元凶かもしれないつってんだ!」
正直、頭が追いついていかない。
彼の言うことが正しければ、間接的に俺が原因と言われても言い逃れできない。
俺は本当に何も分かっていなかったようだ。
「アンタの母親がヘンな宗教に嵌っちまった原因は俺にもある。すまなかった。当時の研究室はカツカツで本当に出来なかったんだよ。だがな……、偉そうなこと言う前に、アンタこそ事の重大さ分かってんのか!? スコトス・カストリアは飽くまでも話の一部であり、入り口だ。仮にも息子ならちゃんと見張っときやがれ! このまま放置しておけば、取り返しがつかなくなるぞ! 最悪、聖都から」
「あのっ!」
リーベルさんを遮るように、フィリは突如として声を上げる。
どんなタイミングで割り込んできてんだよ……。
あまりの唐突さに怒りよりも呆れが勝る。
いや、正直に言えば俺はフィリに救われたのかもしれない。
彼の言葉の続きは敢えて聞きたくもないものだったろうから。
「お取込み中のところ申し訳ないのですが、どうしても気になっていたことがありまして……」
ペースを乱されたリーベルさんは、頭を掻きつつ渋々とフィリに応じる。
「何だ?」
「あの……、ケルトさんとはどういったご関係で?」
あまりにもストレートなフィリの質問に、リーベルさんは顔をしかめる。
「アンタには関係ないだろ」
「関係ありますっ! 私、彼女とお友達だったんですよ!? 久しぶりに来てみたら、ケルトさんは私のこと知らないなんて言うし、ずっと独身貴族だと思っていた彼女が男の人と暮らしてるし……。コッチは軽くパニックですよ!」
「パニックなのはコッチだっつーの! あとアンタ、失礼過ぎでしょ!」
フィリの一方的な物言いにケルトさんは憤慨する。
しかし、この様子では更に話が拗れそうだ。
「アンタ、このケルトの友達ってのは本当か?」
リーベルさんは真っ直ぐにフィリを見据えながら、問いかける。
「本当ですよ! 父の代からのライバルであり、親友みたいなものです!」
フィリがそう告げると、リーベルさんはしばし沈黙する。
その後、フゥと息をつき覚悟を決めるように話し出す。
「……まぁ、そうだな。それなら少なくともアンタには話す必要がありそうだな」
「ちょっ!? 本気!? こんな女、まともに相手する必要ないでしょ!?」
「ケルト。お前も聞いてくれ。どの道いつかは言わなきゃならねぇんだ……」
「え? それはどういう……」
戸惑うケルトさんを横目に、リーベルさんは事の次第を淡々と話し出した。
3ヶ月前。
聖都の一方的な都合により、神薬研究室を潰された頃の話だ。
行き場を失ったリーベルさんら研究員は、次の食い扶持を求め、このエンゲルの街へ辿り着く。
当初、彼らは主に軍事向けの神薬の研究に携わっていたこともあり、連邦軍に志願していた。
この点についてはルイスの言っていた通りだった。
だが、結論から言えばリーベルさんが部隊へ入隊することはなかった。
そもそも行商人も言っていたことだが、スロスビー連邦の人間は聖都の人間を快く思っていない。軍へ志願したのも、聖都の諜報活動だと疑われていたらしい。実際、軍部側もリーベルさんたちの受け入れには慎重だった。
そこでリーベルさんは、彼が個人的に持っている聖都の機密事項の一部を開示することで信用の獲得を試みる。
この行動により、軍部の中で一定の評価を得ることに成功する。
その後、ようやく話はまとまりかけたが、事はそう単純には運ばなかった。
というのもこの件について、彼とともに来た同僚の一人が、聖都の中枢に垂れ込んでしまったからだ。
まぁ要するに、その同僚はリーベルさんの監視役として聖都の中枢と通じていた、ということだ。
これを理由に聖都は、連邦政府にリーベルさんの身柄の引き渡しを要求する。
当然、リーベルさんはこの要求に反発した。
そもそも、一方的に彼らを切り捨てたのは聖都の方だ。今さら彼の行動を背信行為として罰するなど道理に合わない。
スロスビーにしても、もらい事故のようなもので、本来であれば関与すらしたくない一件だったろう。とは言え、聖都とは邪神討伐の件で表面上は協調関係にあるため、表立って対立することは出来なかった。
そこで連邦政府はある妥協案を提示する。
それはリーベルさん自身の採用を一旦白紙に戻し、彼の身柄を民間へ引き渡す代わりに、他の研究員を軍部で迎え入れること、だった。
一時的に聖都の要求を呑むポーズを取り、リーベルさんを形式上逃亡犯とすることでスロスビーとしての立場を守る、という算段だったのだろう。
リーベルさんはこの提案に賛同し、軍部への入隊を辞退する。
だが、民間への引き渡しといっても、そう簡単にいくはずもない。
ただでさえスロスビーの人々は、聖都に対して疑心暗鬼だ。ましてや、引き渡しを要求されている人間の受け入れなど、誰が見ても危険な橋である。
そんな中、手を挙げたのがケルトさんだった、ということらしい。
「なるほど。ではケルトさんは、連邦政府からの要請を受けてリーベルさんを匿っている、ということですか」
「あぁそうだな。コイツの親父さんは宿屋を開く前はフレミングの地方政府に居たらしくてな。何でも近隣諸国からの難民の受け入れに前向きだったらしいんだと。まぁそれが原因で上と揉めて、親父さんは政府を追われたらしいんだが。そんなことがあったから、俺を拾ったってのも単なる気まぐれってわけじゃねぇんだろうよ」
やや他人事染みた言い方でリーベルさんは話す。
確かにケルトさんにそういったバックグラウンドがあるなら、彼女が当時のリーベルさんに対して何かしら思うところがあったとしても不思議ではない。
だが、もしリーベルさんが握っていた機密事項が、聖都にとって相当に不都合なものであれば、死に物狂いで彼の居場所を割ろうとするだろう。
そうなれば必然的に聖都の矛先はケルトさんにも向く。
更に言えば、元々連邦政府は難民の引き受けに後ろ向きだった。
万が一、リーベルさんが国内でイザコザを起こせば、彼とともに連邦政府の方針と対立する勢力を排除する大義名分となる。
実際、彼女の父親は政府から追放されたわけだ。
穿った見方かもしれないが、連邦政府は何かしらトラブルを起こすことを見越して、ケルトさんに彼の身を託した可能性もある。
そう考えればリーベルさんの話には、どこか違和感を感じざるを得ない。
果たして、彼の言うような理由だけで、彼女はリスクを冒したのだろうか。
ふとケルトさんの方へ目を向けると、顔を俯けたまま打ち震えていた。
「つぅことだ。分かったか、ケルト」
リーベルさんは、ケルトさんの方へ目を向け言う。
「……何それ。私のこと騙してたってこと?」
ケルトさんはリーベルさんを睨みながら、声を震わせる。
「まぁ……、取りようによっちゃそうなるな」
そんな彼女の問いかけに、彼はどこかバツが悪そうに答えた。
「そう……。ごめんなさい。ちょっと出てくる」
「ちょっ!? おいっ!」
そう言うと彼女は俺の制止を気に留めることなく、宿のカウンターを離れ、店を出ていってしまった。
「あの……、これはどういう……」
オロオロと気まずそうにフィリは聞く。
「そうだな……。まずはフィリさん、だったか? 申し訳なかった!!」
「へっ!?」
リーベルさんの思わぬ言葉にフィリは反応に窮す。
「アイツの記憶を奪ったのは、俺だ」