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秦の誓い  作者: rona
第3章 昭襄王の時代
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馬は貴重品だった

 ここで少しだけ『資治通鑑』にはない補足を入れておきます。なぜならば、ここでちょう胡服こふく騎射きしゃを軍隊に導入したことは、一定の意味を持っていたからです。


 もともと中原ちゅうげんの国々の戦いは、四頭引きの戦車せんしゃを中心とした戦車戦で、『詩経しきょう』の秦風しんふうなどにはその戦車の描写がなされ、清朝しんちょうの学者の考証こうしょうの対象となっているとも聞きます。『論語ろんご』などによると、服装も当時は日常着ているものは、しょう(スカート)などが中心であったのではないかと思います。胡服、つまり騎馬にのるためのようなぴったりした衣服は、一般的ではなかったのではないでしょうか。


 しかしここに、趙の武靈王ぶれいおうという人物によって、これまでの戦車戦術に対し、騎馬への直接乗馬や騎射による、騎兵戦術へと戦術が一部転換したことが見られます。


 春秋しゅんじゅう時代の馬は非常に貴重きちょうな生き物でした。馬を何匹持っているか、ということが財産の基準として『論語』でも何回か出てきていたと思います。だから身分の高く、財産のある人物しか四頭も馬をそろえる戦車には乗ることはできなかったのです。この戦国時代のことについて、私は専家せんかではありませんので、深く言及することは避けます。それでも、馬に乗ることができるのは身分の高い人物のみだったでしょうし、騎馬の数が春秋時代と同様に、富や勢力の象徴や実力であり、騎馬の機動力が勝敗を決したことも容易に想像できます。


 前章で「だい」という地方、「無窮むきゅう」という地、つまり草原地帯を趙が手に入れたわけですが、これは軍事的には非常に重要なことだったのではないでしょうか。


 中国の中原と呼ばれる地域は基本的に緩やかに斜めか、平らな地形と、湿地と、入り組んだ河が広がっているように、私は想像しています。(もちろんわが国にないような大きな山脈もあります。ただここでは概念的がいねんてきになりすぎるかもしれませんが、それをはぶきます)


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