智襄子、趙襄子に屈す
趙襄子は、張孟談という配下に湖を包囲網をくぐらせて、韓康子、魏桓子に会わせ、説得を行いました。
「私が聞きますに、唇が亡ぶれば齒は寒い、と申します。今、智襄子は韓氏、魏氏を率いて趙氏をせめておりますが、趙氏が滅びれば、次は韓氏、魏氏の番でございますぞ」
二人はそれぞれ答えました。
「私たちは心ではそのことを知っている、しかし、計略が終わらないうちに謀が漏れるのが怖いのだ、そうなれば禍はたちどころにやってくるだろう」
張孟談は二人を励ましました。
「謀がお二方から出て、私の耳に入るだけでしたら、どうして心配する必要がありますでしょうか」
そして盟約はなり、張孟談は再び城に戻っていきました。
趙襄子は張孟談の計略により、堤を守る兵士を殺し、智氏に水が流れるように堤を切って、水を陣に注ぎ込みました。
水に飲み込まれ命を落としたものは多く、あとからやってきた趙氏、魏氏、韓氏の軍勢に、智氏は総崩れになりました。
智氏の軍勢は敗走し、智襄子は殺されました。そして智氏は皆殺しにされました。
そして名前を変えていた、輔果の一族だけが生き延びたのです。
こののち、この智氏の滅亡と、趙氏、魏氏、韓氏の勢力の伸長を基に晉国は解体され、中国の戦国時代が始まることになります。