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秦の誓い  作者: rona
第3章 昭襄王の時代
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悼武王が亡くなり、昭襄王立つ

 しゅう赧王たんおうの六年(B.C.三〇九)、しんは初めて丞相じょうしょうを置き,樗里疾ちょりしつを右丞相としました。


 七年(B.C.三〇八)、秦とおうで会しました。


 八年(B.C.三〇七)、秦の武王ぶおう甘茂かんぼうをして魏と協力してかんたせました。甘茂は六万人の首級しゅきゅうを挙げ、ついに韓の宜陽ぎようを秦は攻略しました。韓が和平を秦に求めました。


 秦の悼武王とうぶおうは力を使って遊ぶことが大好きでした。そのため、力士りきし任鄙じんひ烏獲うかく孟說もうえつのようなものが、大官たいかんとなりました。


 この年の八月、悼武王は孟說とかなえげる遊びをし、血管が切れて、亡くなってしまいました。(胡三省こさんせいの注はこれを周の九鼎ここのつのかなえを上げたのではないかと比定ひていしているようですが、詳細はわかりません)


 そのために、孟說の一族を、秦は皆殺しにしました。(ぞくす、とあります)


 悼武王には子がありませんでした。異母弟のしょくが燕に人質となっていましたが、秦の人々は、稷を迎えて擁立ようりつしました。この人を昭襄王しょうじょうおうと申しあげます。


 昭襄王の母は羋八子びはっしという人でした。(八子というのは位を指します、順位としてはそれほど高くない位の人だったらしく、姓がです)この人は、楚のひとでした。これを宣太后せんたいこうと申し上げます。


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