表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
秦の誓い  作者: rona
第2章 恵文王の時代
68/73

張儀と蘇秦を評して

 張儀や蘇秦はみな、縱橫の術で諸侯へと遊説し、くらいは富貴にいたり、天下はあらそいしたってその説を実行しました。また魏人で公孫衍こうそんえんという者があり、号して犀首さいしゅといい、また談説で名をあらわしました。


 そのほかに蘇代そだい蘇厲それい周最しゅうさい樓緩ろうかんのような徒は、紛紜して天下の形勢を偏らせ、弁舌やいつわりでたがいを高めたために、彼らを紀律することはできなかったのです。


 そしてその中で張儀、蘇秦、公孫衍が最も著名なものでありました。


 孟子がこのことについて論じていっています。


 あるものが謂いました。


「公孫衍、張儀は、どうして大丈夫でないでしょうか、一たび怒れば諸侯ですらおそれました。彼らがどこかに安居してやっと天下はやすんだのでは?」


 孟子は答えていいました。


「これは(彼らを)どうして大丈夫とするに足るであろうか!君子がいて、天下の正位に立ち、天下の正道を行い、志を得てそこで民とその地位、その正道による、志を得なければそこでひとりその道を行う、富貴もみだりにすることができず、貧賤も移すことができず、威武もしりぞけることができない、これこそが大丈夫と呼ぶべき人物なのである」と。


 揚子(揚雄)の『法言』にもいっている。


 ある人が問うた。


「(張)儀、(蘇)秦は鬼谷先生の術を学んで縱橫の言を習い用い、中国を安んずることそれぞれ十余年でした、これをどう思われますか?」


 揚子が答えておっしゃられた


詐人さじん(嘘つき)である、聖人はこれにくむ」


「孔子の言を読んでから儀、秦の事を行えば、何如也いかがでございましょう?」


「甚だしいかな、おおとりの鳴きごえで、鷲の羽であるとは!」


「そうでございましたら、子貢はそのようなことを為さなかったのでございますか?」


(ここは『史記』に基づく事実誤認があると注はしている。司馬遷は子貢と張儀、蘇秦を同時代の人間としているが、考訂が必要であると『通鑑』はしている。揚雄は司馬遷に引きずられてそのままを記したと注にはある。ここではそのままをつづける。)


おさめておこた(懈)らない、(子貢は齊をおさめ、齊をして呉を破り、晉を強くして、越を抑えた、それぞれの国を強くしたという説を司馬遷は取ったと注はしている)子貢はこれを恥じた。說いて富貴になることができなかったらば、張儀、蘇秦はそれを恥じた」


「儀や、秦は才能が超絶していたのでしょうか、それとも誰かの足跡(先人の知恵)を踏んだのでしょうか」


「昔に任人(佞人)というものがあり、帝はそれをふせいだ。才能があったためでないか?佞人の才能ではないか、佞人の才能ではないか,われわれの徒の求める才能ではないのだ!」


 秦王は甘茂に蜀のしょうそうを誅させました。反乱があったとされます


 秦王と、魏王が臨晉りんしんに会いました。


 趙の武靈王が吳廣ごこうむすめ孟姚もうようをめとりました。寵愛され、この人が惠后となりました。子・を生みました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ