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秦の誓い  作者: rona
第2章 恵文王の時代
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秦をめぐる歴史観(上)

 歴史を調べていくと、「正義」、というものを、考えることがあります。誰が正しいか、誰が間違っていたか。

資治通鑑しじつがん』の一番最初には、司馬光しばこうの有名な文章が置かれ「名」や「礼」などについて論じられています。

 正統せいとうなのは誰だったのか、誰が正義だったのか。


 前章では、商君・衛鞅えいおうを軸に当時の歴史を俯瞰ふかんしましたが、正直に言います、衛鞅が『史記』などで相当の悪人として描かれているのを知り、あとから、失敗したかな、とも思いました。

 僕もできることなら、悪人ではなく、正義の味方の話を書きたい、英雄のことを語りたい。


 ではなぜ衛鞅を題材として取り上げたか?


 それは、この物語が、秦の歴史だということだという点にあります。秦の歴史を語っていくうえで、衛鞅の、商君の果たした役割は見逃せないものだった。国を整え、強くした。民は国を愛し、国に従うようになった。

 法家の思想に近いものとはいえ(刑名けいめい家と『史記』は評していましたが)、その功績は大きいものだったと思います。


 ここでやや難しく、ややこしいかもしれませんが、重要なことを言います。


 矛盾むじゅんしていると思われませんか?秦の歴史上で重要な役割を果たした人物が、なぜ『史記』では批判され、攻撃され、けちょんけちょんに言われて悪人にされているか。司馬遷ほどの人物ならば、衛鞅のいい面に注目することはできなかったのでしょうか。


 物事を常にいい面で見る、というのはいい習慣です。物事が明るく見える。それは正しい。僕もそうするように努めています。

 しかし歴史では、『筆者』、というものが存在するのです。


 何を当たり前のことを、と思われましたか?それとも、筆者はどの書かれた作品にも存在するではないか、そう思われた方もおられるかもしれません。何を当たり前のことを言っているのでしょうね。


 僕は、単なる素人です。あまり大きなことは述べたくないのですが、ここでは多少風呂敷を広げさせていただきます。


 歴史学とは、筆者について調べる学問である、と。


 例を上げないとわかりにくいので、『史記』と衛鞅のことについて少し触れてみます。


『史記』という歴史書は、司馬遷しばせんとその父親の研鑽けんさんによって生まれた書であると記憶しています。書かれた時代は、司馬遷は前漢ぜんかんの武帝の頃の人ですから、その時代の背景が色濃く反映されるのです。


 わかりますか?


 前漢という国は、秦を倒して成立した国です。前漢はヒーロー、正義の味方でなければならない、前漢につながる人物や思想は、当然正当化されねば、前漢という国家の根幹が揺らいでしまいますし、書き手は危険思想の持ち主として排除されてしまいます。

 文学や、歴史書、批評書としての位置づけはともかく、歴史というものは、筆者の歴史観、筆者の言いたいこと、方向性から離れることはできません。ある時には、歴史というものは広告になりうるものなのです。

 だから、前漢の司馬遷は主張します、前漢こそが正義だ、と。

 正義の味方がいるのなら、悪者も必要ですね。


 では誰が悪役、悪者の役を演じるか?


 それは秦です。つまり秦帝国は、前漢によって否定的にとらえられた国家である、と認識して読む必要があります。


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