表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
秦の誓い  作者: rona
第1章 孝公の時代
35/73

迫りくる秦・衰える魏

 もし、この物語が孫臏そんひんの物語なのなれば、次はこののち、十三年後?の馬陵ばりょうの戦いへと舞台を移すべきでしょう。


 しかしこの物語は秦の物語であり、秦帝国の成立までをたどる、という無謀な挑戦を行っています。


 読者にはしばし孫臏が退場するのをお許し願って、秦の国の勃興ぼっこう、秦帝国の成立の流れをたどるのに、お付き合い願えたらと思います。


 さて、強国・魏の敗北は、中原ちゅうげん三晉さんしんの国々のパワーバランスを微妙に変えました。こののち、魏の国々は他の国々から押し込まれ、特に秦に土地を奪われて国土を削られていきます。


 桂陵けいりょうの戦いがあったのは周の顯王けんおうの十六年(B.C.353)でしたが、続く十七年(B.C.352)秦の大良造だいりょうぞう(おそらく衛鞅えいおう)が魏の西方を攻撃します。また諸侯も魏の東方の襄陵じょうりょうを囲み、魏の軍隊は諸侯に押し込まれることになります。


 魏は西方の都市・安邑あんゆうと、東方の都市・大梁たいりょうを中心とした国だったようですが、西と東、両方で敵軍を受け、苦しい戦いを強いられます。


 翌年の周の顯王の十八年(B.C.351)秦は衛鞅をして魏の固陽こようを囲ませ、ついにこれを降します。固陽は当時の魏の西における防衛線・長城の起点となっていた軍事要塞で、秦防御の拠点でした。この拠点を奪われ、魏の秦への備えは弱体化しました。


 またこの間に、韓は東周とうしゅうの2つの都市を切り取ってしまい、基盤の強化を図り、趙は魏に一旦奪われた邯鄲かんたんを奪還してから魏と同盟を結び、それぞれの独立を保っています。


 ひたひたと魏に迫っていく秦の姿が浮かび上がってくるでしょうか?魏の土地を食い荒らすことで、秦は成長していきます。


 その政策の主導権を握り、国の方向性を導いていた人物、それは魏からやってきた人、魏にとどめておかないのならば、彼を殺しなさい、彼は魏にあだをなすでしょう、そういわれた人物、衛鞅でした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ