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秦の誓い  作者: rona
第1章 孝公の時代
32/73

修正

 以前、各国の地図を描いたのですが、もう少し説明を付け加えさせていただきたいと思います。


 以前、単純化して各国の配置を描きましたが、今日、改めて『中国歴史地図集』という本を開いてきました。今回描く桂陵けいりょうの戦いでは、地理的な条件が非常に重要となるからです。少しこの前書いた図に修正を加えとておきます。


 本当は地図を載せればいいのですが、著作権や引用の根拠について不安があるため、引用というか、掲載は控えます。


 前回は四方を秦・楚・斉・燕が囲むというふうに描きましたが、『歴史地図集』では、西北方に趙がおり、東北方に燕がおる、というのが正しい認識のようです。そして趙と燕の間には中山という国が存在しており、楚と斉の間には宋という国が、宋の北の斉と楚の間に魯という国が描かれていました。

 それぞれ最近の知見を基にした国々の位置取りのようです。淮水わいすい泗水しすいの間の国々は描かれていませんでした。


 趙・魏・韓の領地についても単純化しましたが、だいたい秦と接しているのが魏、西北にあるのが趙、という認識はあったのですが、韓は東南ではなく魏に囲まれるようにして南方にあり、nの字のように曲がった魏の領土の中に入って、楚と接していました。どちらかというと、縦に北から趙・魏・韓、そして楚、というように並んでいたと描かれています。


 魏の国は大きく垂れ下がった枝のように曲がって存在しており、西方に安邑あんゆう曲沃きょくよく、東方に濮陽ぼくよう大梁たいりょうのような都市があったふうに描かれています。


 以前にも述べましたが、当時の国々は都市国家であり、入り組んだ都市の間に、まだ開発されていない土地が存在していました。地図化するのはなかなか難しかったと思います。


 ともかく、少し修正したうえで当時の状況を見ていただければ、わかりやすいと思います。


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