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秦の誓い  作者: rona
第1章 孝公の時代
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衛鞅を知る者たち

 遠く衛の国で、このお触れを聞いたものがいました。


「よし、ひとつ運試しに行ってみよう」


 彼は衛の国の公族の、衛鞅えいおうという人でした。

公孫鞅こうそんおうとも呼び、またのち封じられた商という領土の名を取って、商鞅しょうおうとも呼ばれる)

 衛鞅に友人は言いました。


「やめとけやめとけ、秦のような夷狄の国へ行って、何をしようというんだい。あんな文明の遅れた国へ行っても、何もできることはないよ」


「いや、文明の遅れた国だからこそ、できることがあるはずだ」


 衛鞅は答えました。


「君は庶子(妾腹の子)だが、衛の公族だろう?君の身分で中原にいれば、出世は開けてくるはずじゃないか」


「いや、自分の学んだ刑名けいめいの学を、一度自由に試してみたいのだよ」


 刑名の学とは、刑家けいか名家めいかの学問を言います。時代を隔てた我々がそれをどのような学だったか、明確に定義することはできませんが、さまざまな学問の素養を衛鞅が身に着けていたことは、後々わかると思います。


 衛鞅が秦へ行こうとしている、その噂は各地の刑名の学を学んだ同門の士に広がりました。

 そのなかで、衛鞅の才能を高く評価している人がいました。魏の相(大臣)・公叔痤こうしゅくざです。公叔痤は衛鞅の力をよく知っていました。


 公叔痤はとりあえず衛鞅を引きとどめ、自分の家臣として慰留しました。しかし王に推挙する前に、公叔痤は病に倒れることとなりました。


 もう、彼を引きとどめることができないのか、そう悩んでいた公叔痤のもとに、王がお見舞いに参られました。魏の功臣である公叔痤をねぎらってのことでした。


 公叔痤は喜びました。これで衛鞅のことを教えることができる。


「大丈夫か?加減は悪くないか?」


 そう聞く王の手を、公叔痤はうれし涙で手を取りました。


「王様、ありがとうございます。かたじけのうございます」


「この際、何か言っておくべきことはないか」


 王がたずねました。


「はい、お願いがございます」


「なんじゃ、申してみよ」


 王はやさしく続けました。


「私の付き人である衛鞅は、若いと申しましても、ずば抜けた才能がございます。王よ、国をあげて彼の意見を聞くのです」


 王は黙然としました。公叔痤のこれまでの功績を、王はよく知っていました。しかし、王は自分の聞いたことが信じられませんでした。己の付き人を重臣に?!王は公叔痤が血迷ったかと感じました。

 公叔痤は悟りました、いけない、王は衛鞅を使う気がない。そこで気力をふりしぼって続けました


「王よ、もし衛鞅を使われることがないのでしたら、必ず彼を殺されますように、魏の国から生かして出してはいけません」


 公叔痤、決死の遺言でした。王は「わかった」と短く、そしてやさしく応えられると、去っていかれました。


 公叔痤は次に衛鞅を呼びました。


「すまない、私は君を王に推薦した。しかし王に、君を使わない場合は必ず殺すように言っておいた。君が魏の国の災いとなるのを知り、君主のことを先にし、私事は後にしたのだ。公事を先にし、君を犠牲にしてしまったかもしれない。許してくれ。さあ、今こそ君のために考える番だ。さあ逃げたまえ。全力で生きるのだ。逃げて、逃げたまえ。今ならまだ間に合うかもしれない」


 公叔痤は病の体から振り絞るように、衛鞅に忠告を与えました。


 しかし衛鞅は笑うだけでした。


「もしあの王があなたの言葉を用いて私を生かすことができないのならば、どうしてあなたの言葉を用いて私を殺すことがありましょうか、心配ありませんよ」


 そして公叔痤のもとを衛鞅は離れず、看病に当たったのでした。


 公叔痤は衛鞅の頭の良さに感心するとともに、その良さに気付けない王に暗澹たる気持ちでした。


 王はそば付きのものに語っていました。


「公叔痤も耄碌したものだ。病が相当ひどいと見える。悲しいことだ。なんと私に国を自分の付き人に委ねるように言いおったよ。それだけではない、なんと、使わないならば、そのものを殺せとまで言いおった。なんと酷いことを言うものだよ、耄碌したものだ」


 そして衛鞅のいったとおり、衛鞅のもとには刺客は放たれなかったのです。


 衛鞅は公叔痤のなくなるのを看取ったあと、悠々と秦へ入り、孝公のお気に入りの臣・景監に賄賂を送ってお目通りをかなえました。


 孝公は問いました。


「あなたは、私に何を教えてくれるのです」


「国を富ませ、兵を強くする方法を」


 孝公と衛鞅は国事を議論するようになりました。

 ここから、秦の発展は始まったのです。

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