5章 フローレ・前
「お嬢様」
マーサの声に私は動かしていたペンを止めて顔を上げます。
「お仕事中、申し訳ございません。ヘルナン・ターシモン伯爵令息が面会を申し込まれておりますが」
「またですの?」
懲りないというか…その不屈さには感心しますが私の答えは一つです。
「執筆で忙しいとお断りして」
「かしこまりました」
声に嬉しさを隠しもせずマーサが深々と頭を下げます。
「あの妹にしてこの兄ありですな」
その横でやれやれとばかりにチャーリーが首を振ります。
「しかし相手が子爵家だからと身分を笠に着て先ぶれを出さずにいきなり屋敷を訪ねる愚を繰り返さぬあたり、学習能力はあるようですな」
ええ、最初は突然やってきて門前で私に会わせろと喚いてましたからね。
すぐに非番の騎士たち(白百合の乙女たちの親衛隊…特にソフィア推しの方々です。何でも私を守るためボランティアで屋敷の警護にあたっているとか)が駆けつけて追い払われましたけど。
以後何度も面会の申し入れがありましたが、すべてお断りしています。
それについて相当ご不満のようですが、いくら伯爵令息といえど『何人たりともミス・グリーンの執筆を妨げること無かれ』という王命に背くわけには行きませんからね。
宰相様が我が家を訪れてから3か月が経ちました。
あれから正式な子爵位叙爵の式典とお披露目の宴への出席。
それに伴うもろもろの手続きに王妃様主催のお茶会へのお誘いと目が回るほどの忙しさでした。
何よりミス・グリーンがパーネス伯爵の娘リザリアで、その功績により女子爵を賜るというニュースは世間を大いに賑わせました。
有難いことに私のファンだという方々から屋敷に大量のお祝いの品が届けられ、その整理と返礼品の選分けと送付作業も大変でしたね。
『返礼品なら一律で直筆サインを送っておけばいいんですよ。きっと歓喜に泣き伏して家宝にしますよ』とエルロットは言ってましたが、そんな事にはならないし、私のサインなど送ったら失礼に当たるでしょう。
そう言い返したら『これだから先生は』と何故か天を仰いでましたね。
エルロットと言えば叙爵を境に出版社へ圧力をかけていた貴族たちが綺麗さっぱりいなくなったそうです。
王家の威光は本当に凄いですね。
有難いことです。
余談ながら…正式な発表があってすぐ、私に成りすましてファンの人たちから金品を受け取っていた詐欺師の女性が何人も捕まったそうです。
私が正体を隠していた所為でと思うと申し訳なく思いましたが、エルロットやチャーリーが『詐欺行為を働く方が悪いのですからお気にする必要はありません』と強く言ってくれました。
それでも私の名が使われた以上、何もしない訳には行きませんので救済金の足しにと被害者の会に原稿料から幾ばくかを寄付させていただきました。
そんな忙しい日々を送っていましたが、王命のおかげで他の貴族家のパーティーや夜会等のお誘いを断ることが出来ましたので、抱えている3本の連載を一つも落とすことなく締め切りが守れたので良かったです。
「スザンナ嬢からお手紙が届いております」
休憩に入ったところでチャーリーが綺麗な空色の封書を小盆に乗せて差し出します。
「まあ、スザンナさまから」
笑みと共に受け取ると封を開けます。
途端にふわりと広がる花の香。
紙に香りを付けたセンスの良い高級便箋を使うあたり、さすがです。
内容は近況報告と新作の感想。
褒めるばかりでなくきちんと作品の改善点を提示してくれる貴重な読者でもあります。
宰相様のお孫さんだけあってその指摘は的確で大変ためになります。
最初の手紙で黒バラ騎士団の小説を読んでファンになり、同じ作者の本だからと他の著書にも目を通すようになったら大いに見識が深まったと感謝されました。
お役に立てたのなら良かったです。
因みにスザンナさまの贔屓は黒バラ騎士団のリーダー・クロードと仲間のサミュエルでしたが、今はレガルタ戦記のユリウスと副官のアーサーの熱い友情こそ至高っ!…だそうです。
そんなスザンナさまは宰相様からの依頼がらみで親しくなった…というか本来の依頼主です。
依頼内容は『黒バラの蕾』という黒バラ騎士団を愛でる未婚の令嬢が集う会での問題の解決です。
事の起こりは一人の伯爵令嬢…フローレさまでした。
本来は作品の感想を語り合ったりして親交を深めるのが目的で作られた会でしたが、いつしか自分たちが書いた黒バラ騎士団の二次創作本の発表の場にもなったのです。
そこで頭角を現したのがフローレさまです。
私も筆写されたものを読みましたが確かに彼女の作品は素晴らしいものでした。
王妃様からも『大変面白かったですわ』とお褒めの言葉をいただいたそうで、おかげでフローレさまは社交界で一躍、時の人となりました。
ですが自分の作品が高評価を受けたフローレさまはおかしな方向にはっちゃけてしまいました。
会の集まりで他の方の作品をつまらない駄作と決めつけ声高に貶し、それらを勝手に廃棄し出したのです。
どうやらライバル…もしくはそうなりそうな相手の自信を失わせ、創作意欲を削ぐのが目的だったようです。
そして書くことも出来ずただ感想を言うだけの者は無能とこき下ろす。
そうやって自らを頂点にした格差を作り、会を牛耳ろうとしたのです。
止めるようにと忠告しても『私の才を妬んでそんなことをおっしゃるのね。悔しかったら私以上の小説を書いてみせてはいかが』と高笑いするばかりでまったく態度を改めなかったそうです。
スザンナさま自身は俗にいう『読専』だそうで、書く方はさっぱりなので会長であっても強く言えず、上がり続ける他の令嬢からの苦情に困り果てていたとか。
ならば彼女の言う通りそれ以上の話を会に持ち込めば良いと考えたスザンナさまは私の力を借りることにしました。
曰く『どんなに素晴らしい小説だろうと、それは原作である黒バラ騎士団のお話が礎になってのこと。模倣が原作を超えることなどないのです』だそうです。
少し迷いましたがフローレさまの所業を聞いて引き受けることにしました。
他の人の作品を酷評するのはまだ許容できます。
十人十色と例えられるように価値観は人それぞれです。
その人にとっては人生感が変わるほど感動した名作であっても、別の人には何も響かない退屈な話でしかないことはよくあるからです。
ですが酷評した後、その原稿を本人の前で暖炉に投げ込んだり、バラバラに引き破るのは万死に値します。
他人の作品を勝手に破棄するのは、その人の想いを…心を踏みにじる行為です。
私も自分の作品がそんな目に遭ったら怒りと悲しみが溢れてしまい、そうした相手を決して許すことはないでしょう。
頑張っている者を笑う者は、自分が努力できない事を正当化してるだけ。
努力して失敗した時にバカにされることを恐れている弱虫です。
フローレさまには御自分がしたことをしっかり反省していただきましよう。
マーシュ侯爵家で開かれた『黒バラの蕾』の定例会。
その日は気候も良く、侯爵家の見事な庭園の花々を愛でようとガーデンパーティーになった。
晴天の下、今回の主催者であるスザンナ侯爵令嬢の開会の挨拶から会は和やかに進んでゆく。
「ふん、相変わらずしょぼい話ばかりね」
テーブルに並べられた本…会員たちの新作にざっと目を通してからフローレは蔑みの嗤いを浮かべる。
「フローレ様、そのようなことをおっしゃっては…」
近くにいた令嬢が忠告するが逆にフローレは彼女を睨みつける。
「あら、アマンダさま。男爵家の貴女が随分と偉そうね。小説も書けない無能のくせに」
そう言われてアマンダは悔し気に唇を噛む。
この会の創立時に同じ作品を愛する仲間なのだから身分など関係のない『無礼講』という決まりが作られ、誰もが自由に意見を述べられるようにした。
だがフローレはその決まりを無視し、王妃様に作品を称賛されたことを鼻にかけ格下の令嬢たちをあからさまに馬鹿にしていた。
「そうですわ。何か言うのであればフローレさま以上に素晴らしいお話を書いてからにしたらいかが」
フローレの側にいた取り巻きの一人が尻馬に乗ってそんなことを言い出す。
誰もがフローレの態度を大っぴらに諫められない原因はそこにあった。
それほど彼女が書く作品は素晴らしかったのだ。
その名声のおこぼれに与ろうと多くの令嬢がフローレに近づき、今では会内での最大勢力になりつつあった。
「あら、彼方の方は…」
取り巻きの一人が庭先に姿を現した令嬢に眉を顰める。
「知らぬ顔ね、新人かしら」
「だとしても許されるものではなくてよ。緑のドレスなんて」
この会ではミス・グリーンを称えて緑色の服は着ないというのが暗黙の了解となっていた。
「新人ならしっかりとしつけないとね」
ニヤリと笑うとフローレは取り巻きを引き連れて件の令嬢の元へと歩み寄る。
「そこの貴女」
「私でしょうか?」
小首を傾げる令嬢に向かいフローレは蔑みも露わに言葉を投げる。
「ええ、いったいどういうつもりかしら。緑色のドレスなんて」
「何かいけなかったでしょうか」
困り顔の相手を取り巻きたちが一斉に責め立てる。
「この会では緑の服は着てはならないのよ」
「そんなことも知らないなんて…何処の田舎者かしら」
「どうせ爵位も大したこと無いのでしょう」
完全に馬鹿に仕切っている彼女らに令嬢が静かに言葉を返す。
「不調法を申し訳ありません。ですがこの会では身分は関係ないとお聞きしました」
令嬢の言にフローレが嘲りの視線を送る。
「それは昔の話よ。今は素晴らしい小説を書いた者がこの会の頂点なの」
胸を反らすフローレに、ええと周囲の令嬢たちが阿る。
「フローレさまが書く小説は最高ですもの」
「この会での一番の実力者はフローレさまですわ」
「まあ、でしたら是非私の作品の感想をいただけます」
彼女らの言葉を受けて令嬢が笑みと共に紙の束を差し出す。
「いいわ、自分がどれほど身の程知らずか教えてあげる」
ツンと顎を反らすとフローレは庭園の中央に向かって歩き出した。
「さあ、聞かせてもらいましょうか」
庭園内にしつられたテーブルの中央に腰を下ろすとフローレは周囲に集まってきた会員全員を見渡す。
「どんな話か実に楽しみだわ」
言いながら取り巻きたちに目配せをする。
何だろうと扱き下ろすようにとの指令だ。
周囲の者たちも、分かっていますとばかりに大きく頷く。
誰もが固唾を飲んで見つめる中、件の令嬢は朗読係のメイドに自分の作品を手渡すと末席へと着く。
「では読ませていただきます。タイトルは『クロードの休日』です」
そういうとメイドは澄んだ声で書かれている物語を紡ぎだす。
活舌も良く、緩急のつけ方も素晴らしく、彼女のたゆまぬ努力がよく分かる朗読だ。
その彼女が語る話は、黒バラ騎士団のリーダー・クロードが巻き込まれた…最愛の姉を殺された彼の辛い過去を彷彿とさせる事件とそれを解決する過程で得た救いを見事に書き出していた。
「よう、クロード」
「サミュエル…か」
突然現れた友の姿にクロードは大きく目を見開いた。
「どうせお前のことだから休暇といってもボーっと過ごしてると思ってな。酒の相手になりにやってきた」
言いながらサミュエルは手にしていた酒瓶を掲げてみせる。
「他の奴らも後から合流するってよ」
「…そうか、すまないな」
「気にすんな。みんなお前のことが好きなだけだからな」
さらりとそんなことを言って笑う相手の顔をクロードが見つめ返す。
「なんだ、俺の顔に何かついているか?」
まじまじと此方を見つめてくる様にサミュエルが不思議そうな顔をする。
「いや…お前がいてくれて良かったと思ってな」
そういうとクロードはトンとサミュエルの肩へと自らの額を乗せる。
「珍しいな、お前が甘えてくるなんて」
驚きながらもサミュエルは寄ってきたクロードの背を労わるように軽く叩いてやる。
「たまにはいいだろう」
切なげな声での返事に、これは何かあったなと思うが…それは敢えて聞かずサミュエルはただ黙ってクロードを受け入れる。
「お前が…お前たちがいてくれて…良かった」
消え入りそうな呟きは誰の耳にも届かなかったが…それでもクロードは身を包んでくれる温もりに感謝した。
幼い日、姉が襲ってきた賊から守ってくれたおかげで俺は生き延びた。
それがずっと後ろめたかった。
震え隠れることしか出来なかった不甲斐ない自分が許せなかった。
誰もが認める強い騎士となっても…不安だった。
惨たらしく殺された姉は生き残った自分のことを恨んでいるのでは…と。
でもそれは思い違いだった。
貴女は俺の幸せだけを願ってくれていた。
あの子の姉のように…。
安心してください。
自分には支えてくれる大切な仲間がいます。
俺は今、幸せです。
「…以上になります」
メイドの声が止まる。
すると水を打ったように静まり返っていた庭園が息を吹き返したように大きな歓声に包まれた。
続く万雷の拍手。
それはいつまでも止むことは無かった。