4章 ウイリアム・後
「まあ、それはさておき。其方のことじゃ」
大分脱線してしまいましたが宰相様が話を本来の道筋に戻します。
「まずは其方の作品の影響力を教えた方が話が早かろう」
「ではこちらをお使いください」
宰相様の言葉を受けてチャーリーが街角で売られている日報紙を差し出します。
「さすがは先輩、卒が無いの」
感心しながら宰相様がテーブルの上に広げられた記事を指さします。
「これらに心当たりがあろう」
「…失礼します」
指示された場所に目をやれば…。
「これは…」
どれも私が『メイドは見た』シリーズで取り上げたネタに酷似しています。
「そう、其方の小説が発端となって悪事が明白になり捕まった者の末路よ」
ニヤリと笑うとその詳細を教えて下さいます。
影士と変わらぬ能力を有した我が家の使用人たちが集めてきた情報は正確無比で、名前や設定を少しばかり変えたくらいでは実情を知る者からしたら簡単に特定出来る話です。
ここまで知られているならば王宮議会にも同じような情報が行っているはずと考えた当事者たちは慌てふためき、逃亡を図る者、諦めて自ら罪を認める者、それでもしらばくれる者と綺麗に三通りに分かれたそうです。
自首してきた者は多少の情けをかけて多額の罰金や数年の禁固くらいで済ませてあげたそうですが。
逃亡した者は捕らえて厳罰に処し、罪を認めない者には確たる証拠を揃えてみせて此方も厳罰を与えたのだとか。
「最初の頃はわざわざ自分から出版社に出向き『名誉棄損だ』と賠償を求めてきた馬鹿もおってな」
「…確かにそれでは小説のモデルは自分だと認めるようなものですわね」
悪事を暴露されて頭に血が上ったからでしょうが随分と愚かなことをしたものです。
「まあ、普通に告発されるより小説によって周知される方がダメージが大きいからの」
くくっと笑うと宰相様が言葉を継ぎます。
「おかげで国内の小悪党どもの掃除が捗った。以来、悪さをすると小説のネタにされると誰もが身を慎むようになったわけじゃ」
「そんなことになっていたのですね。この場合はお役に立てて良かった…と言うべきでしょうか。ですがそこまで影響を及ぼすのでしたら今後メイドシリーズは自重いたしますわ」
複雑な顔で溜息をつく私に、いやいやと宰相が笑って手を振ります。
「其方は今まで通り好き勝手に書いてくれれば良い。その小説をどう使うかは此方の仕事じゃ」
「…はい、ありがとうございます」
そう言っていただけると気が楽になります。
有難いことです。
「自覚が無いようじゃがメイドシリーズが治安維持に貢献してくれているように他も凄いのじゃぞ」
そんな私を見て宰相様が可笑しそうに話を続けます。
「作品の一つである『レガルタ戦記』じゃが」
「…何か仕出かしましたでしょうか?」
「其方の小説によってそれまで全く見向きもされなかったレガルタ時代の研究が進み、貴重な遺物が発見されたりしての。歴史学的にも大きな転機となった」
レガルタ戦記は今から四百年前にこの国で実際にあったことを題材にした英雄伝です。
当時はまだ国は一つではなく、幾つかの地域に分かれて覇権を争っていました。
そこに登場したのが一介の騎士であったユリウスです。
彼は良き仲間を得て圧政を強いる領主を倒し、その勢いのまま自らの国を建て、その後には周囲を統一しこの国の礎を築きました。
ですがその百年後に起こった魔法革命時代…それまで希少なため伝承でしか存在が語られなかった魔法という力がこの時初めて公式に認められることになりました。
魔法師と呼ばれる者たちが登場し活躍した時代が派手なこともあり、ユリウスのことは今まであまり光が当てられませんでした。
小説の中で私は史実にある英雄王としてのユリウスではなく、大切な人との出会いと別れ、悩みや苦しみ、歓喜などを顕にする一人の人間としての彼の姿を書いたのです。
それが人々の共感を呼んだようで作品は大ヒットしました。
だからでしょうか。
私の小説がきっかけでその時代に興味を持つ人が爆発的に増えたというのは聞いていましたが…。
「歴史学の醍醐味は何と言っても、さまざまな学問の研究成果を統合し、立体的に物事を捉えていくところにある。多様な学問の研究成果が集まる大きな場所こそが歴史学という学問なのじゃよ」
満面の笑みで滔々と歴史学について語られる宰相様。
曰く、
今は過去の出来事の重層的な積み重ねで出来あがっており、歴史学は過去に起こったすべての出来事を研究し、その時代の地域政治や経済はもちろんのこと、どんな食べ物が食卓に出されていたのか、どんな天候だったのかなど、あらゆることが歴史学の対象となる。
こう言うと歴史学は多様な分野の細かな知識を集めるだけの学問にも見えてしまうが、そうではない。
歴史学はある時代の社会全体の有り様を洞察するもの。
その時代の社会で起きている政治も経済も文学もすべて見渡す必要がある。
だからこそ歴史学はさまざまな学問分野の研究成果を取り込み、そうして取り込んだ学問分野の研究成果の1つ1つの事柄を、いわば点と点を結ぶようにして、線に結合していく。
そうすることで、文学、政治学、経済学といった1つ1つの学問分野の視点だけでは見えなかった、その時代の全体像が見えてくるようになる。
歴史学とはあらゆる学問を横断し、それを統合する壮大な知の体系なのだと。
「御説御尤もですわ。私のような浅慮な者が携わってしまい恥じ入るばかりです」
羞恥に思わず顔を伏せましたら、何を言っておると宰相様が慌てて言葉を継ぎます。
「小難しい学術書を並べても手に取る者は少ない。まずは知ること、興味を持つことが肝心じゃ。其方はその重い扉を開く手引きをしてくれたのじゃ。かく言う儂も其方には感謝しておる。今までレガルタ時代のことを話せる相手はごく僅かじゃったが、小説のおかげで話せる仲間が増えた。…好きな物のことを語れる相手がいることがどれほどの喜びか」
しみじみと語る宰相様。
マイナージャンルあるあるですね。
自分と同じものを同じように好きだと言って、同じ視点で話せる相手がいることは確かに幸せなことです。
「それだけではない。作品のファンとなった者たちが各地にある所縁の地を巡る…巷では『聖地巡礼』と呼ばれとるが、そのおかげで街道の整備が進み、何の産業もなく困窮していた地が今では名所として繁盛しておる。人が動けば物と金が動く。旅行者たち相手の宿屋、食堂、土産物屋が数多く生まれ、そこに落ちる金で生活が楽になったと各地から喜びの声が上がっておるぞ」
まさかそんな事態になっていたとは。
思ってもみない事態に唖然となる私の顔を宰相様が見つめます。
「其方が書く小説の影響力は大きい。故にそれを悪用しようとする輩も多いのじゃ」
「悪用…ですか?」
小首を傾げる私の前で宰相様が大きく頷きます。
「目障りな相手を消し去るために其方に事実無根な題材でメイドシリーズを書かせようとした者も実際にいたのじゃ」
「そうなのですか!?」
驚く私に、ご安心くださいとチャーリーが笑顔で口を開きます。
「そのような者は我々がきちんと処理いたしましたので」
「…ありがとう。助かりますわ」
処理方法は敢えて聞きません。
その方が精神衛生上良いでしょうから。
「チャーリー先輩が付いておれば間違いないと思うが…何事にも万全というものは有り得ぬ」
「それで私のことを国家が保護ですか…有難いことですが些かやりすぎでは?」
私の疑問に、何のと宰相様が緩く首を振ります。
「そうとも言えぬ状況じゃ。レガルタ戦記での各地の盛況を見て要らぬ欲をかく貴族がおってな『其方に会わせろ、我が領を題材にした小説を書け』と少なくない数の者が出版社に圧力をかけているようじゃ」
「まあ…」
出版社にそんな迷惑をかけていたとは初耳です。
申し訳なさに顔を曇らせる私の前でチャーリーが笑んだまま口を開きます。
「エルロットが申しておりました『先生の心を乱す慮外者が何人であろうと戦います。先生には健やかに執筆活動を続けていただきたいですから。それが編集者としての僕の矜持ですと』それはこの屋敷にいるすべての者が同じ思いでございます」
チャーリーの言葉に思わず泣きそうになります。
何も知らずのほほんと過ごしていた自分に不甲斐なさを感じつつも、皆の心遣いに深い感謝の念が溢れます。
「私はたくさんの方に守られていたのですね」
その有難さに声を震わせ呟く私に宰相様が居を正して声を掛けます。
「その一端を国も負いたいとなった訳じゃ。これはオリビア様の遺産でもある」
「曾祖母さまの…ですか?」
どうしてその名が出てきたのか分からず不思議そうに首を傾げる私の前で宰相様が大きく頷かれます。
「我が国がオリビア様から受けた恩恵は計り知れない。しかしその職種から当人が頑として正式な恩賞を受け取ろうとせなんだ『私はあくまで影の存在。日の当たる場所に出るのは御免被ります』と言われて」
「オリビア様らしいですな」
懐かしげな顔でチャーリーが微笑みます。
「国としては借りを作ったままでは落ち着かぬ。その恩を少しでも清算したいと思っておる。それを曾孫である其方が受けとるのに何の遠慮があろうか」
「…ありがとうございます」
深々と頭を下げる私に孫を見るように微笑んでから宰相様が言葉を継ぎます。
「その恩返しの一環として陛下が宣言された『何人たりともミス・グリーンの執筆を妨げること無かれ』と。これからは誰に気兼ねすることなく好きに作品を書き続けると良い」
「も、もったいないお言葉です。ありがとうございます」
国王陛下のお墨付きをいただいてしましました。
確かにこれならば何の憂いもなく執筆活動に没頭できます。
思っていた以上の恩恵に嬉しさとそれ以上の恐れ多さに内心動揺しまくりの私に宰相様が声をかけます。
「保護政策の一環として其方に此方が下賜される」
言いながら完全に背景と一体化していた御付きの方を促します。
テーブルの上に置かれた長方形の箱。
革張りで頑丈な錠が付いています。
怪訝な顔をする私の前で御付きの方がゆっくりと箱を開けます。
「此方は…武具ですか?」
一見すると膝下から足首までを覆う鎧の一部のようです。
「これは最新鋭の魔道具じゃ。装着者の動きを補助するものでな…多少の訓練が必要じゃがこれを付ければ長時間歩いたり走ったりは出来ぬが令嬢が必要程度の動きなら難なく出来よう」
「つまりこの魔道具があれば私も普通に歩けると」
驚く私に大きく頷き返す宰相様。
「…ですが最新鋭となると…お高いのでしょう?」
すると宰相様に代わり御付きの方が答えます。
「いえいえ、これだけでなく今ならもう一つ付けてたったの二千五百ロラ!。さらに送料は無料!」
言いながらもう一足を取り出します。
「ええっ!?二足で?」
「はい、これは元々二つ揃っての品ですから」
「でもそんなに安くて大丈夫なんですか」
「もちろんです。決して損はさせません。さぁ、あなたも、今すぐ!王宮魔道具開発部へご連絡を!!」
随分とノリの良い方ですわね。
でもその明るい口調に随分と心が軽くなりました。
せっかくの御厚意です。
ここは素直にいただきましょう。
「ありがとうございます。普通に動けるなんて夢のようです」
「喜んでもらえて何よりじゃ。それに王宮は武器の持ち込みは禁止されておるしの」
意味ありげな笑みが私の脇にある杖を見つめます。
どうやらこの杖のもう一つの役割をご存じのようです。
「しかしチャーリー先輩、深窓のご令嬢に剣術…それも抜刀術を身に着けさせるのはやりすぎでは?」
「いえいえ、自己防衛の手段は多いに越したことはありません」
にこにこと笑いながら会話を交わす様は穏やかそのもですが、内容は物騒極まりませんね。
宰相様に指摘された通り、私の杖は中に細身の剣が仕込んであります。
自由に動けませんので此方から攻撃することは叶いませんが、向かって来た敵を倒すだけなら造作もありません。
師であるチャーリーが言うには防御だけならそこらの剣豪に負けない腕前だそうです。
さすがに実戦経験はありませんので身内贔屓の言葉として受け取っていますけど。
「さて、そんな其方に依頼したいことがある」
「…依頼…ですか?」
「そうじゃ」
大きく頷く宰相様の話に私は少し迷いましたが承諾することにしました。
今回のように引き籠っていては分からないことが多いと気づきましたから。
これからはもっと出歩いて外に目を向けようと思います。
そのためにまずは魔道具に慣れるための歩行訓練を始めましょうか。