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小説家 ミス・グリーン  作者: 太地 文
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4章 ウイリアム・前



殿下が別邸にいらしてから二ヶ月が経ちました。

マリーベルさんは無事に我が家の養女となり、その日のうちに殿下との婚約が発表されました。

普通は婚儀まで養父母の元で過ごすのですが、マリーベルさんは淑女教育という名目で両親との顔合わせの後、すぐさま王宮へ入りました。


どうやら殿下はあの両親とマリーベルさんを必要以上に接触させたくなかったようです。

でもそれは正解だと思います。

思い込みが激しい脳筋と見栄が人の形を取った性悪の夫婦と接点を持っても百害あって一利なしですから。


幼馴染のメイドをマリーベルさんの側付として一緒に王宮に行かせましたので心強い味方となってくれることでしょう。

お二人には幸せになってほしいものです。


そんなお忙しい殿下たちと違い、私の方はこれといった変化もなく締め切りに追われる日々を過ごしておりました。

しかし…。


「お嬢様…宰相閣下がお越しです」

 耳を疑うマーサの言葉に驚いた顔で聞き返します。


「…ウイリアム・マーシュ侯爵様がですか」

「はい、応接室でお待ちです」

 その答えに慌てて立ち上がりマーサに介助してもらいながら急いで向かいます。


「お待たせして申し訳ございません」

「いや、約束も無しに押し掛けたのは此方だ」

 部屋に入るなり深々と頭を下げる私に宰相様が軽く手を振ります。


ロマンスグレーの素敵なオールドマンな方ですが、敏腕と謡われる通りその眼差しは柔和でありながら隙がありません。


そんな方を前にして緊張の面持ちでテーブルの対面に腰を下ろします。


ですがこの国で一番忙しいであろう方が何故わざわざ我が家に足を運ばれたのか不思議でなりません。

そんな私の想いに気づかれたようで、笑んだまま宰相様が口を開きます。


「早速だが儂が此処に来た目的を果たそうかの。先頃レイモン王子より評議会にリザリア嬢の保護についての提案がなされた」

「はあ?」

 その言葉に驚きを通り越して呆れてしましました。


「其方のミス・グリーンとしての功績を称え、健やかな執筆活動ができるよう丁重に保護することは国益にかなうものであると」


何をしてくれているんでしょうか、あの殿下。

私としては実家の防波堤になってくれたら程度で良かったのに、国の決めごとを図る評議会に個人の保護を要請するなど前代未聞です。


「そしてそれは満場一致で可決された」

 さらりととんでもないことを言ってくれる宰相様でしたが…それで終わりではありませんでした。


「近いうちに正式な申し渡しがあるが、保護政策の一環として其方には子爵位が叙爵じょしゃくされることに決まった。もちろん一代限りの名誉位ではあるが、領地としてこの屋敷と周辺の土地が下賜される。さらに…」


「お、お待ちくださいっ」

 驚愕の内容に失礼なのは重々承知ですが慌てて話を止めます。


「私はそのような栄誉を賜れる人間ではありません。この館から一歩も外に出たことがなく、与えられた情報を頼りにそれらを繋ぎ合わせるだけの粗陋(そろう)な物書きに過ぎません」


「その物言いはいかがなものか。其方は自分の価値をきちんと認識すべきじゃ」

 眉を顰めてそんなことを言うと宰相様はじっと私の顔を見つめます。


「自分の影響力を自覚しておらんのか?其方が書いた小説が時流を大きく動かしていることに」

 呆れた口調でそう言われても、まったく心当たりがありません。


私としては好き勝手に書きたいものを書いてきただけです。

それがいったい何に影響を及ばしたというのでしょうか?。


「お嬢様はそういった意味では箱入りでございますから」

 怪訝な顔をしている私の前にチャーリーが姿を現します。

相変わらずの神出鬼没ぶり、まったく気配が掴めませんでした。


「おお、チャーリー先輩。お懐かしい」

「は?」

 宰相様から出た言葉に思い切り呆けた声が漏れ出ます。


「ウイリアム殿はオリビア様が育てた弟子の一人でしてな」

「侯爵家のご子息がですか?」

 確かに『影士』は国の重要部署ですが、高位貴族の息子が籍を置くのは大変珍しい…というか滅多にないことです。


「驚かれるのも無理はないの」

 そう笑うと宰相様は出自を語りだします。


元々は侯爵家の三男、しかも母君は平民(前侯爵がメイドに手を出して生まれたお子だそうです)なために幼い頃から冷遇されていたとか。


「母の死後、厄介払いを兼ねて『少しは家の役に立てと』オリビアさまの元に行かされたが、実家にいた時より高待遇で迎え入れてくれ、チャーリー先輩を始め良い仲間も得て幸せな時を過ごさせてもらった。あの時、家を出されて本当に良かったと今も思う」

 そうし楽し気に語ると宰相様は悪戯な小僧の顔で言葉を紡ぎます。


「その後、どうした訳か前侯爵、長兄、次兄が続けて流行り病で死んでしまってな。残った儂が侯爵家を継ぐことになった」

「…そういうことですか」

 ちらりとマーサを見やりながらため息をつくと、彼女にその得意分野を仕込んだチャーリーと宰相様が実に良い笑顔になります。


確かに表も裏も熟知しておられる方が宰相職につかれるのは国にとって良いことでしょう。

これ以上は何も聞きませんとの思いを込めて微笑めば、この部屋にいる誰もが同じような笑みを浮かべます。


「話を戻しますとお嬢様は御自分の作品が読者に喜ばれていると知れたら後のことはまったく頓着がないのです」

「ほう、何とも欲の無いことじゃな」

 感心する宰相様の前で慌てて口を開きます。


「いえ、欲はありますわ。小説を書き始めた理由は御金欲しさからですので」

「実家であるパーネス家からの仕送りが月に三百ロラしかなかったのだからそれも仕方あるまい。卑下することはないぞ」

 少しばかり気の毒そうに宰相様が此方を見ます。


「…よくご存じで」

 世間の相場では成人男性の一か月の平均収入が四百ロラ。

それより少ないお金で食費や光熱費、使用人たちへの給金を賄うのはほぼ不可能です。


ですから原稿料で稼げるようになるまで食費を切り詰めることはもちろん、メイドたちの内職や庭で育てた野菜などで糊口をしのいでいました。


そのおかげでコロコロに太った身体が標準体重以下になったので悪いことばかりではありませんでしたが。


「叙爵候補となった者の身の回りを調べるのは当然のことじゃからな。しかし本宅でのあまりの扱いの酷さに子を持つ重役たちの誰もが憤りを隠せなんだ。まあ、そのこともあってパーネス伯の配置転換が異論なく決まったのだがな」

「はい?」

 聞き逃せない単語に思わず宰相様の顔を見返します。


「パーネス伯とその子息たちは近衛の任を解かれ、国境の砦への出向を命じられることになった。隣国エルドンの情勢が不安定で内戦の可能性もあるのでな。国防戦力の増強は致し方ない」

 もっともな言葉を並べる宰相様ですが、目が完全に面白がっています。


エルドン国の王位を王太子と王弟が争っていることは私の耳にも入っています。

ですが内戦となれば国が疲弊してしましますので、よほどのことが無い限りどちらもそんなことは望みはしないでしょう。


つまり父たちの移動は…体の良い王都からの追放です。


「リリアン様だけでなく、奥様のこともありますのでそれは致し方ないかと」

「…何をやらかしたのです」

 嫌な予感に冷や汗が背中を流れます。


「お嬢様のお仕事が詰まっておりましたので些末なことと判断しご報告が遅れたことをお詫びいたします。まずはリリアン様ですが…」

 語られた内容に私は溜息さえ出ず、痛み始めた蟀谷(こめかみ)を指先で揉み解します。 


どうやらリリアンは側妃と側室の違いを理解していなかったようです。


側妃は公的に認められた者ですから外遊や夜会、正式なパーティーのパートナーとして連れて行くことが出来ます。


一方、側室はあくまで私的な相手ですからそういった場に出すことは出来ません。

側室の移動が許されているのは与えられた室内と王城の奥庭での散策のみ。

王太子のお渡りをじっと待つだけの存在です。


それでも子を生せばその母親として付き添いという形で外に出れますが、それ以外は完全に籠の鳥です。


「側室となりましたが一度も王太子殿下のお渡りがないことに腹を立て『王太子妃や側妃が会えないように邪魔をしてるのよ。あの性悪女どもっ!』と叫ばれ、許しもなく部屋を飛び出し殿下の執務室に向かわれたそうで」


リリアンににしてみればパーティーで奪ってやった王太子(成果)を見せびらかし、悦に入りたかったのでしょうが、蓋を開けてみれば自由もなく人前に出ることすら禁じられた生活。

その不満がついに爆発したのでしょう。


相変わらず我慢の出来ない子ですね。

王太子に会えないことが王太子妃さまたちの意向だったとしても格下の側室であるリリアンは文句を言える立場ではありません。


王太子妃さまたちを敵に回せば明日はないと父が伝えたはずですが、この程度のことで癇癪を起すとは…。


常に周囲にちやほやされ我が侭放題に育ったリリアンには、父からの忠告はまったくの無意味だったようです。


「処分は下されましたの?」

 王室の決まり事を身勝手な理由で破っただけでなく、王太子妃さまや側妃さまたちを下位の側室が口汚く罵る…場合によっては反逆の意ありと判断され死罪も有り得ます。


「はい、周囲からは厳罰をとの声も上がりましたが初犯ということで半年間の謹慎処分となりました」


前科がついた側室という排除の理由を王太子妃さまたちに与えてしまった以上、謹慎が解けてもリリアンの元に殿下がお渡りになることはありません。


このまま誰に認められることなく王宮の一室でひっそりと飼い殺しにされるのでしょう。



「それで…お母様は何をしましたの?」

 小さく息をついてからチャーリーに向き直ると意味ありげな笑みを浮かべます。


「王妃様が主催された茶会で醜態をさらしただけのことよ」

 代わって答えて下さった宰相様の言によると。


三日前、私がミス・グリーンであり、近々子爵位を与えられるので王妃様の茶会に招待されると知らされた母は意気揚々とその場に乗り込みました。


そこでぽっちゃり体系の茶色の髪の令嬢を見るなり『リザリア!』と叫んで抱き着いたのだそうです。


令嬢を抱きしめたまま『よくやったわ、さすがは私の娘ね。貴女は私の誇りよ』と周りに聞かせるように声高らかに誉めちぎります。


ですが突然のことに驚き固まっていた令嬢が我に返って『違います』『私は貴方の娘ではありません』と否定しその腕から逃げ出すと。

一転して顔を歪め、何故そんな酷いことを言うのっと大げさに嘆いて見せたのだとか。


騒ぎを聞きつけた王妃様が近づくと『聞いて下さいまし』といかに自分が娘を愛しているか、それなのに辛く当たる娘のなんと親不孝なことかと喚き、来客の同情を誘いました。


自分の所業は認識していたらしく、私が不都合なことを言う前に『私は悪くない、悪いのはリザリアだ』と周囲を自分の味方に引き込もうとしたようです。

その手口はリリアンによく似ています。

さすが母娘ですね。


「王妃様が本当にこの令嬢は貴方の娘なのかと確認したところ、実の娘を間違えるはずがありませんと断言しおった。茶色の髪の令嬢は他におらんかったのでそう思い込んだのだろうが」

 笑いを堪えるようにして宰相様が続きを教えてくださいました。


当然のことながらその令嬢は私ではありません。

彼女はまだデビュタント前のコーエン子爵のご息女で、この日が茶会デビューでした。


そのことを告げられるなり真っ青になった母ですが、それで終わりではありません。


そもそも何故こんな間違いが起こったのかと小首を傾げる王妃様の前に、恐れながらと側近の伯爵夫人が進み出ます。


柔和な笑みを浮かべた夫人が『10年も放置しておいたのですから間違えるのも無理ありませんわ』と本宅でのことをすべて暴露して下さったそうで。


『そんな酷い扱いをしておきながら娘が功績を上げた途端に擦り寄るなんて…恥知らずにも程がありますわね』

 とどめとばかりに伯爵夫人が溜息交じりにそう言葉を綴れば、周囲が一斉に母に白い眼を向けます。


『信じられませんわ』『人の親として最低ですわね』『たいした毒親ですこと』と会場中から軽蔑と非難の集中砲火を浴びた母は這う這うの体で会場から逃げ去ったとか。


見栄の塊のような彼女からしたら、茶会でのことは死ぬより辛い辱めだったでしょう。

以来、屋敷に引きこもったきり一歩も外に出ようとしないそうです。


これは…完全に嵌められましたね。

茶色はよくある髪色です。

その持ち主の令嬢が広い会場に一人しかいなかった。


しかも昔の私と同じような体形であったことは偶然とは思えません。

私に少しでも興味があったら父から痩せたことを聞き及んでいたはずです。

知っていれば今回のような人違い騒動は起きなかったでしょう。

相変わらず私のことなどお茶会の話が無ければどうでも良かったようです。


そして我が家の内情を詳しく知る側近の伯爵夫人の存在。

母は仕掛けられていた『騒動を起こしたら発動する強力な地雷』を自ら踏み抜いてしまったのです。


「そうそう、王妃様からお言葉を預かっておる。『これで憂いなくパーティーや茶会に出席できますわね。お会いできることを楽しみにしていますわ』とのことじゃ」

 レイモン殿下だけでなく王妃様も私のためにいろいろと動いて下さったようです。


確かにこれだけ悪名が轟いてしまった母が社交の場に姿を現すことはないでしょう。


さすがはこの国最上位の女性ですね。

やり方が巧妙かつ、えげつない。


民たちは言います『今王は泰平を与えてくれる名君』と。

貴族たちは言います『王はお飾り、本当に恐ろしいのは王妃さまだ』と。 


漏れ出そうになった溜息を押し止め、宰相様に向かい深々と頭を下げます。


「…ありがとございます。王妃様によろしくお伝え下さい」

 その掌の上で良いように転がされた母を少しばかり憐みつつ、敵にだけは回すまいと心に誓います。




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