3章 レイモン 前
父がやって来てから三日の後、王宮から先ぶれがあり本日レイモン王子殿下が我が家へお越しになりました。
もちろん非公式です。
私と殿下の婚約はまだ本決まりではないですからね。
「…失礼する」
応接室で待っていると端正なお顔の男性が2人の護衛を従え部屋へと入って来ました。
銀の髪に紺碧の瞳。
肖像画で見た陛下と同じ色を持ちで、お顔もよく似ていらっしゃいます。
「ようこそお出で下さいました。本来ならお出迎えしなくてはならないのですが…この足ですので」
杖に掴まりながら立ち上がり深々と頭を下げます。
「いや、無理をしなくていい」
笑顔で軽く手を振ると殿下は私に座るよう促します。
お言葉に甘えソファーに腰を下ろすと、何故か殿下がまじまじと私の顔を見つめています。
「あの…何か?」
「失礼、よく知る人と君が似ていたので…つい」
少しばかり恥じ入る様子を見せる殿下に改めて頭を下げます。
「この度は妹が…」
「そのことはもういい。リザリア嬢も気にしないでくれ」
小さく笑って殿下が緩く首を振ります。
「ですが」
「実のところ…こうなって助かったと思っているんだ」
「は?」
怪訝な顔をする私に殿下が肩を竦めながら言葉を継ぎます。
「リリアン嬢は…その…僕とは根本的に考えが違っていてね」
苦笑と共に語られた内容に姉として軽く眩暈を覚えました。
殿下曰く、リリアンが話す内容は流行のファッションや御菓子が中心で。
『男爵令嬢のくせに私が持っていない流行柄の扇を夜会で見せびらかしていましたの。失礼だと思いません?私も欲しいですわ』と話の後でちゃっかりねだってくるのだそうです。
何回かその要望に応えて買い与えたら『レイモン殿下に買っていただいたの』と他の令嬢に対してマウントを取る道具にされてしまったそう。
見かねて自分のものでもない権力を振りかざすのは良くないとやんわり注意したら
『買うのが惜しくてそんなことをおっしゃるのね。殿下が吝嗇家でしたなんてがっかりですわ』
と小馬鹿にした顔でそう言い返されたとか。
殿下に面と向かって吝嗇家と言い放つなんて我が妹ながらどんな神経をしているのでしょう。
それだけでも不敬極まりませんが、それ以上に殿下を辟易させたのが聞きたくもない他人の醜聞話で。
ある子爵家息女の婚約が浮気が原因で破棄されたとか、婿養子なのに夫人に内緒で愛人を囲っていたことが露見して家を追い出された伯爵のことなどを嬉々として捲し立てるのだそうです。
しかも話し終わった後で『本当に馬鹿ですわ。私でしたらもっと上手くやりますのに』と得意げに言うのがお決まりだとか。
それって自分は優秀だと言いたかったのだと思いますが…。
傍から見れば己の馬鹿さ加減を露呈しているだけです。
「そんな話ばかりじゃなく僕のことを知って欲しいと仕事の話をしたら『難しい話をされても分かりませんわ』と露骨に眉を顰められてね」
レイモン殿下は王太子と同じ王妃様の御子ですが、文官として法務部に席を置いていらっしゃいます。
因みに第二王子殿下は第一側妃さまを母とし王太子の副官を、第三王子殿下は第二側妃さまの御子で財務部で辣腕を振るっておられます。
「…本当に申し訳ございません」
王家の臣下である貴族の令嬢として有り得ない妹の振る舞いに改めて深々と頭を下げます。
「何度も言うが、リザリア嬢が謝ることではないよ」
そう笑うと護衛が頷いたのを確認してマーサが淹れたお茶を口にします。
既に毒見は完了しているようです。
本当に王族の方はいろいろと大変ですね。
「貴女の忌憚のない意見を聞きたいのだけれど…僕との婚約をどう思っている?」
カップをテーブルに戻しながら殿下が問いかけます。
直球できましたね。
でも腹芸なしで聞いてきてくれたところは好感が持てます。
「貴族の婚儀は家同士の契約だと考えております。それを反故にするとなると各所に要らぬ軋轢を生んでしまいます。極力避けた方が国家の安寧に繋がるかと…というのが貴族の娘の模範解答ですわね」
私の答えに驚き顔をする殿下にニッコリと笑んで見せてから言葉を継ぎます。
「本音を言わせていただくなら厄介者扱いの部屋住み娘では殿下のお相手は荷が重いかと。私はこの通り足が悪くダンスはおろか出歩くこともままなりませんから社交でのパートナー役は務まりませんし」
「ああ、病弱で有名な君を夜会や茶会に連れまわす気はないから安心して欲しい」
笑んだまま頷く殿下に私も笑顔を返します。
「それはありがとうございます。ですが私と婚儀となるとマリーベルさんはどうなりますの?」
その名を口にした途端、殿下と御付きの2人の顔色が面白いほどに変わります。
「ど、どうしてその名を…」
動揺しまくる殿下に笑んだまま私は言葉を継ぎます。
「殿下の最愛の方ですわね」
マリーベルさんとは貴族学園で出会った殿下の恋人です。
男爵家の令嬢という身分差のため正妻にすることは叶わぬからか、世間的にはずっとは彼女との関係は極秘扱いにされていました。
「確かにそうだが…」
何故彼女のことを知っているのかと疑惑の眼差しをこちらに向ける殿下に種明かしを。
「我が家のメイドの一人がマリーベルさんと幼馴染なのですわ。殿下とのことは御本人から相談を受けていたそうです。『私では恐れ多くて釣り合うわけない』が口癖の大変謙虚なご令嬢だと申しておりました。このことは私とそのメイドが知っているだけですのでご心配なく」
「そ、そうか…それで」
納得の息をつく殿下の前で私は笑顔を崩さぬまま言葉を継ぎます。
「私を正妻とするならマリーベルさんは側妻に…ということでしょうか?」
我が家は父が美貌の母に惚れ込み結婚したのでいませんが、この国では貴族は財力に見合った数の側妻が認められています。
ですがその許可が下りるには厳しい審査をパスしなければなりません。
爵位が上の者が下の令嬢を無理やりといったことを防ぐために先々代の王が『側妻法』を制定したからです。
本人同士の意思の確認はもちろん、その身辺も徹底的に調べられ精査されます。
特に王族に嫁ぐには最低でも伯爵以上の家柄と決められています。
身分があまり離れていては暮らしぶりからして大きく違いますし、周囲のやっかみも酷いでしょうから賢明な判断だと思います。
「そうせざるを得ないだろうな…それは彼女も納得してくれている」
苦し気に綴られる言葉の端々にマリーベルさんへの想いが滲んでいます。
本心は彼女を正妻に迎えたいのでしょう。
一途な想いを隠さぬ殿下を微笑ましく思いながら私はしみじみと言葉を紡ぎます。
「マリーベルさんとの仲をリリアンに知られなくて本当にようございました。我が家の恥を晒しますが…あの子は他人の持ち物を奪い取ることに喜びを見出していまして、そんな娘が自分の物を奪われたと知ったら彼女がどんな目にあわされたか想像に難くありませんわ」
リリアンには人形やアクセサリー、当時太っていて全くサイズの合わないドレスでさえよく奪われました。
ですが手に入れた後は興味が無くなるようで、そのまま使いもせず捨ててしまいます。
しかもただ捨てるではなく、誰も二度と使えぬよう汚したり壊したりしてからという…その意地の悪さには恐れ入るばかりです。
そのことを注意しても親はもちろん、他の兄弟たちも『姉なんだから譲ってやればいい。心の狭い娘だな』と逆に叱責されるばかりでした。
それで増長したリリアンが私を格下認定し持ち物を根こそぎ奪うようになったので、本邸を出て行くおりには着の身着のままといった状態でしたね。
まあ、取られたのは令嬢として必要最低限な品ばかりでしたし、一番大切な書物はリリアンは見向きもせず無事でしたので構わなかったですけど。
今回の件も当人は王太子妃さまや側妃さまたちから王太子を奪ったと有頂天になっているのでしょうが、相手が悪かったですね。
自業自得とはいえこの先、リリアンに明るい未来はやってこないでしょう。
「その性癖は初耳だが…彼女ならやりかねないな」
溜息をついたあと殿下も渋い顔で頷きます。
「私はお飾りの正妻で構いませんが…殿下はマリーベルさんを表に出してあげたいとは思いませんか?」
「…どういうことだい?」
此方を探る眼差しを向ける殿下に私の案を伝えます。
「パーネス伯爵家と王家との婚儀は決まったこと。ですが逆に言うならパーネス家の娘ならば誰でも良いということです。マリーベルさんを我が家の養女にすればよろしいのですわ」
「それはそうだが。…しかしそれをパーネス伯爵が承知するとは」
驚きと疑いの表情を浮かべる殿下に私は大きく肯定の頷きを返します。
「大丈夫ですわ。リリアンの件で我が家は殿下に大きな貸しがあります。それを解消する為ならマリーベルさんを養女にすることに父も異議は申し立てませんでしょう」
半信半疑な様子の殿下にそう請け負います。
脳筋のポンコツ揃いな父や兄たちはこういった策略は不得手です。
得意であったのならリリアンのやらかしを事前に察知して阻止していたことでしょう。
第四王子を袖にして王太子に横恋慕などと…下手をすれば本当に改易になっていた案件ですから。
側室になることで事は収まりましたが、それもまだ我が家に利用価値があると判断してくれた王家の温情あってのことです。
そこをきちんと説明してその身に叩き込めば脳内お花畑な阿呆父でも、さすがに自分が今どれほど危うい立場にいるのか理解するでしょうから喜んで承諾するはずです。
「その代わりと言ってはなんですが」
さあ此処からが正念場です。
阿保父と違い、ピンチをチャンスに変えてみせましょう。
「…何が望みだ?」
眼差しを鋭くして殿下が問いかけてきます。
「私、ある事業をしておりまして。その後ろ盾になって欲しいのです」
「事業?」
怪訝な顔で殿下が聞き返します。
未婚の令嬢の生活費はすべて親が持つのが当たり前です。
ですから貴族の娘が働いて収入を得る必要はありません。
「再び家の恥を晒しますが、私は家族に疎まれていまして『武門の誉れと呼ばれる我が家において足の悪い娘など恥でしかない』と8歳の時に本邸を追い出されて以来この別邸で暮らしております」
「なんとっ」
私の身の上話に殿下だけでなく御付きの方たちまでが怒りの色を浮かべます。
「君は何も悪くはなだろう。それなのにそんなことで実の娘を疎むとは」
そう言って大いに憤慨する殿下。
王妃様と複数の側妃さまがいても王族の方々の仲は良く、円満なご家庭で育った殿下にしてみたら我が家の在り様は信じられないことのようです。
「ですからこの別邸に送られる生活費も最低限の金額しかなく、必然的に事業を起こすしかなかったのです」
「…そうか。苦労しているのだな」
同情の籠った眼差しを向ける殿下に私はさらに言葉を重ねます。
「私を疎む家族がこのことを知ればまた家の恥と言って辞めさせられることになるでしょう。その時に事業を続けられるようお力添えをお願いしたいのです」
「それは約束しよう。…だがあまり外聞の良くない事業だとそれは難しいと承知しておいてくれ」
確かに世間知らずな貴族の娘が行う金儲けとなると貸金業等あまり褒められたものでないと思われても仕方ありませんね。
「ご安心を、人に後ろ指をさされるようなことではありません」
殿下の憂いを晴らすべく笑顔で言葉を継ぎます。
「言葉にするよりその目で確かめていただいた方がよろしいですわね。どうぞ此方へ」
杖を頼りに立ち上がると、空かさず殿下が隣に立ってエスコートしてくださいました。
こういったところはさすがですね。
殿下に付き添われながら廊下に出てすぐ隣の部屋…私の仕事場へと移動します。
「こ、これは…」
部屋に入るなり、その異様な光景に殿下だけでなく御付きの方たちも驚きに目を見張ります。
ですがそれも無理はありません。
何しろ窓がある壁以外はすべて天井まで高く聳えた書棚が鎮座し、ぐるりと大量の本で埋め尽くされているのですから。
「資料用に必要な本を揃えていましたら何時の間にかこのように…同じような部屋があと4部屋ほどあります」
私の話とかなり圧迫感のある部屋の様子に驚きの顔のまま殿下が口を開きます。
「リザリア嬢…その…君の事業とは」
「拙いながら作家で生計を立てております。有難いことに私が書く話を好んでくださる方が多くいらして助かっています」
言いながら一冊の本を殿下の前に差し出します。
「此方が最新刊になります」
驚愕に襲われた様子の殿下の視線が私と新刊の表紙を忙しなく行き来しています。
「こ、これは『メイドは見た・ある伯爵家の内情』…まさか君が」
「はい、ミス・グリーンは私のペンネームです。殿下も貴族の娘が物書きなど恥知らずとお思いになられますか?」
私の問いに一瞬の間の後、殿下の首が高速で左右に振られます。
「とんでもございません。至高の存在であるミス・グリーンにお会い出来ただけでなくお言葉までいただけるとは恐悦至極にございます」
真剣な表情でいきなり膝をつく殿下。
何故か後ろに控えていた従者の方たちも同じように膝をついています。
いったい何が起こっているのでしょうか?
殿下の豹変に私は仰天するばかりです。