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小説家 ミス・グリーン  作者: 太地 文
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2章 エルロット


「一家の長だというのに落ち着きのないこと」

 父がいなくなった客間でため息混じりに呟くと傍らにいたチャーリーが懐かし気に目を細めます。


「よくオリビアさまも同じ事を言っておられました」

 しみじみと語るチャーリーの言葉に、横にいるマーサも完全同意とばかりに何度も頷いています。


「ですがお嬢様…本当によろしいのですか?」

 気遣うように此方を見るチャーリーに、ええと笑顔を返す。


「報告書を見る限りレイモン殿下は悪い人では無いようですし」

「はい、そこは全力全開で念入りに調べ上げましたから」

 やり切ったといった顔をするマーサに、チャーリーも大きく頷いて肯定を示します。


此処だけの話…王国には『影士』と呼ばれる諜報部が存在します。

オリビアおばあさまはその長を務めていて、周囲の国から『ロルナドの魔女』と恐れらていたそうです。


婿を取り結婚した後は引退し教官として後輩の指導に当たっていて、チャーリーは優秀な教え子の一人です。

そのチャーリーが指導した別邸の使用人たちは、すべて影士に劣らぬ能力の持ち主なのです。


「では計画通りに事を進めましょう」

「はい、お嬢様」

 深々と頭下げるチャーリーとマーサに私は静かに笑みを返しました。



 

「先生っ、進捗状況はいかがですか~」

 翌日の午後、甲高い声と共によく知った顔が仕事部屋へと入って来ました。


彼の名はエルロット。

王都の有名出版社ウィナードの社員です。

愛嬌があって物腰柔らかな彼は少し軽薄なところもありますが、編集者としてはとても有能な人物です。


「来月分はもう出来てますわ。それと新シリーズの構成表はもう少し手直しをしてから渡します」

 私の言葉にエルロットが満面の笑みを浮かべます。


「いやー、先生は本当に仕事がお早い。編集者として大変助かります」

 彼との付き合いは早いもので…4年になりますか。


14才の時に『ミス・グリーン』の名で小説を書き出してからずっと私の担当として頑張ってくれています。


ところで何故、曲がりなりにも伯爵令嬢である私が小説家となっているのか。

すべては金策の為でした。


父があの通りなので別邸に支給されるお金は本当に生活できるギリギリのものでしかなく。

使用人たちに満足な給金も出せず、それでも構わないと笑う彼らに何とかまともな金額を渡したくて考え付いたのが物書きでした。


手に職もない未成年の私が出来ることは文章を書くくらいしか無かったとも言えます。


それに小説を書くなら必要なものは紙とペンくらいなものです。

脚が不自由でも、お金が無くても、アイデアと筆力があれば何とでもなります。


もっともそれだけでお金をいただけるほど現実は甘くありません。

実は…私には前世の記憶というものがございます。


私の唯一の楽しみが読書で、家の書庫にある本を片端から読んでいたおかげか5歳の時に記憶がよみがえりました。


前世の私はここではない別の世界で小説家として生計を立てていました。

初めて自分の作品が本となり、書店に平積みされている光景は今も鮮明に覚えています。

あの時は本当に嬉しかったです。


ですがしっかりと覚えているのはそれくらいで、あとは霞がかかったようにぼんやりとしか思い出せません。

まあ、その方が帰ることが出来ないのですから未練が無くて良かったと思います。


幸いなことに私には前世と同じように文章を書く才があったようで、処女作が好評だったので調子に乗って他にもミステリー・サスペンス・歴史・ホラー・ライトノベル・エッセイ・児童文学などの各ジャンルを書きまくりました。


うちの優秀な使用人たちが有りと有らゆるところから様々な情報を集めて来てくれるので、別邸から一歩も外に出たことのない私でもネタには困りませんでしたから。


結果的にはどれもバカ売れ。

事実を元にしているのですから当然ですが、リアリティに溢れていると熱狂的に受け入れられ、おかげで出版社から振り込まれる原稿料と多額の印税で随分と生活が楽になりました。


「ところで五日後に発売される新刊ですが」

「あら、もうそんな時期になりましたか」

 少しばかり驚いて卓上カレンダーに目をやります。


それは処女作である『メイドは見た』シリーズの新作です。

貴族や大商会内のドロドロとした人間関係の描写と、そんな中で起こる陰謀を新米メイドが解決して行くという勧善懲悪なお話が受けて大ヒットしました。


「謎多き魅惑の天才作家ミス・グリーンの新作となれば、発売日には国中の書店に列が出来ますね。何しろ先生の小説は我が社でも一番の人気を誇っていますから」

 マーサが差し出したお茶を口にするとエルロットが笑顔でそんなことを言います。


「…その肩書、何とかなりません」

 小さくため息をつく私の前でエルロットが苦笑と共に首を振ります。


「事実なんですから仕方ないでしょう。何しろ他社への引き抜き防止のため先生の正体を知らされているのは社長と担当の僕だけ。御家族にも内緒なんですから」


ええ、父たちには私がミス・グリーンであることは極秘にしています。

私に嫌がらせをすることに必死な家族に知られたら、令嬢として恥ずかしいとか難癖をつけて執筆活動を辞めさせられていたでしょうし、原稿料も取り上げられるのが目に見えてますから。


「でも国中ですか…先々代の陛下には感謝しかありませんわね」

 私の言葉にエルロットも大きく頷きます。


「まったくです。今では当たり前の学び舎制度ですが当時としては画期的でしたからね。良く推し進めて下さったものです。我々にとってまさに名君でした」

 褒めちぎり捲るエルロットですが、それについては私も全面的に同意します。


 今から百二十年前のこと、王が突然『学び舎制度』を高らかに宣言されました。

すべての国民は最低でも3年間、文字と計算を習い、自らを向上させよというものです。


当初は『民に要らぬ知恵を付けさせては危険』という貴族が多く(税の誤魔化しや中抜きといった美味しいことができなくなりますからね)議会はかなり紛糾したそうですが、王命であるの一言で強行採決となりました。


王曰く『成績優秀者は王宮に召し抱える。有能な人材は大歓迎だ』そうです。


確かにその後は監査の目が増えて脱税や横領が無くなり、緩み切っていた綱紀が粛清され国力が一気に向上しました。


今も立身出世を望む多くの者が官僚登用試験合格を目指して勉学に励んでいます。


当然、その制度の恩恵で識字率は高くなり今では国民の九割が読み書きが出来ます。


ロルナド国の成功を見て周囲の国もそれを参考にしたので、この大陸ではほとんどの国が同じような状況です。


おかげで出版業界は大いに栄え、私の小説も諸外国にも人気で助かっています。


「ところで新作の発売イベントを行いたいのですが…」

「またですか…私は何もしませんわよ。人前に出るのも御免こうむります」

 私の返事にエルロットの顔が情けなさ全開で歪みます。


「ですが今回の本はめでたい発売百冊目です。記念に何か催しませんと」

「けっこうですわ」

 すげなく断れば、では此方はいかかでしょうと胸ポケットから企画書を取り出します。


「限定豪華サイン本…それも五百冊!?」

 驚く私にエルロットが笑顔で言葉を継ぎます。


「懇意の書店に配るとなるとそれくらいの冊数が必要なんです」

「五十冊…それ以上は書きません」

 にっこり笑い合う私達。


ここで甘い顔をしたらとんでもないことになるのは過去の経験からよく分かっていますので、絶対に引く訳には行きません。

何しろ彼は仕事を貫徹する為ならどんなことだってやる男です。


前に別作品のプロット作りにかまけて締め切りを3日オーバーしたことがありました。


その時に『このままでは一日千秋の思いで次号を待っている読者に対して申し訳が立ちません。書いていただけないのならこの場で責任を取って死にます』と頭から油を被り、小型ランプを手にして脅したクレージー編集者ですから。


あの時は死に物狂いで続きを書いたものです。


「分かりました。では…三百で」

「五十です」

「ならば二百でどうです」

 粘りますわね、ですが私の答えは一つです。


「五十と申し上げています。耳が悪くなりましたか?」

 それきり互いに笑みを浮かべるばかりで言葉を紡ぎません。


するとお茶のお代わりを淹れてくれているマーサに不穏な動きが…。


良いからその小瓶をさっさとおしまいなさい。

そう目で指示を出すと、渋々とマーサが小瓶をポケットに戻します。


締め切り日の前倒しという無茶なことを頼んで来た時に、エルロットが急な腹痛を起こしてしばらく寝込んだことがありましたからね。


しばし笑顔の睨み合いが続いた後、そう言えばとやや強引に場の雰囲気を変えるべくエルロットが口を開きます。


「前に話した吞兵衛爺さんの件ですが…」

「あら、犯人が分かりましたの?」

 私の問いに、ええと頷くと顛末を語り出します。




7日前、ザックと言う名の老人が飲み屋街の一角で遺体で発見されました。


医療師の見立てでは頭の中の血の管が破れたことによる病死。

普段から飲んだくれていたので酒の飲み過ぎが原因だろうと。


たまたま現場近くを通りかかったエルロットが後片づけをしていた騎士団の一人と顔見知りで、彼から聞いた詳細を世間話の一つとして私に聞かせてくれたのでした。


「遺体の両足首に妙な痣…ですか」

 思わず聞き返す私に、そうなんですとエルロットが相鎚値を打ちます。


「強く掴まれたような形だったそうです。でもそれ以外はおかしな事は無かったので病死で決着がついたんですが…」

「他に気になることでも?」


「爺さんの飲み代です」

 聞けばザック老人は元は斥候担当の冒険者で、年を取ったので引退して王都に住み着いたそうです。


以前は日雇いの仕事をして小銭を稼ぐ生活だったのに、1年くらい前から急に羽振りが良くなり毎日酒を飲んでは遊び暮らすようになったとか。


「働いておらず、身寄りもない爺さんがどうやって金を手に入れていたのかが分からないのがどうにも引っ掛かりまして」

 エルロットの言に私も小首を傾げて考え込みます。


「おそらく誰かを脅して金銭を得ていたのでしょう」

 私の言葉にエルロットが弾かれたように顔を上げます。


強請(ゆす)りですか…」

「ええ、働くことも財もない人間が大金を手に入れられる一番簡単な方法ですから」

「確かに」

 感心した様子のエルロットの前で新たな言葉を綴ります。


「そうなると老人は脅していた相手に口封じのために殺された可能性が出てきますわね」

「しかし死因は病死ですが…」

 エルロットの疑問を笑みとともに晴らします。


「強いお酒を意識を失うほど一気に飲ませて、その後で両足首を掴んで力任せに数十回も振り回せば老人の脆い血の管など簡単に破れてしまいますわ。元斥候役だったのならそう大柄な体格ではないでしょうし」

 私の話にエルロットの瞳が商機を得た商人のように輝きだします。


「その老人の交友関係を徹底的に調べてみることです。おそらく裕福な商人か下級貴族辺りがいるはずです」

 上級貴族の場合、平民との接触することは皆無ですから弱味を握られるようなことはまず有り得ません。


「さすがはミステリー女王たる先生ですっ。早速、騎士団の知り合いに知らせます」

 私の推理に感激したようすで声を上げるとエルロットは脱兎のごとく屋敷を出て行きました。




「先生の言われた通りにあの爺さんことを詳しく調べたら、なんと元盗賊だったことが分かりまして」

 知り合いの騎士団員から仕入れた情報をエルロットが嬉々として語りだします。


「騎士団の討伐によって散り散りになった後は掏摸(すり)や置き引きを繰り返して暮らしていたようです。ところがある日、身なりの良い盗賊仲間を見かけて声を掛けたら…その相手が王都でも有名なタールド商会の入り婿でした」


「過去を隠して上手く商会主の娘に取り入ったのですね」

「ですが好事魔多しです。そのことを元仲間の爺さんに知られ、過去をバラされたくなかったらと金を要求されていたと」

「どちらも愚かなこと…」

 エルロットの話にやれやれとばかりに私は首を振ります。


「それで調子に乗って金の増額を要求をしたのが命取りになりました。このままズルズルと金を毟り取られるのに嫌気がさした相手に殺されてしまったわけです。殺害方法は先生が考えた通りでした」

 さすがですと大げさに称賛してからエルロットがとんでもないことを言い出します。


「騎士団の知り合いも先生には大変感謝していました。つきましてはまた何かありましたらよろしくお願いしますとのことです」


「今回はたまたまです、得た情報を繋ぎ合わせてストーリーを作り出すのが私の執筆スタイルですからそれが上手く嵌っただけのことです。素人考えを当てにされても困りますわ」


 派手に溜息をつく私に、いやいやとエルロットが大きく首を振ります。


「ご謙遜を。わずかな手がかりだけで解決した手腕はお見事です。つきましては事件の裏が取り終えましたら先生の活躍を大々的に記事にします。新刊発行の良い宣伝にもなりますし」

「それはやめてくださいっ」

 興奮気味のエルロットに慌ててストップをかけます。


「何故です?」

「騒がれるのは作品の評判だけで結構です。それ以外は面倒なだけですもの」


「…最後に本音が駄々洩れましたよ。残念ですが先生がそうおっしゃるなら」

 渋々ながらも承諾したエルロットですがさすがは敏腕編集者、転んでもただでは起きません。


「では今回の記事はボツにします。その代わりといってはなんですが…サイン本の件、百冊でどうでしょうか」

「…いいでしょう。お世話になっている貴方の顔も立てませんとね」

 深く息をついてからの私の言葉に、パアっとエルロットの顔が輝きます。

現金なものですね。


「それでは此方にサインをお願いします」

 いそいそと差し出された契約書の中身をしっかりと確認してから愛用のペンで自らの名を書き入れます。


「これでよろしいかしら」

「はい、ありがとうございます」

 押し頂くように契約書を受け取るとエルロットが実に良い笑顔を浮かべます。


「いやー、前にサイン本をお願いした時は三十冊しか書いていただけませんでしたので、今回は五十もあれば御の字でしたが…百冊もいただけるとは」


「なっ」

 嵌められました。

思わず抗議の声を上げようとしますが、その前にエルロットは部屋を出て行ってしまいました。

逃げ足も速いですわね。


「ありがとございましたー。後でサイン用の本をお届けに上がりますのでぇー」

 そんな声を残してその姿は視界から消えて行きました。




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