パラダイムシフト×スケッチ
ユウシャは一人、終わりの見えない螺旋階段をひたすらに下っていた。漸く見えた底には本来溜まっているはずの水は無く、代わりに横穴が続いている。そちらへ足を踏み入れれば、そこに全面石畳の小さな空間があり、漂うオーブのような灯りで一面を照らされていた。
「ッルカ!」
その部屋で一人うろつく桃髪の女性に、ユウシャは声を掛ける。見つめ返す瞳は何よりも青い青で、表情は戸惑いと憎しみが滲んでいるよう感じられた。
「民に力を貸したのね……。ルカの意識はありません。私は約束を探しています、外でお待ちなさい」
「ルカ! ルカ! いるんだろ、これは君の身体だ!」
女神がユウシャに語り掛けるのに対し、ユウシャは女神になど目もくれず、ルカに呼び掛け続ける。その態度がまた女神には忌まわしく、眉間に皺を寄せた。
「出ていけ! さもなくばその魂まで、この世界から消し去ります。或いは男神、お前が出てくるのならば互いの借りた身体が壊れるまで争う事も辞しません」
「ルカ、早く出てこないと……」
「ちょっと、ち、近い近いっ」
女神の殺気など物ともせず、ユウシャは彼女との距離を詰める。そして腕を掴み、鼻が触れるほど顔を近付けたのだ。
「君に、チューしちゃうからなっ!」
「ひゃいっ」
ルカの口から洩れた情けない悲鳴は女神のものだったであろう。
「助かったわ、ユウシャ……。良い機転ね、……って、何故貴方の顔が赤いの」
しかし今、ユウシャの目の前にいるのはルカで間違いないようだった。そして鈍感なルカのことであれば、口付けが策略ではなく本気で望んでいたことなどと、気付くことはないだろう。
「ま、まあ良いさ……。まずはルカを取り戻した。次はルールブックだ。女神は見つけられていないようだけど……」
「貴方もいなくちゃ見つけられなかったんだわ」
「えっ、わ、」
ルカがユウシャの手を取って、ぎゅっと祈るように握る。急な接触にユウシャが驚いたのも束の間、目の前に光る一冊の本が現れると、途端意識はそちらへ持っていかれる。
「これが、約束の……! ルカ、今こそ革命の時だよ! より良い世界にするんだ、さあ、いつものように描いて……」
ルカの右手に羽ペンが現れた。いつもとは違う、黄金の羽は時折不思議に虹色に輝いている。ルカはそのペン先を、未だ青い瞳でじっと見つめた。彼女の手が動かず、開かれた本に何の変化も無ければ、心配そうにユウシャが身体を屈める。
「……ルカ?」
「ごめんなさい。これは、私たちのするべきことでは無いわ」
「っ、ルカ! 君がいない間、弟と魔王は愛を交わしたんだ。このまま戻れば、また彼らは縛られて生きなくちゃいけない……、シンとセルキーもそうだ」
「そう。でも私は、この世界の神さまじゃないの。元の世界でもごく普通の社会人よ、同人誌だって数えられるほどしか出してないし、フォロワーも友人もそんなに多い方じゃない。人生経験も浅いわ、政治にも疎いし……いや、投票にはちゃんと行ってるけどね」
「えっと、呪文?」
「違うわよ。つまりね、この世界のことは、この世界の神さまが描くべきなんじゃないかなって、思うの」
「女神の思い通りにさせるのかっ?」
「させないために、男神さまがいるんでしょ。イキモノが望んだ革命だもの、民の意見をちゃんと聞いて、描き直すべきだわ。
ね、聞いた、女神さま? 今度は仲良くね」
曇っていたルカの表情は段々と晴れていき、目を閉じ内側に問いかける時には、穏やかな笑顔を見せた。それを見たユウシャも何か言い淀んでいたものの、意を決したように隣で胸に手を当て、瞼を閉ざす。
次に2人が瞼を開き視線を交わした時には、子供のように口を尖らせていた。目の前には約束の本が開いている。女神は手にあるペンを、サッと本に走らせた。
「っちょ、……は、」
思わず男神は声を上げる。しかし彼女が、最後に付け足した約束を消したのだと知ればそれ以上の声が出ず、真意を知るべく彼女の表情を見やった。
「他所から来た小娘に諭されるなんて、恥ずかしいったらないわ。
ごめんなさいね、あの時は。貴方にも……イキモノたちにも、意地悪しちゃった。だって私、貴方の事好きだったんだもの!」
女神から告げられる素直な真実に、男神は終始間抜けに目を見開き、口を半開きにしていた。しかしその後豪快に笑うと、女神の肩を抱く。
「っははは! いや、私もすまなかった。君の気持ちに気付かず……随分酷い事を言った」
「何笑ってるのよっ。貴方の間抜け顔とそのヘタに畏まった口調の方が笑えるわ」
「ンもー何よっ! だって久しぶりに……随分と、清々しいんだもの。
アンタの制約に比べたら反映に時間はかかるだろうけど……私もこうするわ」
そう男神は女神の手から羽ペンを奪い取ると、モンスターの性別における制約の改定を書き足した。
「はい、とユーわけで!
お前たちの望んだ革命だ、後は任せたぞ、イキモノ諸君」
女神と男神が瞼を閉じる。本は閉じ、光の粒となって消えていった。
途端ルカとユウシャの身体ががくんと傾き、石畳の床に転がる。
「っいったぁ~!」
「頭ぶった、頭ぶったわ……!」
そしてぶつけた頭を抱え、悶絶したのだった。




