星に願う×愛の共鳴
突拍子もない妹の提案に、アマテオが弱った悲鳴のような声を上げる。対してラウレンスは冷静な様子で腕を組み、顎に手を当てた。
「婚姻の……確かに、儀式の一つとして捉える事も可能だ。男神の望んだ世界として、神降の儀を知らないお前たちの考える案としては、最良かも知れんな」
「勿論異常事態の特例として行うのだから、本来の意図するものと思わなくて構わないわ。ただ、本気で演じてほしい。相手は男神様だもの。
私は夜のうちに『ソルス・スピロ』へ発って、あちらで婚姻の儀の準備を整えます。兄さまたちはまずここで身体を休ませてもらって、明朝こちらに」
「りょ! リノりぃ、メロの部屋でお泊り会しよぉ☆」
「大所帯だな。シルキー、ポルター、客室は足りるか。オートマタ、マミー! 客人が増えた、夕食作りを手伝ってくれ」
アニエスの指示に館の住人たちは忙しなく動き出し、彼女自身は玄関扉まで迷いなく歩みを進める。その後を駆け足で追うのは、ユウシャ改め兄アルカイニの姿であった。
「待ってくれ、アニエス! 塔にはリュシェが待っている。お前が行くんだろう?」
陽も落ち薄暗い廊下を、暖色のランプが点々と灯している。振り向く少女の樺色の髪が、燃え上がるように赤く照らされた。
「男神様を降ろすんだ、お前こそ身体を休めた方が良い」
「何を言っているの、兄さま。塔にいるのはルカよ」
「えっ。でも、確かにリュシェはルカの中に……それにいつまでこの世にとどまっていられるか、」
「ええ。それでも、塔で待っているのはルカ。ルカが待っているのは誰?
良いわ。兄さまが明日も怖じ気づいたままなら私が代わりに迎えに行ってあげる」
赤い瞳の少女は気高くふっと微笑み、扉を開き出て行ってしまう。長く塞ぎ込むほど焦がれていた大切な人に会うことも差し置いて、儀式の準備の為に『ソルス・スピロ』へ戻ってしまうのだろう。一時立ち尽くしていたユウシャも、意志を固めた様子で皆の集まるダイニングに引き返した。
「っすまない皆! 俺もアニエスと先に戻るよ。準備があるんだ。それに、妹一人森を走らせるのもいささか不安だからなっ」
聞いた誰もがユウシャの意見に反対せず、快く彼を見送る。残った者たちで夕餉を囲めば、慌ただしい一日もやがて穏やかに幕を閉じようとしていた。
「……アマテオ」
そう一言、魔王に声を掛けられた件の少年は、湯浴みを先に済ませ、上階のバルコニーから夜空を見上げていた。館の住人に借りたのであろうシルクのシャツは、夜風に靡いて時折艶やかに輝く。
呼びかけに一度は振り向いた少年も、細く伸びる目で彼を視認するや否や、再び夜空へ視線を戻してしまう。しかしそれは拒絶ではないと魔王も察し、そっと許された彼の隣に身を置いてみる。翼を畳み、尾を伸ばし、彼との距離を詰めた。
「ラウレンス、貴方は明日の事……何とも感じられていないのですか」
それは少年の不安から発せられた言葉だろう。城でルカに放たれた台詞がふと頭に浮かんだ。
愛という名であれど、アマテオの抱いているものと異なっていたはず。
逡巡の後に穏やかに微笑むと、魔王もまた少年の見上げる星々を見つめる。
「……嬉しいさ。ずっと焦がれていた。
しかし、この儀式がお前にとって望ましくないものだとも分かっている。例え偽りの演劇だとしても……生真面目なお前だからこそ、重く捉えてしまうだろうな。信仰する神に見せるとなれば、尚更だ。
なあ、アマテオ。お前はもっと、悪い人間になってみないか」
魔王の言葉を余すことなく受け入れるものの、だからこそ窮屈な檻の中で身動きが取れないようにぐっと手すりを握りしめ、アマテオは視線を下方へ移していた。その顎を褐色の指が掬い上げ、金色の瞳が厚い瞼の内側にある赤い瞳を覗く。少年は息を呑んだ。
「ラウレンス、何を……」
「アマテオがここから逃げ出したいと思うなら、私がお前を抱いて遠くへ連れ去ってやろう。私が怖いのなら、降り立った街で私から逃れれば良い。私は悪い奴だから、お前を地の果てまで追うがな。
そしてお前にまた私を、ゴンちゃん、と呼ばせるのだ」
吐息がかかるほどに顔が近付くと、少年の赤い瞳が泳いでいるのを僅かなり確認することができる。
「ッできません、できませんよ。塔には兄上の大切なご友人が、あろう事か一柱の神に捕らえられていて……、皆が対峙する者の大きさを知りながら、明日の為の準備をしている。私一人逃げ出すなどと、そんな身勝手な事は決してできません……っ」
「そうして私を置いて行ったあの日のように、自分を押し殺すのか? 我慢した先に何があった?」
「……、でもッ、私は……、僕はまだ、何もできていない……っ! 僕は愚かだ……自分から動き出すことも出来ず、人に願ってもらっても、定められた指針に怯えて惑っている……。
貴方は強い、とても……。願うままに生き、美しい竜の王族になって、革命まで起こしたのだから」
金色の瞳から、そしてその強い意志から逃れるように、少年は一歩下がってその場へ蹲る。自らの無力さやひ弱さに打ちひしがれて、頭を抱えた。それを魔王は少しばかり悲し気に見つめると、語りだすと同時に再び空へ目をやる。
「アマテオ、あの革命は……私一人が起こしたものではないと、今は思っている。
この空の下、私と同じように愛を願う者がいる。数多の魂が、声が……愛が、私と共鳴したようだった!」
魔王は星空を抱くように、両手を広げた。
その時、泉に寄り添う狼男と精霊は願うように夜空を見上げる。
山奥の小屋に住む狐と壮年の男性は、真ん中で眠るおかっぱ頭の少女を撫でながら見つめ合い、導かれるように空を見上げた。
森の館では、胸の中であやしていた赤子が暴れ出し急に促すもので、青年が窓辺へ移動する。赤子は青年にぎゅっとしがみ付き、大きな翡翠の瞳いっぱいに星を取り込んだ。
白い雪の世界では、美しい白銀の青年と雪玉の大男がひっそりと、夜も賑わう市場を抜け出す。サイズの違う指を絡ませ、人工の灯りが届かないところまでやって来ると、示し合わしたかのように夜空を見上げた。
とある夜の黒い海の底では、アザラシを纏う青年が貝を叩き、中身の青年を水面へ引っ張り上げる。何か違う夜を感じながら、不安げに、願うように二人は空を見上げた。貝の青年が徐に、アザラシの青年の顔にかかった青い髪を耳へ掛ける。吸い寄せられるように、その影は罪深く重なった。
彼らだけではなく、きっと数多の者が空を見上げたのだろう。その何一つ、魔王にも、アマテオの目にも映った訳ではない。しかし確かにじんわりと胸が熱くなるのを感じ、少年は立ち上がって魔王の隣に寄り添う。
「どうせ不安は見透かされる。お前の望むままにすると良い、アマテオ。お前の選んだ結果を恨む者が万が一にも現れるなら、私が消し炭にしてやろう。私はお前を……愛しているからな」




