揺るがぬ愛×転移者の使命
ルカとアマテオが手を取って気を失っているその時間、カンビオンは一人、魔王から逃げ回っていた。何故思い立ったのか今は分からない。後悔すらしているが、彼は玉座の間から逃げ出したと思われたその直後、アマテオの部屋の扉を破壊し、中で蹲る青年を引きずり出したのだ。そして今に至る。
幸か不幸か、理性を失った魔王はアマテオに危害を加えようとした少年に意識を集中させているようだ。
「はっ……ヒ、はぁっ」
スピードで対等になろうとも、持久力は到底及ばない。怒り狂った竜にズタズタに斬り裂かれる未来はすぐそこに見えていた。視界がぼやけて不利になるというのに、涙が止まらない。
「ちくしょぉっまだ、消えたくな……っへ?」
「誰だッ! 何をしたァッ!!」
屋内というのに、急に一帯が白んで霧がかる。魔王も一旦動きを止めた。カンビオンを一時的に見失ったのだ。
対するカンビオンも疲弊した身体で咄嗟に隠れ蓑を探すものの、殺風景な部屋には彼の玉座があるのみである。悩んだ挙句、選んだのは床に四肢を広げて沈むメロの隣だった。メロの脇で、子猫のようにぎゅっと蹲って震えていることしか出来ない。
「ああ、だから行くなと言ったのに……」
パイプを啄む薄い唇。次にふうと息を吹けば、煙はたちまち霧となって視界を一層曇らせた。
「この声……ッガンコナー、様……っ?」
「精霊のお嬢さんがお目覚めというのに、坊ちゃんはまだ起きないのか? 男の相手はあまり得意じゃないんだ、時間稼ぎも期待されすぎては困るね」
女性に名を呼ばれ垂れた目を細めて美しく笑うものの、残念ながら自らの生み出した霧によって誰に見てもらうことも出来ない。リノは唇に残った薬草を嚙み千切って飲み込み、辛うじて意識の戻った様子のユウシャへ這い寄った。
「っこちら、すぐにユウシャの回復にあたります……! 全員撤退を目標に、どうかお力添えを……!」
「厳しい目標だ……カンビオンッ、力を貸せよ!」
ガンコナーの呼びかけに返事はない。幸い魔王も何か思慮しているのか、動きはない様子だ。一方のカンビオンは未だメロの隣で震え、涙を零している。
「うぇっえ゙……っ死ぬならメロとじぬ゙っごのままボクも燃やじでぇっ」
「ちょ、メロはもー死んでる、つの☆ 追うな追うな☆」
「ふぇ、メロぉ……!」
その声にメロへ向きなおれば、弱りつつも微笑む少女の顔がそこにはあった。カンビオンも上体を起こし、ゆったりとした袖でぐちゃぐちゃの顔を拭う。
「まだ、終わってないよ……ビオち」
「おう……っしゃあ! 大事な王子サマ殺そうとしたのはこのボクだぞっ! かかってこいよっざぁーこっ!」
そして小ぶりな悪魔の羽で飛び上がり、声を張り上げた。魔王はぴくりと眼球と褐色の耳を震わせ、腕と羽を身体の前へ持ってきて縮こまる。その次の瞬間には大きく腕と羽を広げ、その覇気から生まれる風圧で部屋に充満していた霧を払ったのだった。
標的を見つけようと金色の瞳を動かして部屋を見渡す。すると払われた靄の中に黄金に輝くものを見つけ、目を凝らした。鏡ではない。
「ユウシャ、復活! もう一度手合わせ願うっ!」
そこには、額の血をアームガードで拭う青年が立っていたのだ。
「ちょっとちょっと、焚きつけてどうするお前たち!」
「多少でも弱らせねば、全員脱出は叶いませんわ! 私、増強剤キメちゃいますっ!
うげっ!! 薬草と混じって口の中最悪ですわ!」
「地獄の食レポ!!」
回復したことで何故か戦闘態勢に入る一行に、ツッコミを入れるのはガンコナーただ一人のようだ。カンビオンも一度は風圧に飛ばされ転がったものの、再び立ち上がり魔王へ魅了魔法を具現化させた魔力弾を向ける。
「大丈夫……ッルカは、何か見つけてきてくれる! それまで、俺たちが!」
その弾を放つのに合わせ、リノも水砲を魔王に向けて打ち放った。対する魔王は落ち着いて二つの攻撃を同時に尾で払いのける。二つの魔法が弾け散ったその時、頭上から剣を振り上げたユウシャが現れ、全力で斬りかかってきた。
流石の魔王も咄嗟に受け止める腕に血が滲み、踏ん張る足はずるずると後退させられていく。追い詰められた状況に、すっと息を吸う。炎を吐くかとユウシャは身構えた。
「アマテオオオオオ!!」
魔王の咆哮が響き、剣すら揺るがして手のひらを痺れさせる。その一瞬にぐんと腕を振られ、ユウシャは床へと吹き飛ばされた。
「私はここですよ、魔王!」
ユウシャが再度立ち上がるより先、その咆哮に応える声が響く。
魔王は視界に愛おしい王子を捉えた。隣に寄り添う桃色の髪の女性に、嫉妬の炎を燃え上がらせる。いつの間にかオーロラ状の殻は消えていた。魔王の殺気に臆すること無く、ルカは王子の手を取って彼に歩み寄る。
「地竜のお祈り! 本当に……叶ったのでしょう?」
金の瞳が燃え滾るように光ったまま、ルカを捉えた。彼女は何を見たのか。彼とこの短時間でどんな言葉を交わしたのか。彼は、思い出したのか? 逡巡の間に沈黙が居座るのを許してしまう。
「地竜の貴方はアマテオと愛を交わした。精霊に愛を誓った! 貴方は彼と同じ人に……、いいえ、人というだけではない……
そう、王族になったのね。ドラゴンの王族に等しい力を得た。だから、貴方はとても強い」
彼は魔王になる以前から、王たる素質を手に入れていたのだ。後は納まる枠を探せば良いだけ。彼がここに座るのは、必然だったのかもしれない。
「ゴンちゃん……ごめんなさい。私は貴方との約束を、ないがしろに……」
「……アマ、テオ……」
「ラウレンス! 貴方の滾り執着するその愛の形は、愛という名であれどアマテオの抱いているものと異なっていたはず。
私は私の言葉で創らない。貴方の言葉で、偽りなく口にして」
王子に触れようとする魔王の手を、か弱く細い腕でルカが遮る。そんなものをちぎり捨てることくらい、魔王には容易であった。しかし、彼女のまっすぐな瞳は逆らうことを許されないように感じさせる。
それこそ、神さまを目の前にしているように。
「……アマテオ。私は……っ私は、お前と出会ったあの庭で、初めての感情を得たのだ……。それからずっと、ずっと……お前を独り占めにしたい。一つになってしまいたいっ。愛しているんだっ
ッぐぁあーっ!!」
魔王は自ら天罰を受け、その場に崩れ落ちるように膝を着く。王子が咄嗟に屈んで彼を支えようとするものの、魔王はその手を掴み、心底愛おしそうな微笑みを浮かべた。
「そうだ……この言葉。何故言えなかったのか。何故、気付けなかったのか……」
「天罰。この世界では持ってはいけない感情だと、心に染み付いているから」
「変えねばならん。……ッ変わらねばならん。私は私を押し込めて……こんなに、拗らせてしまった。
私は屈せん……ッ。もう、この想いを……閉じ込める事はしない!!」
永続的に天罰が続いているかのように、魔王には見えない負荷が掛かり続ける。鼻から赤い液体が伝う。しかしそれに抗うように、彼は立ち上がったのだ。
ごう、ごう、ごう
「っ地震ですのっ!?」
「まさか、地竜のチカラ!?☆」
彼の宣言の直後、低く唸るような地鳴りが響き、世界が揺れる。しかし魔王自身も驚いているようであれば、彼の仕業では無いようであった。
「漸く、見つけました」
「……ルカ? ッ、いや、リュシェ……ッ?」
突然の揺れに皆が動揺する中、ただ一人落ち着いた様子でそう呟いたのは、ルカであった。ユウシャはルカの瞳にこの世の何より青い青を見て、咄嗟にそう呼び直す。
「……ふ。そう……リュシェ。彼女は良い依り代を見付けました」
「そんな……ッリュシェ姫さまでは、無い!? もしかして、貴女様は……っ」
リノは怯えた表情でルカの形をした何かを見つめた。そしてその正体に気付いたようであれば、ルカの顔を借りた何かも薄ら笑いを浮かべる。それから恐ろしいほど青い瞳を、魔王ラウレンスへと向けたのだった。
「地竜の子よ。よくぞ罰に抗い、革命を望みました。感謝いたします。
しかし、叶いません」
穏やかな優しい微笑みを携えながら、凍てつく『ホワイトラビリンス』の吹雪より冷たい言葉を彼へ吹きかける。まるで、心まで凍らされてしまうようだ。
紛れも無く彼らが対峙しているのは、創造の女神であった。
「漸くこの時が来ました……。
貴方たち生物は約束を甘んじた。これを私は確固たるものにします」
「ルカを返してくださいっ!! 彼女は異世界から来たっ……関係無いでしょう!?」
相手が最上位の存在であると分かったうえで、ユウシャは声を張り上げる。そんな一人間の訴えを一瞥し、ルカの姿をした女神は冷気を身に纏い始めた。
「……此方へ呼んだのはリュシェです。適正のある彼女を、この地へ降り立つ私の纏う衣とする為に。これが、ルカの使命なのです……-」
目に見えない冷え切った魔力は、やがてその濃度から視認出来るまで白く視界を凍てつかせ、遂にはルカの姿を隠すように覆ってしまう。ふっと冷気が消え去ったと思えば、そこにルカの姿は無かった。
「ル、カ……?」
「私が……っ私が抗ったから、あの娘は、神に……?」
「あれは! 悪いことじゃないと、俺は思う。ルカも、そう思ってる。それより、ルカを取り返さなきゃ……っ、女神はどこに!?」
「イキモノ、強く願う時……神々の、目に映る……」
魔王が絶望し項垂れると、ルカを一番に慕い心配しているはずのユウシャがそれを否定する。そしてすぐに彼女を救うべく声を上げると、隣でしゃがみ込んだままのリノが、お伽噺でも始めるように記憶に新しいワンフレーズを口ずさむ。
それは、リュシェがアニエスへ遺した言葉であった。
「塔……ッルールブックのある塔に、ワープしちゃったんだっ!」
「女神様は、約束を甘んじる私達の為に、約束を確固たるものにする、と」
「! 革命なんか起こす気が無い……っ、寧ろ、二度と抗えないようにしようとしている!
止めなくちゃ……っ、ルカを、取り返さなくちゃ!」
傷の癒えきっていない身体を、3人はゆっくりと起こす。歩みを止めるわけにはいかなかった。全ては世界の為に。そして、大切な仲間の為に。
例え対峙する者が、決して抗えなかった絶対的存在であろうと。
10章『まおうじょう』 完




