幽閉王子×東雲の旅立ち
東の空がうっすらと桃色に染まり始め、太陽が僅かに顔を出す。
一行が城(兼ユウシャの実家)の上質なベッドでそれぞれ休息を取っているまだ早い時間に、魔王城にある一つの部屋の扉が叩かれた。
「……」
中からの返事は無い。しかしノックしている当人が城主であるならば、中にいる客人の意思など関係なく、ドアは開錠される。リング状のノッカーをぐんと乱暴に引っ張れば、重苦しい音を立てて扉は開いた。中には15畳程の清潔に整えられた部屋が広がり、天蓋付きのベッドやドレッサー等、まるで姫君の住まう部屋のような家具が並んでいる。そのベッドに凭れるように、ココナッツカラーの髪を後ろで束ねた件の少年、アマテオは床へ座り込んでいた。
「その寝具は気に入らぬか」
「……、……」
呼吸をする為か、何か言い淀んだか、少年の薄い唇が僅かながら震える。大きい巻き角を携えた褐色肌の魔王は、邪悪な笑みを浮かべた。
「帰りたいか」
「私など……早く、……始末してください」
少年の第一声に、弧を描いた唇が真っすぐに閉ざされ、身体の割に小ぶりな羽が不機嫌そうに風を仰ぐ。肌の所々に名残りの如くうっすら散らばる竜のウロコを朝の光に輝かせて、彼はゆっくりと少年に歩み寄った。
少年は怯えこそすれ、逃げようとも、動こうともしない。そして、言葉を続ける。
「こんな上質な部屋に入れて、どういうつもりです。私に一国の姫君と同じ価値があるとお思いか。
私などいなくとも、『ソルス』は栄えます。兄がきっと戻る。美しい妹も。私のような証も伺えぬ一族の恥が攫われたところで、私を消す体のいい理由にしかならない……っ」
赤い瞳を隠す重い瞼。糸目の少年は昔聞いた侍女の談笑を思い返し、その言葉を織り交ぜた。
魔王へ向き直ろうとすれば、その整った顔は眼前にまで近付いていた。毛先が朝日に溶け込んですら見えた美しいブロンドの髪が、目の前で輝いている。思わず、息を呑む。死んでも良いと思っていても、いざその時が目前に迫ると恐怖は湧くものであった。
しかし、尖った爪を携える手は少年の首筋をそっと撫でただけで、するりと腕を伝い少年の手を取るに至る。
「それは……都合が良いな、アマテオ。お前は一生私のものだ。
さあ来い、早いが朝餉の時間だ。
お前が私の望むよう思い込んでいようとも、そう考えていない輩が今日もやって来るのだから……」
「パンと干し肉はそれだけで足りるのか?魔力増強剤は……いやあれはあまり使うもんでも無い。お守りに一本入れておきなさい、うん。タオルは持ったかね、薬草もこれだけあれば……いや、もう少し。
おやつは持ったか!?」
「父上、ピクニックじゃ無いんですから……そんなに持てません」
「なら馬を連れて行くと良い! 妻よ馬を……」
「アニ~ッ! 出てきたと思えば直ぐに出掛けるなんて、もう少し母様と一緒にいて下さっても良いのよ~っ!」
「ご、ごめんなさいお母さま……。でも、私行かなくてはいけないから。だから出られたんだもの。大丈夫、これからの時間はたっぷりあるわ。またみんなで、美味しいご飯を食べましょ!」
子どもたちの一斉の旅立ちに、王らは一層過保護になっているよう感じられた。苦笑する兄妹に対し、ルカたちは微笑ましそうに親子を見守る。
「馬もいいよ、アニエスが使う」
「なら護衛兵は!? 何人いる!」
「陛下! ご心配なさらず……彼には水の加護がございます。強い魔術師も、アナライズに長けた背後霊も憑いておりますわ」
「おい☆ そこはアイドルだろ☆
アニアニも安心して~! ジャックさまとりちちの大切なお客サマってなったら、森もモンスターもぜーったい悪さしないから☆」
そろそろ過剰になってきた気遣いを、リノとメロが制止する。明るく旅立ちを彩った笑顔に、無意識的な緊張も解けていくようだった。そろそろ、と踵を返そうとした一行の背後から、複数の駆け足な足音と金属が揺すられ擦れる音が聞こえてくる。
「待ちなさい、……ほら、ほら来た!」
「陛下! 大変ッお待たせいたしましたァ!」
王の呼び止めにもう一度視線を向けると、そこにはいくつかの装備を抱えた兵士たちが息を切らして並んでいた。ユウシャも状況を呑み込めずただ眺めていると、王妃がそのうちの一つである群青色のローブを手に取り、リノの前に立つ。
「決戦の時です。装備は整えて行くべきですわ。
リノには魔力を高める糸を織り込んだローブを」
「まあ……なんて美しい……」
王妃がリノを抱擁するように腕を回しローブを羽織らせれば、金の刺繍が朝日に煌めいた。物質的な温かさだけではなく、心の内まで優しく温められていくような感覚に、リノはうっとりと自らを抱きしめ目を閉じる。
次に王妃は、ちょうど以前のユウシャの瞳のような色合いの、美しい紫の宝石がはめ込まれたペンダントを手に持ち、ルカに向き直った。
「ルカには守護の力を持ったペンダントを」
ルカがためらいがちに頭を垂れるなら、その首にペンダントが掛けられる。魔術を使えるわけでもなく、武術を習ってもいない。ルカは本来、非力な一人の町娘と変わりなかった。元々持っている力を底上げするのではなく、守護の力を付与してくれる装備を王妃らが与えてくれるのならば、それを理解したうえで贈り物を選んでくれたのだろう。
身体を起こすと胸元に収まる想いの詰まったひし形の宝石を、ルカは震える手で包み込んだ。
「そしてアル……誇り高き私たちの勇者よ。貴方には相応しい装備を」
王妃が一歩下がると、黄金色の胸甲を抱えた王がユウシャの目の前に立つ。皮の胸当てを取り払い手に持ったそれを装着させる大きな腕は、ユウシャの脳裏にあった苦々しい過去にない、温かなものだ。青年の心には途端憎しみと共に愛おしさが込み上げて、その仕返しと言わんばかりに家臣や母親の目の前で、父親である王にぎゅっと抱き着いてみる。王は恥ずかしそうにはにかんで、ぎこちなく青年を抱きしめ返すのだった。
「それで……メロ、幽霊である貴女には何を贈ることができたでしょうか。すぐに用意できるものであれば、なんでも差し上げようと考えておりますのよ」
最後に王妃が申し訳なさそうに幽霊少女へ向き直るなら、彼女は気にかけてもらえたことを喜んでいると言わんばかりに瞳を輝かせ、パソコンを開く。
「王妃さま、メロのことも考えてくれてたのっ!? うれし~いっ。じゃあねじゃあね、メロもみんなと一緒に最強装備したいのっ☆ 天井までガチャってい~い?」
「ガ……お金? お金ですか? 良いですよ。何ラヴでも出しますわ、息子を助けてくださる勇者ご一行様ですもの!」
「待って、課金は家賃まで……って、その概念通用しない人たちだった……」
咄嗟に推しの為に課金沼に沈まんとしている者たちを止めようとしたルカであったが、彼らは賃貸に住まう自身とは全く身分も生活も違うのであったと思い出し、頭を抱えた。
本当に回したのか、あるいはDLしただけか、いずれにせよいくら使ったかは聞かないでおきたいフリル特盛のロリィタワンピースを入手したメロが、いつの間にか髪もハーフツインに結び直してご機嫌にくるくると回る。
「……ありがとう。みんな、よく似合ってる。
それじゃあ行ってきます、父上、母上」
それぞれが感謝に深々と頭を下げ、『ソルス・スピロ』に背を向ける。森に阻まれ何も見えないはずのその先を、使命を抱えた一行はまっすぐに見つめて、歩み出したのだった。
9章『ソルス・スピロ』 完




