船唄×帰る場所
魔法の解け始めた海底からリノとセルキーに抱えられ、一行は海面へ浮上する。顔を出すと、久方ぶりの青い空が広がっていた。
「ぷはっ! ああ……空だ!」
海面から出た一行の声や姿は元の性別のもので、セルキーも美しいパライバトルマリンの髪はそのままに、逞しい男の姿へ変貌している。
「いた! いたぞ! おーい!」
「じゃあ、俺はここで。……そうだ、ルカ。貴女はよくこの剣を使いこなせていた。貴女になら差し上げても良いと思っているよ、どうだい?」
自身らの乗ってきた一隻の船が見え、それに乗る大勢の男たちの声が聞こえた。徐々に近付いてくるそれから逃げるようにセルキーは去ろうとしたが、その直前にルカへ提案を持ちかける。
思わぬ問いかけに一瞬驚いたように目を見開くが、やがて太陽に照らされた穏やかな笑顔を彼へ向けた。
「いらないわ! その子たちは、今こそ穏やかな海で眠るべきよ」
「良い返事。それじゃあね」
「ルキっちばいば~い☆」
「ありがとう、セルキー!」
「シンさまと末永く、お幸せに」
器用にアザラシの尾を跳ねさせて、彼は群青の海へ沈んでいく。入れ替わるように、一行の傍で船が止まった。笑顔で手を差し伸べる男性は、海底で見たロレッタの旦那と名乗り出た女性によく似ている。
「あんた達、アザラシに連れていかれた連中だな!?
良かった……良かった、無事で! あんた達を探してたんだよ!」
「霧が晴れたのもあんたたちのおかげか!?」
引き上げられて早々、岩場にいたであろう面子が心配そうに顔を覗き込んだ。
「皆さんこそ、ご無事で良かったです! ええ、見事勇者ご一行が霧を晴らしましたよ!」
そんな心配を払拭するべく胸を張ったユウシャの言葉に、船乗りたちは歓声を上げる。女性陣は苦笑したものの、皆の無事に安堵した。
「皆はどうやって船まで来たの? ルサールカたちは……?」
「ああ、もうそりゃ、大乱闘のらんちき騒ぎよ!」
「あんた達に感化されてさ、居ても立っても居られなかった!
もう持ってるもんでも落ちてる石でも、何でも良かった! みんなで岩を砕いてったらモンスター連中が来てよ、俺たちはおっ母みたいな身体で果敢に戦った訳だ!」
「まあ俺たちが勝つのも無理はねえさ、だっておっ母は俺より強いからな!」
がはは、と盛大に笑う船乗りたちの声に、美しい歌声が微かに混じる。皆不意に口を閉ざせば、それは陸から聞こえる船唄と分かった。
「ロレッタ……」
さっきまで騒いでいたのが嘘のように、船乗りたちは静かに涙を零す。やがて陸の姿がはっきり視認出来る頃、一人の女性が海に入ってまで駆けてくるのが見えた。
「あんたーー!」
黄金色の髪が揺れている。船乗りの内の一人が、海に落ちた。すいすいと泳いで、足が地に着けば無我夢中で女性の元へ走る。
「ロレッターー!!」
浅瀬で水しぶきを上げ、二つの影は一つになった。
「ユウシャ、リノ、メロ、ルカ。本当に旦那を……皆を連れて帰って来てくれた。ありがとう。
改めて、おかえり」
陸へ辿り着いてすぐ、潮水ひたひたの船乗りも一行も、まずは湯で身を清める運びとなった。麻のシャツと帆布生地のような固めのスカート、ズボンをそれぞれ借りてリビングへ戻れば、ロレッタが飛ぶように駆けてきて一行を抱きしめる。
「帰って来るって、約束したもの」
「ほんとはねっ、ダーリンちょーヤバい姿だったんだよ!☆」
「こらっ、女体化のことは言うなーっ」
「ふふ。後で聞かせてね。
明日にはグリフォンを呼ぼう。貴方たちの功績はしっかり形として讃えられるべきだもの。ヤイチさんには近々挨拶に行くわ。
さ、まずは食堂で宴よ! 皆ルカたちにお礼を言いたくて仕方が無いんだ!」
「ですが……奥様。この街は霧が晴れたばかり……。食料の備蓄も、決して豊富では無いのでしょう?」
嬉しそうに立ち上がるロレッタに対し、稼ぎ手が戻ってきたばかりの街の食糧難を案じ、リノがそっと問いかけた。その問いかけに彼女が困った笑みを浮かべるもので、一行もこの街から報酬にしろ宴にしろ、施しを受けようとは思えずにいる。
「いや、それが何だかさっぱり分からないんだけど、桟橋にいっぱい魚が積まれていてね! モリで突いた痕があるんだけど……帰ってきた男たち、だーれも知らないって言うの」
彼女の言葉に、一行はぱっと目を見開いて、顔を見合わせた。誰からのお届け物かなど、容易に思い浮かぶ。それは一行への戦利品か、街への詫びかは分からない。
しかし、今宵街が楽しい笑い声に包まれる事は、間違いなかった。
「う、う~ん……。いたた……俺座ったまま寝てた……?」
「おはよユーちゃん! 大半そのまま呑んで寝てるよ☆」
宴の行われた貸し切りの大衆食堂で目を覚ましたユウシャは、座り寝による身体の痛みに腰を擦りながら辺りを見渡す。リノや早起きの女性たちが片付けを始めていたものの、昨夜のどんちゃん騒ぎは未だ色濃く残っているようだった。
宴が漁師や冒険者たちの帰還を祝い、勇者ご一行の勇姿を讃え賑わっていくなか、ルカたちがシンとセルキーの話題に花を咲かせていたことを、ユウシャはふと思い出す。
『シン様とセルキー様、貝の中で一体何をされていたのでしょう……』
『そりゃもう、絶対アレだよ!』
メロが口を尖らせ目を閉じる素振りを見せると、ルカとリノがぽっと頬を染める。
『お二人には大変な道かと思われます……。それでも、心が結ばれて良かったですの』
『まさかルキっちもシンシンが好きだったなんて~! ……その場の勢いとか、勘違いじゃなきゃ良いんだけど』
『それは……大丈夫だよ』
メロの言う通り、事態を収束させるための思い込みであれば、これ程悲しいことは無い。しかし、ルカはそれを杞憂だと即座に否定したのだ。
『セルキー……きっと私たちを信頼して協力してくれてたんじゃないと思う。あ、いや……騙そうとしてた訳でもなくて。色々と手助けもしてくれたし』
『ルカ、セルキー様を信用されていませんでした?』
リノが顎に手を当て、ふと何か考えるように目を逸らしたかと思うと、再びルカへ視線を合わせて微笑む。何か思い当たる節があったのだろう。
『うーん……肯定してしまうと、私が悪い人みたいね。信用してない訳じゃないよ。剣は借りた。セルキーも私たちを殺そうとして傍にいた訳じゃないし。
シンを大好きなセルキーには私たちが……特にリノが、脅威になる存在だったのかなって』
『それって、ヤキモチ!?』
『そうね。でも……もしあっていたとしたら、それは嫉妬なんかよりもっと、怖いものかも』
『執着、ですか。良いですわ、貝という防具を失くしたシン様、これからはセルキー様の寵愛を受けて過ごされますの!』
リノとメロは確実性を増した二人の愛にはしゃいでいる。しかし、ルカの表情は僅かばかり、まるで無理して笑っているかのように引き攣っていた。それを見て一連の事件を思い返すユウシャにも、一つの疑問が浮かぶ。
結局、根本的な解決をしたのはセルキーだ。彼は何故、自身らが来るまで行動を起こさなかったのだろう、と。
ユウシャには、セルキーは自身らの登場により焦りと気付きを得たのだと考えるまでが限界だ。そこに執着の二文字が結びついたのはルカだけで、その考えは彼女の内に留まり、誰も知ることはない。それから女性陣はまた、華やかな笑顔で何気ない会話を楽しんでいたように思う。
そんな彼女らの会話に想いを馳せていたユウシャへ、ロレッタから声がかかった。
「おはよう! ごめんね、嬉しくって飲み過ぎちゃったのもいるけど、そろそろだから準備してきて頂戴!
さあ、グリフォンを呼ぶわよ!」




