憤怒の矛先×シーサーペント姉戦
一方で姉のシーサーペントに対峙するのは、桃髪の青年ただ一人。しかし少女がそれに対し憤ることも油断することも無いのは、彼の持つ剣の強さを、身をもって知っているからだろう。
「この海が抱える問題は、俺が考えていた程単純では無いようだな……シーサーペント」
「うん。そうだね、にんげんさん」
「ルカで良いよ。
……貴方たちはシンの貝柱を食べて力を得た。しかし、シンは元々ランクC-程度のモンスターのはずだ。例え魔力に全て振っていたとしても……貴方たちにそれだけの力を与えられるはずが無い」
「……」
「そもそも、あの魔霧すらまともにコントロール出来ていなかった。となればシンは、あの魔霧を生み出すのに新たな力を得ていたと考えられる。
そしてそれは、貴方たちから盗ったものから得られたんじゃないのか?」
無表情に黒曜石の瞳を光らせ、ルカの話をただ黙って聞いていたシーサーペントであったが、唐突な真相に迫る問いかけにふっと小さく笑う。それは幼げな見た目に反し、大人びた憂いあるものだった。
「……まさしく。シンめがぬすんだのは、われわれウミヘビに与えられた、ポセイドーンのサンサソウなり」
カンッとモリの足先を岩に当てて音を響かせる。唐突に変わった声色と口調は、彼女の怒りがどれ程のものかをまざまざと感じさせた。
ポセイドーン。海を司る神。ルカにも聞き覚えがある名であった。
「ポセイドーンの三叉槍……。人間の創り出せるものじゃない、まごう事無く神性のランクAウェポンだよ、るかるかセンセー!」
「メロ! 良いのか、こちらに着いて」
「免れた☆」
突然のメロの登場に驚くものの、やはり一人での戦闘は心許ない。メロが戦闘力の無いナビゲーター要因と扱われ姉妹の約束を免れたのは、ルカにとっては幸いだった。
「まあ、そんな凄い代物を、シンシンは泥棒しちゃったんだよね」
「……そうだ。あつかいも知らぬきゃつめが、まりょくを引き出し、ぞんざいにあつかい、そしてはかいした!
いもうとはきがふれた。いくさにくるった。……わたしもだ。力がほしい。
すべてをかいしゅうすることは叶わなんだ……、しかし、そのツルギ。そののろい! われらにこおうし、かならずやわれらのための、強大な力となろう!」
「……争い、力を得る事を楽しいと感じている今を、気が狂ったと貴方が感じていても……もう、止められないのか。
なら、この剣でお相手しよう。
貴方はその目で見るが良い。この剣を持つことが、どれだけ恐ろしい事か」
互いが武器を構え、視線を交わす。サンゴの剣は既に黒とも紫とも取れる色合いで揺れる魔力を放ち、迎撃態勢でいる。
「るかるかセンセー! 神性トライデントには劣るけど、あの武器相当強いよ! B+か……良いとこいけばA-!
対してセンセーの武器、呪力はAって言ったって過言では無いけど、力としてどこまで発揮できるかはメロくんにも未知数だ。反動も考えて、慎重に……!」
「ルカ、見せてもらうぞ。そのけんがどこまでやれるかッ!」
モリを構えたまま、姿勢を低くしたシーサーペントがルカへ急接近する。ユウシャのように剣術を習ったこともないルカはと言えば、見よう見まねで剣を傾け三またの刃物を受け止めようと試みた。
ゴッ! と鈍い音を立てて二つの武器がぶつかる。否、シーサーペントの武器を受け止めたのは剣が放出している魔力だった。当然ルカに彼女のモリを受ける技量など無く、その全てを剣の力が補っている。
「あはっ! そのていどののろいかァ! 主がしろうととはいえ……りとうのサンゴのいちぞくも大したことがないっ! くだいてじゅりょくだけすすってやろうか!?」
「ヒッ駄目だよっそんな風に煽ったら! るかるかセンセーッ剣捨ててーっ!」
彼女の煽り文句に、彼女の望み通り剣の放つ呪力が増す。視認できる禍々しいオーラが数秒剣の周りを渦巻いた後、どうっと爆発したように噴き出しルカとシーサーペントを覆った。
「ぐっ……!」
「るかるかセンセー!!」
全身に鳥肌が立つ程おぞましい呪力に纏わりつかれ、思わず目を瞑ってしまったシーサーペントが次に目を開いたのは、真っ暗闇の中であった。その暗闇の中に、二人の人影が浮かび上がる。
一人は、かつての逞しい肉体を持った大切な弟。そしてもう一人は、女の姿をしたままのセルキーであった。その弟が気を失い、セルキーの前に倒れているならば、シーサーペントにしてみれば好ましい状況ではない。
「シーちゃん……! シーちゃんから離れろっ!」
唯一動く口でめいっぱい叫んでみれば、それは今より知能が削られていない、青年の頃の声色だった。セルキーは穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳に光が射さないのであれば、それは対峙する者からすれば不気味にしか映らない。
「シンは貴方の大切な槍を盗んだ。盗んで壊した。だから貴方は、シンを食べた。私の大切なシンを食べた。
だから私は、貴方の大切な弟を食べるわ」
「は……ふざけるなっ! そもそもシンが始めたのだ! っそれに、貝柱だけ……! 彼女は死んでいないっ!」
「貴方が私のシンを食べた。だから私は、貴方の弟の肉を食べる。皮を履く。骨を纏う」
「止めろっ! やめろ、やめて……! 僕でいい! 僕をくれてやる! だから弟は……!」
「駄目よ。貴方は目の前で見ていて。私みたいに、食べるとこ見ていて」
「やだ、やだぁあ!」
何故か動かない身体、逸らせない視線に号哭する。セルキーの尖った歯が弟の逞しい腕に噛みついて、ザクロのように肉を爆ざしたその時、ぼとり、とセルキーの頭が落ちた。
「ひっ……、る、ルカ……?」
セルキーの後ろには、己の武器であるモリを持ったルカが立っていた。その刃先に血が滴っているならば、首を落としたのは彼だと、シーサーペントにも理解できただろう。
「シーサーペント。ここで見たものはみんな夢だ。貴方が一番見たくない、精神を削る悪夢。
あの剣が怖いものだと分かっただろう?
目を覚ませ。夢からも、争いからも。貴方が一番大切なものを、瞼を開いて見るんだ」
「……っごめん……おとうとを、うしなうこと……どれだけ、おそろしいことか……っ!
かえる……。わたし、おとうとのとこ……かえるよ。ごめん、ルカ。ルカも……、ルカは……?」
悪夢をルカが立ち切ってくれたなら、シーサーペントはもう目覚めることが出来るだろう。現に、その声色や拙い口調は既に現実世界で幻術に掛かった姿、少女のものである。一緒に、と彼女が伸ばしたその手を、ルカは取らなかった。
「俺は……、すまない。もう少し、悪夢を見ていくよ」
「ルカッ!!」
ルカの視界が暗転する。代償を払う覚悟は出来ていた。
瞼を開くと、用意された舞台は悪夢に相応しくない、昼間の森の中であった。
「ああ、■■■■……最後に、一目……」
何かが森の木々を掻いくぐり駆け抜けていく光景。麗しい透き通った女性の声が響くならば、この視界の主は彼女であるのだろう。無論、その声はルカのものとも異なっていた。
代り映えなく木々が一面を覆っていたが、やがて森は深みを増し、空も暗く陰っていく。
「はぁ……っはあ……っ、お願い、言わせて……っ最後に、伝えさせて……っ」
彷徨った時間はルカの体感でも長くはないが、女性は視界が暗くなっていくのに比例して苦しそうに呼吸を荒くし、弱々しく言葉を紡いでいる。
「あの子に、伝えたいの……! ■■■■……ッ愛している!」
目の前で、サンドベージュの髪が揺れた。
ドォンッ!
「うぐぅ……っ!」
途端、胸に強い衝撃が走る。低く唸ったのはルカ自身であった。その後は早鐘を打つよう、胸の高鳴りが治まらない。
耳に届くほど煩く高鳴っていた心臓が落ち着いていき、やがて止まってしまったかのように静かになると、息苦しさに閉じていた瞼をうっすら開く。
闇だった。命潰える感覚はこのようなものなのだろうかと、ふと考える。恐怖に手を伸ばした。しかし、何も掴むことはできない。伸ばした自分の腕すら見えない、底なしの暗闇だ。
寂しい。怖い。誰か。誰か……!
「るかるかセンセ」
子猫のような甘い声が響く。伸ばした手を、青白い手が包む。途端、まるで少女自身が発光しているかのように視認できるようになった。コバルトグリーンのツインテールが揺れている。
なんで、メロに触れるんだろ。
ぼんやりと頭に浮かんだ疑問もそのままに、縋るようにその胸へ飛び付き涙を流した。
「うあ、あ……! めろ、めろぉ……!!」
「うん、うん。怖かったね」
「っ……なんで、来れたの……? 私、死んだの……?」
「るかるかセンセーがこんな所で死ぬわけないじゃんっ☆ メロは迎えに来たんだよ。ま、込み入った話は起きてから!
えへ、ハグハグするってこんなカンジなんだ☆ こんな悪夢で不謹慎だけど……嬉しーね。
さ、帰ろっ。こっちこっち!」
メロの手がルカの手をぎゅっと握って、闇の大海原を泳ぎ出す。触れ合う箇所に温かみはなく、かといってよく言われるような冷ややかさもなく、ただ実体があると感じられるだけだ。不思議な感覚に身を委ねていると、やがて突き刺すように眩しい光が細く差し込む。
その光の穴に向け進んでいくならば、ルカも漸くそれが夢の出口だと悟ったのだった。




