シン×セルキー
「さあ皆、もうすぐだわぁ。お疲れさま」
「あれからモンスターに遭遇する事もありませんでした。ラッキーですね!」
戦闘を終え暫くは歩いた筈だが、景色は変わらない。強いて言えば、この一帯は海藻が大きく成長し、海底を歩くには霧も相まって視界を遮り迷惑と思う程度だ。
しかしリノの言う通り、あれからはモンスターの一匹も見かけない、全くもって穏やかな海であった。例えそれが嵐の前の静けさだとしても、体力を温存できたのはありがたい。海藻を掻き分け、その先の拓けた空間を覗き込む。
「うお、でっかい貝だあ☆」
「シン! 久しぶり……遊びに来ちゃった。まだ貝柱曲げてるの?」
「……か、帰って」
目の前に鎮座していたのは、シングルベッドサイズの艶やかな、縞模様の貝だった。セルキーが歌うように声をかけ、貝殻をコンコン、とノックす。まるでファンタジーなアニメーションのような光景だが、返ってきたのは面白みもない拒絶の一言だ。
ぴったりと隙間なく閉じているはずのそれからは、絶え間なく白い煙が噴き出している。正しく此度の元凶だと、一目瞭然であった。
「初めまして。我々は海の外から来て……このセルキーに案内してもらったんだ。貴方のところまで。
実はその……率直に言うと、困っている。だから、シンの話が聞きたいんだ。どうしてこんな幻覚を?」
ルカは努めて、これ以上無いと考える程優しく、貝に語り掛ける。これぞ社会人のBランクスキル、おひたしである。
「……無理。良いから。うんざりだ、何も知らないくせにそういう……ただ寄り添うみたいな感じ」
それを一蹴されてしまうなら、驚いた様子で仲間に向き直った。彼女はわが社では手に負えないですね。とでも言いたげにルカはお手上げ、ユウシャは腕を組んで首を傾げ、リノも肩をすくませている。
「じゃあ何、シンシンを白状させるには拳で聞き出すしかないってこと?☆」
「割れるもんなら割ってみろ。ガードに全振りしてんだこっちは」
「ぐぬぬぬ……」
「セルキー様、私どもではまともに取り合って頂けません。どうかお力添え頂けませんか」
メロの脅しも挑発も効かないとなれば、この貝はもはや要塞だ。幼馴染であるという彼女の説得が一行の頼みの綱であれば、リノが耳打ちでセルキーに陳ずる。
しかし、頼まれた彼女の顔に今までの穏やかで余裕気な笑みは無く、ただ困ったように苦笑を浮かべていた。
「私が話せるものなら、もうとっくに貝は開いているのよねぇ」
彼女の納得の一言に、一行は肩を落とす。ルカは眉間の皺を指でほぐしつつ、再び貝に顔を向けた。
「じゃあ……もっと率直に行こう。煙を止めてくれ、シン。『シーサイダース』の住民が迷惑している。漁に出られなければ、彼らは生活が出来ないんだ」
「……無理。人間なんか……知ったこっちゃない。どうせボク、クズだし」
「無理なのは、もう自分では止められないから?」
「……うるさい」
「図星だ。シンも困っているんじゃないか。
本来貴方は……そう、女性になりたかった。或いは、誰かの性別を入れ替えたかった。でも、失敗した」
「っ、やめろ」
「失敗したっていうのは、お互いが幻術にかかってしまったということ。コントロールが効かなかったんだな。
貴方が性別を変えたかった理由……、誰にも救えない想い」
「言うな、それ以上……!」
「俺はこの世界を旅してきて、目にしたものがある。同性に恋をすることへの否定、拒絶の心。そして……恐怖心。
シンが怯えて閉じこもっているのは、男の子に恋をしてしまったからか?」
「やめろっ! 痛いんだぞあれぇ!」
「今ですね!」
ルカが核心を突いたその瞬間、貝が開き青いチャイナドレスに身を包んだお団子頭の半泣き少女が顔を出した。会話中秘密裏に貝の傍まで誘導されていたリノが、すかさずその逞しい身体を貝にねじ込み、閉じようとする貝殻を阻む。
シンのチリアンパープルの瞳一面に、リノの整った顔面が映し出された。一刻、閉まろうとする力が弱まる。
しかし、それは一行にとってチャンスではなかった。リノが認知したのと同時に、その腕に靄掛かった触手が絡みついたのだ。
「っ、これは!?」
「あは……見つけた。ボクの許される道……」
「あああ、あれは、触手プレイ!?☆」
「しょくしゅぷれいって何……?」
「ちょっとぉ、アレ危ないわよぉ! 貝の中に引きずり込もうとしてる!」
別の観点から見て興奮するメロと、謎の言葉に疑問符を浮かべるユウシャ。一見呑気に見える二人へ、意外にも一番現状を理解している様子のセルキーが慌てて行動を促した。
「身体が、思うように……っ、何故……」
「させないぞ、シン!」
今までの戦闘から見ても、海水とはいえ水中となればリノの力は普段のCランクを上回っている。ならばシン程度のモンスターから逃れる事など造作も無いはずだった。
そんな彼が理由は分からずとも弱っている今、ルカは咄嗟にサンゴの剣をつっかえ棒のように貝の中へ挟み、シンの思惑を阻止しようと試みる。シンはその剣を恨めしそうに一瞥し、ルカを睨んだ。
「何使ってんだお前……っあっち行けっ!」
「ぐぅッ!」
「ルカッ!」
剣に恐ろしい力が秘められていようと、ルカ自身の身体能力に未だ向上は見られない。シンが身を乗り出すと、ルカの鳩尾を蹴り上げた。僅かに足がめり込んだと思うと、次の瞬間にはルカが後ろへ倒れ込む。
それをスローモーションのように感じながら、ユウシャが駆け寄って上体を抱き上げた。
「おれじゃ、なくて……ッリノを……、うごけない、なぜか……っ」
「あは、知らない? 精霊封じの魔術……持ち場でチートってズルすぎるんだよ、まあ一時的だけどね……じゃ、
ばいばい」
支えの無いサンゴの剣もつま先でちょいと跳ねのけ、まるで敗北する一行へ手向けのように種明かしをしつつ、シンが貝の戸締りを始める。
「何故リノが狙われるのかしらぁ。何だか、代用しようとしてるみたいだけどぉ……」
「……あ、わかった!☆」
セルキーが根本原因を探ろうとしたその時、メロの弾む声が灰色の海に響き渡った。
思わずシンの貝殻も動きを止める。まるで海全体が静まり返り、メロの次の言葉を待ち望んでいるようであった。
「シンシンさ、ルキっちの事好きなんじゃない?」
「は!?!?」
「ルキっち、誰かに似てるってずっと思ってたんだよね☆ そう、女の子のリノりぃに似てたんだ!」
「シン、私の事好きで女の子になってくれたの?」
「ちっちちちちちがわい!」
シンの反応から、メロの推理は図星と思われた。シンが狼狽えたことで術式が緩んだ様子で、リノが少しずつでも後退る。
「よぉし。皆、貝を押さえてぇ。シンがまた引きこもっちゃう前にね」
現に公衆の面前で恋心を明かされたシンは周知に真っ赤になって、リノを取り込む事も忘れて貝を再び閉ざそうとしている。ここで逃せば、引きこもり期間は長期延長となることだろう。
「ユーちゃんっ杖! リノりぃの杖!」
メロの声に視線を落とせば、リノの傍には無骨な杖が転がっていた。ルカがユウシャの背中を押すと、その反動も相まって飛び掛かるように杖を捕らえ、貝に挟み込む。その隙間にルカ、リノが腕を入れ、貝殻を無理矢理開いた。
「やめ、離れろ、ボクは引きこもるんだ~!」
「ッセルキ、早く……っ!」
「行くわよぉ!」
シンの閉ざす力が優勢となり、ゆっくりと狭まっていくその隙間目掛け、セルキーがカツオの如き速さで突撃する。見事そのしなやかな身体は貝の中へ収まり、一行は後方へ弾け飛び、キラキラと小さな泡が立った。
「シン。私、どんな問題も解決するすっごい呪文、思い付いちゃった。
私も貴方が好きよ」
貝の中で何が行われたのか、一行には知る由も無い。しかし貝が力を失ったように大きく開き、中から戦闘不能となったモンスターが二匹発見されたとなれば、事件は解決に向かったと考えて相違なかった。




