準備×旅立ち
「さ、見えただろ? あれが『トラベラヴァタウン』の入り口さ」
「トラベラヴァ、タウン……。あまり、外に警戒心が無いのね」
暫く青年の案内のまま、地平線へ向け歩みを進めていたところ、木材で出来たデザイン重視と思われる可愛らしい門と、外壁の代わりとばかりに立ち並ぶ背丈の低い家々が現れ始める。更に街との距離を詰めれば、開け放した門の周りに点々と兵士たちの姿が伺えた。
そういったコンセプトの店か、あるいはインターネット上でしか見た事の無い、可愛らしい街の片りんを見たルカは、胸のあたりがむず痒くなるのを感じる。抑揚の無い声には現れない、期待と興奮が渦巻いていたのだ。
「いらっしゃい、お寝坊のお嬢さん。それからよく見た顔の青年」
「長旅ご苦労。街を楽しんで」
「うるさい。ああ、どうもどうも」
兵士たちの呑気で和やかな挨拶に、まるでその類のアトラクションに入るようだと錯覚してしまいそうになる。彼らを邪険にして歩みを進める青年の後を追い、ルカも街へと足を踏み入れた。
しかし足元が石畳に変わったのに気付いたのが、視覚より触覚を通してであった時、改めて自分の恰好の異質さを思い知る。
「見ての通り、この街はとても栄えてる。さっき君がいた草原。あれは『はじまりのそうげん』と呼ばれていて、冒険者が手始めに腕を磨く場所なんだ。
この街は冒険者を客に生計を立ててる。逆に冒険者は、ここに来れば冒険者としての準備に必要な全てが揃うという訳だ。君も……」
「ねえ、ねえごめんなさい。これで靴は買えるかしら」
ルカも心躍る街並みへの解説には耳を傾けていたかったものの、現状を知らせたい為にガイドに夢中な様子の青年の赤いマントを掴んで、手のひらに握られた僅かな銅貨を見せる。それは先程スライムに勝利した際に得たものだった。
今まで揺らぎもしなかった彼女の瞳に初めて不安の色を感じ、青年は胸を締め付けられる。それから漸く、彼女が布団から起き上がったばかりの無防備な女性であった事を思い出したのだ。
「す、すまない! もっと早く言ってくれ……いや、気の利かない俺が悪い。そこのベンチまで、歩ける?」
現代の西洋をも思わせるその街では、憩いの場として街灯と合わせて木製のベンチまで配置されているようだった。今までを思えば苦でもないベンチまでの距離を難なく歩き切ったルカを座らせ、青年は一つの店へと走る。
暫くして戻った青年の手には、光沢ある赤い木靴が握られていた。ルカの前で跪くと、靴を彼女の足の前へ並べる。
「そういやさっき、俺は君に負けたんだった。これは君への戦利品って事で」
「……ありがとう」
靴の側面に付いた白い羽のチャームに、ルカの顔も綻ぶ。年甲斐も無くその靴を身に着けてぶらぶらと足を揺らせば、ご機嫌なのが青年にも見て取れたようだった。
「それと、ここからは交渉に入るぞ。俺は見ての通り冒険者だ。ここで精神と肉体を鍛え上げて、もっと厳しい環境へ旅立ち、色んな街を巡りながらその土地の人々を助けて回りたい。名が知れれば国家レベルの依頼が入る。成果を上げれば勇者への昇格。
……と、とんとん拍子に事が進めば良いんだが、俺には幼少期から習っていた剣術ぐらいしか強みが無い。特別なスキルも無ければ魔術も苦手で……魔力の増強剤とか飲んでみたけど、あれ気分が悪くなるよ。
酒場に足を運ぼうとも考えたが、右も左も分からない俺たちを食いものにする奴らもいるらしい。出来ればここで出会った他の冒険者を仲間にしたいと考えていたんだ」
青年はルカの隣へ腰かけ、現状のいきさつを語り出す。真面目な話の最中、食いものというワードに一瞬ばかり光を放ったルカの瞳に、青年は気付いていない様子だ。
「もう分かるだろ? 君の呪術の才能を見込んで、俺に同行してほしい」
「私は私の呟きを呪文だとは思っていないけれど」
「でも実際、君は呪術で俺とスライムを一掃したんだ!あれはこの世界で君の武器になる。
それに、君は元の世界に帰りたいんだろう、色んな街を巡って早いところ自分の使命を見つけた方が良い。
着いてきてくれるというなら、君の装備は俺が整えよう。今夜の宿も保証する」
「……分かったわ。
まあ取り敢えず、酒場に行ってみない?」
「俺の話聞いてた?」
ともあれ、交渉成立となれば青年はベンチから立ち上がり、彼女の手を取る。
「これから宜しく! って事で、良いんだよな?
あははっ、そういや今更だけど、名前は?」
「ふ、確かに今更。ルカよ。貴方は?」
その温かく大きな手を握り、ルカも立ち上がった。空はいつの間にか朱く染まり、寄り添い佇む街灯が灯って早いうちに夜支度を始める。
「……そうだな。俺のことは、ユウシャと呼んでくれ! いずれそうなるのだから。
さあて、取り敢えず服屋に滑り込むぞ!」
遅めの自己紹介を終えレンガ屋根のブティックへ足を運ぶと、さほど古風では無いが民族的な装いが並んでいた。
その中でルカの目を奪ったのは、彼が選んだ靴と同じ、真っ赤なプリーツスカートだ。それをベースに綿のシャツやアイボリーの上着、ニーソックスを黙々と選ぶと、「良いかしら?」とでも言いたげにユウシャへ向き直る。これが社会人の決断力の速さであった。或いは同人即売会という戦場を潜り抜けた戦士の決断力とも言えよう。
「良いよ。着ておいで」
「…ありがとう、ユウシャくん」
交渉とは言え礼儀は忘れず、頭を下げて試着室へ入れば、カチカチ、チン。とレトロなレジスターの音が聞こえてくる。音楽の無い静かな店内は現代で言う田舎の個人店を思わせ、それもまた心地良い。
着替えを終えたルカは自分を可愛く見せようだとか、そういう気持ちは無いらしくパジャマを抱えてすたすたとユウシャの隣へ歩み寄った。
「素敵だよお嬢さん。ほら、彼氏にくるっと一周見せておやりなさい」
「あ、そういうんじゃないので」
この塩対応である。
「まあ、ルカが気に入ってくれたなら良いさ。さ、宿へ行こう」
「うん、とても。……あ、ちょっと外で待ってて」
ユウシャが苦笑いを浮かべるなら、何百という客を相手取ってきた店主も思わず気まずげに乾いた笑みを顔に張り付けた。そんな空気から逃げ出すように、用が済んだなら宿へ……と促した彼を、思い出したような声を上げたルカが制止する。
言われるままブティックの外で待っていれば、暫くして先程の装いにコーラルピンクのマントを羽織ったルカがブティックから飛び出し、隣へ降り立った。
「っと、お待たせ」
「それ、どうしたの?」
「おそろい。スライムからの戦利品で。
それに……旅人のたしなみでしょ?」
悪戯っぽい笑みに、ついユウシャも顔が赤らんでしまう。
「君、そういうとこ……」
「それで、酒場はあっちかしら」
「だから行かないって!」
残念ながら、結局酒場でユウシャが辱めを受けるイベントは発生せず、程なくして二人は宿に辿り着いた。慣れた様子でチェックインを済ませる彼の姿は、この街への長期滞在を連想させる。しかしそれを言うのは野暮だと、ルカは口を噤んだ。一応、空気は読めるらしい。
「これ、君の部屋の鍵。明日はもう少し遠くまで行こう。……そうだ、南の森の奥にウンディーネが守護する癒しの泉があるらしい。そこまで行ってみないか? 大丈夫、草原に面した森にそう強いモンスターは出ないさ!」
冒険者を客に生計を立てる街であれば、必要なのは経験値を得られる程よいモンスターの存在だ。その為この周辺は、モンスターとの共存に適すよう未開拓の森や野原に囲まれている。
中でも草原を街と対極に南へずっと向かった先の森には泉があり、その水に精霊の加護で癒しの効果が付与されているとなれば、冒険者で知らない者はいない。
「初心者は行かない方がいいよ。今はモンスター達が荒れてる」
揚々として話すユウシャの言葉に割り入ったのは、宿屋の主人であった。
「え……、何か、あったんですか?」
「さあね。客の話だ。ランクの高い冒険者を待つか、自然に落ち着くのを待った方が良い」
この街では見飽きた冒険者二人組にはそれ以上の興味も無く、話しかけてきたにも関わらず主人は既に今日の売り上げを数え始めていた。
二人も静かに宿泊部屋のある二階へと向かう。そして、隣同士の部屋の前で顔を見合わせた。
「そんなの、「行くしかない!」」
この時ばかりは意見が合った二人は、微笑みを最後に別れ、それぞれの寝台で眠りに付く。
それぞれに、単調な日々の延長線上に無い明日が待っていたのだ。