コックリ様×月彦
同時刻、ユウシャとルカは天狐と月彦に対峙していた。少女を壊させまいと、後方に匿う。
かの妖烏天狗に対し向かっていったのは、精霊一人。月彦は苛立ちを隠せない様子で、髪を乱すように掻いた。
(ああ、小夜、小夜……っ!何故一掃出来る力を持ちながら、狐狗狸様は自ら動かない!)
「ッああ……、そうだ、狐狗狸様! こちらをお使いください!
さあ、これで手を汚すことも無い! さあ!」
月彦は思い付いたように声を上げると、作業場を隔てていた奥の襖を開く。そこには不完全な木偶人形がいくつも並んでいた。
「……そう、か。……月彦、お前は、今でも……」
「まさか……! やめろ!」
「狐狗狸様!!」
天狐は言い淀み躊躇いを見せていたが、ユウシャが月彦の企みに気付いた事で、焦燥した月彦が声を荒げる。
その声にひくりと尾を揺らし、木偶人形たちへ魂の火を灯した。
途端、人形たちがうごめき出す。生まれたばかりの小鹿のように震えては、何故生まれ出でたのかも分からないまま、何をすべきかと指示を待ち望んでいる。
「奴らを、追い出せ……」
苦悩の中発せられた天狐の命令により、木偶人形が一斉にルカとユウシャ目掛け飛び掛かってきた。ルカは咄嗟に羽ペンを顕現させるが、それだけでは太刀打ちのしようがない。
「ルカ、下がれ!」
先頭を切ってやって来た人形が数体、真っ二つに裂かれ畳に転がった。
ユウシャの震える手には剣が握られている。転がる木片の後ろには、まだ幾人もの木偶人形が並んでいた。
「……っここは、俺が引き受けた! 頼む、ルカ!」
人形たちを誘導するよう、転がる木片を振り回し、ルカたちから距離を取る。先程まで木材だったといえどその数は多く、ルカはユウシャの手助けが出来ない武器を握りながら、悔しそうに唇を噛んだ。
しかし、
『俺たちで出来る事、やってやろう!』
ユウシャの言葉が、頭に浮かぶ。リノも、ユウシャも、自分に出来る事を引き受け離脱していったのだ。ユウシャは木片に殴打されながら、必死に剣を振り回し応戦している。外では大量の水が天に向けて放たれており、相当の魔力を消費している事が伺えた。
ルカは今一度サヨの頭を撫で、それから真っすぐに天狐と月彦の元へ向かう。
「残りは非力な娘一人。しかし狐狗狸様、油断はなさらぬよう……。
彼女は、惑わしの言葉を口にする」
「真実でしょう。天狐様、貴方には分かっているはず……今が良くない状況って事」
「耳を傾けてはいけません!」
「っ……近寄るな、娘……。ここを去れ、今ならば生かして返そう……」
「応じたらあの娘を殺すの? またサヨを作るって、全くの別人を生み出して……違うと宣ってまた殺すの?」
「止めろ、もう……もうこれしかないのだ……! この土地は捨て置け! お前たちが捨てた土地だ!」
「あ゙っ……つぅ……!!」
ルカの問い詰めに苦しむ天狐から、青い炎が吹きあがる。それは服や肉体ばかりを焼くものではない、魂を焼き尽くそうとする、酷い熱だった。
だが、ルカは一歩も後ろへ退かなかった。顔を庇っていた左手を無理矢理伸ばし、天狐の腕を掴む。
「生身の村娘が無理をっ」
「神を神たらしめるのは、人間! 人間の、崇拝心! そして貴方は、村人に見捨てられた……!
宮司さんが、亡くなられて……っ、貴方は村人から忘れられた!」
まるで、心の弱いところを暴かれたかのように、炎の威力が弱まる。
「でも、月彦さんが、貴方を崇拝してくれた……っ」
羽ペンはいつの間にか、腕を掴む左手に顕現していた。ルカの頭に、吐き気さえ催すような黒い憎しみの感情が流れ込んでくる。
(ああ、許さぬ、許さぬ……。この土地を守ってきた儂に、このような……忘れるなどと、ああ……!
ならぬ、祟っては、ならぬ……、しかし……抑えが効かぬ……!)
『はあ……っは、……これは、凄いな。宮司様も若くして急な事で、跡継ぎを残す事無く、亡くなられてしまわれた……。
長らくの留守をお許しください。今、お社を綺麗にしますから』
温かな手が、住処に、そして身体に触れた。どす黒く渦巻いていた感情が、浄化されていく。それは純朴で、濁りない月彦の信仰心だった。その一つで、天狐は地主神としての高尚な己を保つことが出来たのだ。
神さまの心なんて、覗くもんじゃない。その感情は、人やモンスターより純粋で激しく、ルカはせり上がってくるものをなんとか堪え、天狐を見据える。
「っ……今の姿、力は……月彦さんあってこそ……。だから貴方は、月彦さんを助けたし、これからも……ずっと一緒にいてあげたいのよね……。
でも、それは、今も……? 月彦さんは、今も貴方を……心から崇拝している?」
「……ぁ、……っ」
天狐は、見透かされていた。こんな非力でひ弱な小娘に、思い込みで自身を鼓舞していた事を、見透かされたのだ。神性の力が失われていく。青年の力は徐々に衰退していき、もはや野狐の域だ。
「狐狗狸様! 僕は今も貴方を崇拝していますとも!
どうか! どうか!彼らを殺してください! 目の前から消し去って! さあ、どうか……!」
「貴方は月彦さんを救いたかった。自分が救われたように……、その気持ちは間違いじゃないわ。正解不正解なんて、そんな単純な結果論は……無粋だもの。
貴方の愛は本物だった。その愛は箱庭を作ってしまった。もう、誰にも手を出せない、互いを束縛し合う、収束の箱庭。
……でも、箱庭を壊すことが出来るのもまた貴方。貴方の愛だわ。
目を覚まして。心を開いて。この純朴な愛の物語は、何より美しく紡がれる。天狐×月彦……!」
「あぁあ゙っ!」
「い゙っ……うぅッ!!」
天狐と月彦は精神的大ダメージに貫かれ、畳に突っ伏す。
ただの農民である月彦には大層堪えただろう。その熱く鋭い制裁に朦朧とする頭の中で、とある声を聞いていた。
『ととさま!』
誰の声だろう。
『ととさま!』
もう、分からない。
『ととさま!』
沢山、壊してきてしまった。小夜の顔で微笑む少女たちを、幾人も、幾人も。
もうその声を二度と聞く事は叶わず、そんな惨い結末を用意したのも自分自身だ。
「……さま。とと、さま……」
小さく固く、冷たい手のひらが、髪を撫でる。
「……なんと……可愛い、君。愛おしい、あの娘に……そっくりの。……誰だい、君は……」
「! ……わからないの。
だから、おなまえをちょうだい? ととさまたち」
こんなに優しい言葉は、到底愚かな自分に与えられて良いものではない。彫刻刀の切っ先を、己の首に向けようと試みる。しかしその手を、今度は大きな白い手のひらが包んだ。
「……ッやり直そう……月、彦……。今こそ……償いの時だ……」




