恐懼の儀式×恐怖の再来
「……ほとほと呆れた。貴方、そうやって何人自分の娘を殺してきたの?」
「ルカ……うで……あかいおみずがでてるっ……」
震える声で己の身を案ずるサヨを、ルカは守るように強く抱きしめながら、月彦を睨みつける。互いに怯まず退かず、距離が縮まっていく。
ユウシャやリノの力をもってすれば、生身の人間である月彦一人を取り押さえるなど、造作も無かった。しかし、彼一人がこのおぞましい村を作ったわけでは無い。今はルカの行動を見守るしかないようだ。
「殺した? よしてくれ、僕の娘は小夜だけだ……、ソレは人形だ。
そうさ、僕が悪かった! 器を上手く作れなかったからだ……今度は上手く作るさ! それは僕が壊そう、退きなさいルカさん。僕は本当の人殺しになんかなりたくないからね……」
最終的に説得するよう語り掛ける男の声は、至極優しい。それが、この男の気の狂いを如実に表している。
ビー玉のように瞳を輝かせ、表情豊かにお喋りしていたサヨが、今は本当の人形のように目を伏せて、絶望から目を背けていた。ルカは今一度少女をぎゅっと抱きしめると、頭を撫でて立ち上がる。
パンッ! と、乾いた音が響いた。
「いつまで目を逸らしているのかしら!
村にはもう誰もいない。サヨは死んだ。生き返らない。何人も何人も、違う違うと殺めてきた貴方ならもう気付いているでしょう。コックリ様にはもう、
サヨの魂は見つけられない」
月彦の片頬と、ルカの片手がじんじんと痺れる。月彦の目が、恨めしくルカを捉えた。
「それでも、貴方の作った身体にコックリ様が魂を注いで、生命が出来た。そう……子どもと呼んで違いないでしょう。
貴方は子どもがかけがえのない愛おしい存在と知っていながら、自分の娘たちを殺してきたの! 拝殿裏で頭を下げなさい……あそこに貴方の罪がある!」
「……違う、あああ……っ鬱陶しい、鬱陶しい!
狐狗狸様! お出でください、お出でください!」
月彦はルカの言葉に俯き、両手を頭の前でゆっくりと組む。懸命な説得も空しく、月彦は祈るように唯一の絶対的味方へと助けを求めたようであった。
まだ日は高く明るいというのに、不釣り合いにも部屋の中に霧が立ち込める。背筋が凍るような感覚に、ユウシャやリノもサヨを抱きしめに戻ったルカの元へと走った。
「元には戻れぬと……警告したはずだ……」
深い霧の中、命さえ溶かしてしまいそうな、甘く低い声が響く。
濃紺の袴に桃色の狩衣を身に纏った青年が、白銀の髪と4つの尾を揺らし、金色の目で一行を見つめていた。
「4つのしっぽ……天狐だ……」
青ざめたユウシャが、御狐様の本当の名を口にする。それは、神社に祀られる地主神に相応しい正体であった。
「ああ、狐狗狸様! この忌まわしき異邦人をどうか、追い払ってください!
我らの安寧の日々を打ち壊す者どもです! どうか、どうか……!」
「……儂が手を下すまでも無い」
その言葉が放たれたと同時、突風が吹き抜け霧まで消し飛ぶ。その風に、一行は覚えがあった。
黒い生き物が、一直線に屋敷へと飛んでくる。
「嘘だろ……っ、来る、アイツが!
烏天狗だ……!」
その速さは屋敷の屋根をも飛ばしてしまいそうな程で、どこに隠れようが無駄だと言わんばかりの鋭い眼差しが遠くからでも一行に畏怖の念を抱かせた。
判断が追い付かず、ただ向かってくる脅威を見つめていたルカとユウシャの目の前で、導きの軍旗のように、ホリゾンブルーの美しい髪がなびく。
「私がお相手致しましょう」
「リノ、まだ傷が……!」
「ルカ、ユウシャ。歩みを止めてはなりませんよ。
私達には救わねばならぬ者がいてここに来ました」
生々しく傷跡の残る背を、二人は見送った。頭に浮かぶのは、村にひしめく人々。鍛冶屋の老婆。そして、目下で縮こまる少女。
「そうだ……ルカ、俺たちで出来る事、やってやろう!」
庭に出たリノはまず、何発か水の弾を烏天狗目掛けて放つ。容易に交わされるが、元よりそれは想定内で自身の居場所を知らせる為の砲撃であった。
自身に狙いを定めた烏天狗が辿り着かぬうちに、急いで庭の池へと走る。家主のいなくなった池は淀み、すでに生命が活動する様子は見られない。
リノがその池の水面へ足を滑らせると、トクサ色に淀んだ水がそこから澄み渡り、リノ自身も眩く煌めき出した。
「四精霊の継承を拒否した精霊の端くれでも、己の領域となれば昨日の二の舞は踏みませんわ!」
「たかが水で俺が撃ち落とせるとでも? ……思っているようだな。やってみるが良い!」
胸中を悟られてしまうなら、リノに出来るのは真っ向勝負のみ。振り落ちる木の葉に肌を傷つけられつつ、杖を水面に突き立てた。そして鋭い爪を向けて飛んでくる天狗に、大量の水を放つ。
「ははっ! その程度の水圧でっ、あ……ッ?」
無論、その水圧に負けてしまうはずは無い。しかし、烏天狗の身体は傾いた。羽が思うように機能しないのだ。
羽が、酷く重たかったのだ。
「心の内を読まれては、優しい拘束など無意味でしょう。少々手荒にいきますわね」
水撃を止め、リノが杖を握り込む。まるで、野球のバットのように。
そして、抵抗虚しく堕ちてきたモンスターに、杖を振りかぶった。
「……おま、うそだろっ!?」
「やっ!」
「ぐはぁっ!!」
精霊乙女のまさかの力技に、庭の端までふっ飛ばされた烏天狗は目を回す。そして意識を失う直前、一つ問いかけを彼女へ残した。
「俺の羽に、使ったソレは、何だ……」
「昨日お皿洗いを致しまして、お礼にと頂いてしまいましたの。“油落とし”」
にっこり微笑むリノが手に持った小瓶に入っていたのは、先日の皿洗いに使用した油を落とす洗剤である。これが含まれた水鉄砲により烏天狗の羽の油分は落とされ、水が染み渡り、重さで飛ぶことが出来なくなったのだろう。
敗北が腑に落ち、目を閉じた烏天狗の額にリノはそっと手のひらを宛がう。膝をつき、目を向けた家屋からは何かが激しくぶつかり合う音とユウシャの声が聞こえた。
「っふ……、どうか、ご無事で……」




