就眠×神話
「折角リノが上手くやってくれたんだもの。早いところ考えを整理しましょう」
「はい……」
木製の扉を挟み、脱衣所で膝を抱えるユウシャへ、ルカが浴場から声をかける。村一番の大きな家屋。風呂も申し分ない程の広さがあった。
「月彦さん、まるで望んでこうなったみたいね。でも、村の人全員いなくなって……、このままじゃいけないとも思ってるはず」
「……確かに。操られてる、って感じには見えなかったよな……。じゃあ、月彦さんを説得すれば解決するのか?」
あくまで湯浴みをさせてもらっている体であるルカは、泡を流し終えると深めの浴槽に浸かる。石鹸や湯を沸かす技術もある。古風な街並みに対し、村々の全体的な技術力は僅かに先進的であった。
温かな湯に肩まで浸かって小さく息を吐くと、ルカはユウシャの打開案を想像しては首を振る。
「……そう簡単に済めば良いけれど。コックリ様がどう動くか知りたいわ。彼がどういった思惑から月彦さんに加担したのか、或いはそそのかしたのか。理由によっては対決も避けられない……」
「ならば明朝、山の社へ来ると良い」
「……ルカ? 考え事かー?」
御狐様の妖としての名を口にした途端。湯煙に紛れ、白く大きな何かが、ルカの目の前に現れる。ふっくらとした白い尾っぽを揺らし、金色の瞳を光らせた。浴室という空間ごと口を塞ぎ、ないしょの話を彼女に明け渡す。
「貴方、は……」
「悲しき過去を知るが良い。元に戻れぬと知るが良い。後は朽ちていくだけ。それでおしまいさ……」
お伽噺を詠うような、酷く懐かしさを感じて、それでいて背筋を震わせる柔らかく低い声。儚い言葉と同時に、大きな生き物は湯煙と共に姿を消した。
「ルカ? ルカー? のぼせてないだろうな……」
「……っごめん、起きてる。ねえ、明日は山に行こう。避けられる場所では無いみたい」
「わーい! ととさまじゃないひととねるの、サヨはじめて!」
湯浴みを済ませ、白い寝巻き用の浴衣を羽織れば、後は眠りにつくばかり。無駄にいくつもある和室を二つに分け、そのうち女性3名は布団を三つ仲良く並べた。
「寝室に殿方二人」
「何も起きないはずは無く……」
隣の寝室に想いを馳せ、サヨを真ん中に柔らかな布団へ身体を横たえる。本来の所有者である村人たちに申し訳なくも感じるが、今日ばかりは甘えざるを得ない。
「……明日は、山の方に足を運ばせてもらうわ。朝早いから、備えてもう寝ましょ」
「サヨもいく! いくから、ねえ、なにかおはなしきかせて?」
「それは嬉しいけれど……お話か。そうだなあ、絵本でもあれば……」
明日は早いと知ってもなお、少女は特別な一夜に興奮が収まらない。ルカは己の世界の昔話をいくつも思い浮かべるが、その全てが朧気で、少女が聞き入るような物語の形になってくれそうになかった。
するとリノが上体を起こし、布団の上に正座して少女のおかっぱ頭を撫でる。
「それでは、私から一つ。この世界が出来た時のお話を致しましょう」
リノが語り上手な事は、ルカもよく知っていた。瞳を輝かせて物語が紡がれるのを心待ちにする少女の後ろで、ルカもまた穏やかな声に耳を傾ける。
「この世界は、二人の神さまがお創りになられました。男神さまと、女神さまです」
此方でもそうなのか、とルカは胸中で呟く。やはり神話は人が作り出すものだと、つくづく思う。
「女神さまは、世界のカタチを作り、やくそくごとをその地へ埋めました。男神さまは、そこに生物を並べました。四精霊の集う、美しい島です。
しかし男神さまと女神さまは、大層不仲でいらっしゃいました。ですから、美しい島を鬱蒼とした森で隔てたのです。
その一方に男神さまは寝そべって、熱い熱い溜め息で台地を熱します。もう一方に女神さまは腰かけて、冷ややかな目で台地を凍えさせました。
ですからこの世界は、此方側が暑く、森を隔てた北の土地が寒いのですよ」
「きたのほうでは、ずーっとさむいの? それってたいへん!」
ルカはルカで自身の世界との相違に驚いてはいたが、この村から離れた事の無いサヨからしても、物語から知った広い広い世界の反対側の話に、大層驚いている様子だった。そんな姿に小さく吹き出しては、もっと混乱させてしまうだろうか、と懸念しながら自身の話を始める口を噤めない。
「私の国では、一年で暑い時と寒い時があるわ」
「えー! それって、もっとたいへん! だってこまるもの、おようふくはえらばなくちゃいけないし……はたけのやさいもびっくりしちゃう!」
サヨの想像以上の反応に、ルカも機嫌が良い。当たり前の話にこれ程驚き、興味を示してくれるのだ。純朴な少女が可愛くて仕方がなく、思わず抱きしめてしまう。
固い木材で出来た少女は、温もりを感じられるだろうか。柔らかさを、感じられるだろうか。知る由はなくとも、少女の顔は幸せそうであった。
「それじゃあ、こんどはサヨがおはなししてあげる!
むらのおやまにはね、じんじゃがあるの。ととさまはじんじゃがすきだった。だから、おうちのひとがなくなっても、まいにちのようにあそびにいったんだって!」
「“おうちのひと”って神さま、では無いよね。だったら宮司さん……かな?」
過去の話、取り分け明日向かう山の話となれば、少女の話とて二人は真剣に聞き入る。彼女には説明が難しかった部分を補填し、続きを待った。
「うーん……うん? かみさまじゃ、ないよ。だって、ととさまはきつねのかみさまにあいにいってたんだもの。
まいにちおまいりしてたんだよ。むらをまもってくれてありがとう、これからもよろしくおねがいします、って!
サヨがうまれたら、こんどはサヨとじんじゃにかよったの。
そのとき、サヨのからだはよわかったから……ととさまは、サヨがげんきになりますようにって、おねがいするようになったんだって。
でも、サヨはしんじゃったんだー」
今生きている自分がここにいるからだろうか。少女はまるで他人事のように、何にも悲しい事では無いかのように、あっさりと一度目の終幕を口にした。
しかし真っ当な反応として表情を曇らせたルカ達を見て、慌てて次の言葉を紡ぐ。
「っでも! でもね、ととさまはずーっと、きつねさんとおしゃべりしてあげてたでしょ?
だからきつねさん、サヨをいきかえらせてくれたの! それから3にん、ずーっといっしょ。めでたしめでたし!」
そして今を、まるで幸せな結末のように語ったのだ。
「とっても素敵でしたわ! お話頂きありがとうございました、サヨさま。
……さあ、もう寝ましょうね。おやすみなさいませ」
無垢な少女の中でそう完結しているならば、部外者の大人が否定して引っ掻き回してしまうのは可哀想だ。リノは優しさから、少女が望んだであろう反応を見せ、夜の常闇に意識を沈める。
ルカは彼女ほど心優しい対応が出来そうにも無く、もう一度サヨを強く、抱き寄せた。その手には羽ペンが光り、目を閉じて見えないものを探しに向かう。次に目を開いた時には、ルカの表情は悲し気に歪んでいた。
「そう……、そうなのね。……おやすみなさい」




