82 ホランド一族3
周りの大人たちが一斉にフィリアを見た。
コリンは弟のように思っていた。
セリオンとはまた違う、男の子らしい素直さのある可愛い弟だった。
フィリア嬢、といつも丁寧に話しかけてくれた。
それなのに、今のコリンは恐ろしいほどの覇気をもって上段からフィリアを呼んだ。
「お前が女子学園内外で、我が姉の悪評を言いふらしていたことは調べてある。同じ学園のアクンディカ伯爵令嬢にもいい回したのだろう。アクンディカ伯爵令嬢はその噂にさらに輪をかけ、その兄を唆し、王子との婚約破棄を狙った。その結果が、姉の拘束に至った。」
ざわざわとホールがざわめいた。
ファリティナが拘束され、幽閉されたという噂は本当だったらしい。
フィリアの足がガクガクと震えた。
ばれている。どうして。
いや、バレないとどうして思っていたのだ。あれだけ派手に吹聴していてわからないはずない。
だけどこんなことになるなんて思わなかった。
あんな他愛もない嘘が、誰かに利用されこんな大事になるなんて。
「今、我が公爵家のファリティナ姫はその祖父母になるレミルトン家にて療養している。我が母、公爵代理に搏ちつけられ、重傷を負ったからだ。自ら倫理に悖る行動に反省もせず、強欲の結果、国に対する叛逆になることに気づかずにいたくせに、私にその反省を求められると罠に嵌められた姉を虐げた。全く…。」
セリオンが切なくため息を吐いた。
「高潔な精神も、忠誠心もない。よくこんなものが貴族と言えたものだ。お前たちの血が、半分も私に入ってると思うと、我が身を呪いたくなるよ。」
「わたしもです。」
は、とコリンも息を吐いた。
「いつのまにか公爵家の古参の派閥は離れ、グランキエースは穴だらけの枯れ木になった。その樹液を吸い、肥え太ったお前たちは、このグランキエースに、この国に何をもたらした?」
セリオンが静かに言った。
混乱と疑心。
王族も巻き込み、この国の柱と言われる公爵家を揺るがす事態。
「王家の温情とコンスル公爵家の後ろ盾がついたため、私たちは生き残ることができた。ファリティナ姫が命をかけて懇願してくださった結果だ。」
「お前たちが、愛されなかった前妻の子と侮ったファリティナ姫の血統があったからこそ、グランキエースは潰されずに済んだ。これこそが政略の結果だ。この意味を正しく理解できないものは統治の一端を担う貴族と言えない。」
私のせいじゃない!フィリアは逃げ出したかった。
大人たちが、みんなそう言っていたから。誰もあの凡庸な娘を敬わなかったから。
「お前たち一族が全員命を差し出しても、グランキエースは助からなかった。ファリティナ姫だからこそ、助けることができた。」
命の重さが違うのだ。
セリオンにそう言われた気がした。
「その英邁なる姫を、お前たちだけに放逸を許した我が母は傷つけた。さて、どうしてくれる?」
セリオンのブルーグレーの目がホランド一族を睥睨した。
静まり返ったホールに息づかいだけが響く。
その中でおずおずと侍女長が発言した。
「申し訳ございません、セリオン様。だけど私たちは知らなくて。」
す、とセリオンの目が侍女長を捉えた。
「お前、私の話を聞いていたか?」
彫像のように静かな表情で問われ、侍女長は唇が震えた。
「では聞くが、ファリティナ姫は生まれた時から公爵の責を知っていたのか。私や弟妹たちは、身分のなんたるかを弁えて生まれてきたのか。」
「そんなわけないだろう。痴れ者が。おしなべて人は学んで大きくなるんだ。私たちは、この任に当たり、それに相応しい振る舞いと精神を叩き込まれて大きくなった。それで?お前たちにはその論理が通用しないとでも言うのか?」
「傲慢だな、ホランド。」
コリンが言った。そして見回した。
「私たちが崇められるのは、国の盾になるために尽くすからだ。その称号を与えられ、その形に沿うように自らを律するからだ。どの貴族もそうだ。それぞれ与えられた土地と、責務を背負い、期待以上の功績をもたらしたから敬われる。お前たちは、もともとホランドの土地を治める盟主の一部族だった。母がたまたま、公爵の夫人となった。それだけだ。そしてそれが、この国の盾を強固にするならまだしも、第二王女が嫁がれる辺境に仇なす武器をつくる手伝いをするとは。」
コリンの言葉の後に、セリオンが再び口を開いた。
「知らなかった?違う。覚悟がなかったのだ。この国の盾となる覚悟がなかった。目先の金銭と栄華に溺れ、この国を守ってきたグランキエースになりきる覚悟が全くない。」
セリオンが、侍女長にひた、と目を合わせて言った。
ひ、侍女長の喉が鳴った。
セリオンがこれほど饒舌に、ホランド家の前で堂々たる公爵然として話したのは初めてだった。
幼いころならまだしも、長じてのセリオンはホランド家とは全く違う存在として立場を確立していた。
傑物の貴公子。
その造形だけでなく、世界を見渡す思考までも、普通の人々とは一線を画す。
グランキエース公爵家が脈々と引き継ぐブルーグレーの怜悧な瞳は、半分はホランドの血を引いていながら、その痕跡をほとんど表さない。生まれながらにしてこの国の盾と言われるグランキエースの英知を体現し、無辜の人々を導く王者の風格を持っていた。
セリオンの声は静かだが、言葉に含まれる断罪の意思は揺るがない。凪の水面のように一切の感情が見えないからこそ、完膚なきまでの無慈悲が分かる。
「侍女長のお前は、公爵夫人であった我が母の側近であり、臣下だった。彼女が公爵家の女主人として、私が正式に公爵を継ぐまでの仮公爵として、何をなすべきか、何を真とするべきか、諌め諭すべきだった。お前の立場は、知らなかったでは済まされないほどの権限を持っていた。ファリティナ姫に悪評が立つのなら、グランキエースを守る臣下として火元を探り、当主にグランキエースを傷つけるものがいると進言するべきだった。」
セリオンの瞳の吸い込まれるように、侍女長はセリオンを見つめていた。
「お前は失格だ。大樹を滅ぼす害虫だ。」
そう断言すると、セリオンは席を立った。
「命を持って償え。ホランド。」
呪いのように、セリオンの言葉が響いた。
一族は一斉に息を呑み、震えた。
「心の底からそう言いたい。だが、我が寛容な姉はそれを望まない。」
縋るように、ホランド一族はセリオンを見上げた。それを変わらず、無慈悲な目で見下ろす。
「ホランドの土地を賠償として差し出せ。喜ぶといい、お前たちにはグランキエース公爵家の土地を用意する。この先、100年、孫子の代まで我が公爵家に仕えよ。」
表情の浮かばない怜悧な顔とは反対の温情だった。ふと、集められた一族の気が緩んだ気がした。
「エイデン。」
セリオンが呼ぶと、一族の中に立って話を聞いていたエイデンが、膝をついた。
「承りました。この先、ホランド一族はこのシカファ家が取りまとめ、永劫の忠誠を誓います。」
そして立ち上がり、一族を見回した。
「ホランド一族は、ゼノ山脈麓のピコエマの山麓地に移れ。現在は、王軍がそこを管理し、辰砂やヒ素を含む鉱石の発掘から採取の管理を行なっている。そこは流刑地。働くのはこの国の法を犯した重罪人だ。私たちはそこに送られてくる罪人の管理と世話に当たる。そして、体内摂取が毒となる土砂の選別と管理を行う。」
ざわ、とホランド一族がまた騒ぎ出した。
「身分を剥奪した公爵代理は、グランキエースの名を返上し、この先、ホランドの一員として遇する。」
侍女長が崩れ落ちた。それに続いて何人かの夫人が、同じように倒れこんだ。フィリアも膝の震えが止まらない。
罪人の世話。
流刑地に流されるほどの重罪人など、貴族令嬢のフィリアは見たこともない。これから先、自分だけでなく、子どもたちもそこで生きていくように厳命された。おそらくその地から勝手に移動もできないように管理されるのだろう。
しかも毒となる鉱石が岩盤となる土地で孫子の代までそこに留め置かれる。
これはもう、一族の流刑と同じだ。
「グランキエースの正統な継承者たる我が姉は、愚鈍な継母によって右目を負傷し、未だ失明の危機にある。」
セリオンの目に初めて、感情らしき光が灯った。それは怒り。憎しみをこめて焼く尽くす業火のようだった。
「もし、このまま失明することになれば、お前たちも同じ目に遭わせてやる!」
セリオンの怒号が重厚なホールに響いた。
ひい、と夫人たちが後ずさった。
「歯向かえると思うな。鬼才と呼ばれたこの才能は、全て姉様のもの。彼の方こそが私が生きていく上での灯火だ。この世で二つとない私の最愛に戻らない傷をつけ、泣くこともできないほど心を傷つけたこと、私は許さない。どれほどあの女神が寛容であったとしても、私だけは決して許さない。お前たちがこの楔を外そうとするなら、私はお前たちの血を一滴残さずこの世から根絶やしにする。この体に残る血も含めて。この世界に残ったことを、後悔させてやる。」
セリオンの秀麗な顔貌に浮かぶ狂気に、立ち尽くす人々は戦慄した。