79 生き延びること
「ちょうど、ジェミニの様子が気になり出した頃でした。」
亡くなった末弟の名前が、ファリティナの口から出たのは初めてだった。
とても可愛がっていたのだ、と聞いている。看病のために学院に行く時間を削ってでも、そばにいたのだと。
王子に向けられていた愛情の行き先が、病弱な弟に変わったのだろう。
「人の心は、他人では変えられない。本当にそう思います。だからギデオン殿下が、私に興味を持てなかったのは仕方なかったのです。だって、それだけの魅力がなかったのですから。」
「そんなふうに言ってはダメよ。」
ファリティナは不思議そうにミネアを見た。
「あなたはとても可愛い、魅力的なお嬢さんよ。だから、王子はこうやってお見舞いに来てくださったのでしょう。」
「ご自分のせいで、私が傷ついたから、とおっしゃいました。」
「ええ、だから謝りたかったのよ。」
「…私は何度も謝っていただきました。これ以上の謝罪はいりません。私は怒っていないし、恨んでもいないのです。それに。」
ああ、厳しいわ。ミネアは思った。
時々、ファリティナはとても厳しい。
それは公爵家の矜持だ。
ファリティナは正しく、公爵家の一員として身を律している。
それも、自分限定なのだ。そうやって、自分を高めていっていたのだろう。グランキエースの姫としてふさわしく、その名に恥じないようにと頑張って背筋を伸ばしていたのだろう。
もう少し、自分に優しくなればいいのに。ミネアは残念に思った。
「仕方ないことですもの。今更、私に興味がなかったことを表されても、私、どうしたらいいのかわかりません。あの時は、私も最善の努力をしたつもりなのです。それでも、好意を持てなかった。魅力がなかったから。そんなこと、言われ続けても、惨めになっていくだけで。」
ミネアは驚いて、ファリティナを見た。
そんなふうに解釈するなんて思っても見なかった。
王子の反省も、今の厚情も本物だ。ただの贖罪なんかではない。
それをそんなふうに、斬ってしまっては、謝罪を受け入れることもできない。
この子はもしかして、好意の受け入れ方が分からないのかしら。ミネアはふと思った。
王子はファリティナに謝罪して、罪を無かったことにしてもらいたいわけではない。
改めてファリティナとの関係を築くために、赦されるという儀式が必要だと感じているのだ。
レミルトン卿夫妻もそれを分かっているから、面会を受け入れた。
王子とファリティナにまだお互いの好意があるのなら、ここで赦すという儀式を行って、新たに友人として関係を築き、愛情に変われるかをじっくりと考えてもらいたいと思っていた。
だが、ファリティナはその機会を斬り捨ててしまったのだ。
おそらく無意識に。
ふう、とファリティナは息をついて、うなだれた。
「家族だから、婚約者だからって、簡単に愛されるなんて初めから思ってなかったから、もういいのに。」
その言葉がミネアの胸を抉った。
愛されることにあまりにも慣れていない、卑屈な言葉だった。
「それでも、殿下はあなたとやり直したいと思われてるのでは?」
「やり直す?」
ファリティナは不思議そうに聞いた。
「…多分、私には無理ですわ。」
「なぜ?殿下のことを、許せない?」
「私には荷が重いのです。私のポンコツな頭では、ろくに誰かの幸せを作ることもできない。」
「え⁈」
「悪役令嬢は、もうこりごり…。やるのなら、通りすがりのモブがいいわ。」
「悪役令嬢?」
ファリティナは気弱にため息を吐いた。
「悪役って、あなたのこと?殿下はあなたにそんなことをするように言ってきたの?」
「いいえ。ですが、私はいつもそのようなので。」
ミネアは不審に眉を顰めた。
「どういうことなのかしら。ファリティナ?あなたはいつも悪役をしていたってこと?」
「ええ。」
まあ!とミネアは声を上げた。
「どうしてそんなことをしたの?わざわざ嫌われるようなことを。」
「わざわざやったわけでないのですが。なんとなく?生まれて普通に生きていたら、なんとなくそうなっていたというだけで。」
ファリティナがのんびりと言うのに、ミネアはポカンとした。
「多分、私がいなかった方が都合が良かったものが多くあるのです。でも、悪役がいた方が盛り上がるから、いなければいけなかった。そういう配役でしょうか。」
「それは、例の男爵令嬢のこと?」
「それもありますが、それ以外でも。お祖母様たちにも謝らなければとずっと思っていました。私を身籠もらなければ、お母様の命は助かった。」
は、とミネアは息を飲んだ。
言わせてはいけない。と本能的に思ってファリティナの肩を掴んだ。
「だけど、生まれてきてしまったのは仕方ないので、せめて生き延びることくらいは許してほしいのです。私ではグランキエースの一員を務めることは難しい。そんなこと、みんな分かっていると思います。セリオンもセリオンの母のお母様も。でも、殺すこともできないのでしょう?血筋が邪魔をして、なかったことにもできない。」
ミネアは胸を押さえた。
この子は。
生まれた時からそう思わされてきたのだ、と分かった。
公爵家がファリティナをあまり大事にしていないことは分かっていた。
自分たちがファリティナを無視していたことで、公爵家でも立場がなかったのだ。継母や優秀な弟の手前、何も声を上げることはできなかったのだろう。
自らを悪役に当てはめることで、存在する意義を見出していたのだ。
「ファリティナ…。」
「まあ、お祖母様。」
突然泣き出した祖母に、ファリティナは焦った。
「ごめんなさい、私。また間違えてしまったの…?」
泣きそうな顔をして、ファリティナは泣く祖母に謝った。
「あなたは悪役なんかじゃないわ。誰もあなたを憎んでいないのよ。ごめんなさい、私たちが悪かったわ。ごめんなさい…。」
ファリティナは肩を掴んで泣き崩れる祖母を、呆然と眺めていた。