78 祖母と恋バナ
ギデオンの訪問の後、ファリティナは祖母と一緒に昼食を取っていた。
ファリティナは浮かない顔色で、祖母のミネア夫人は昼食後、ファリティナをサロンに誘った。
「どうしたの?ファリティナ。」
ミネア夫人はファリティナの手を柔らかく握った。
「ギデオン殿下と上手くお話できなかったの?」
ファリティナは俯いた。
明らかに気落ちした様子に、ミネアは思わず微笑んだ。
こんなふうに悄然としている様も可愛らしい。
いつものファリティナはどこか茫洋としていて、何に対しても一歩引いたような態度だった。
自分の怪我のことにしても、グランキエースが置かれた状況にしても、少し離れたところから傍観して、感情を露わさない。
それなのに、こんなに落ち込んでいるところを見ると、やはりギデオンに特別な思い入れがあったのではないか、と勘ぐりたくなってしまう。
会いたいと言ってきたのはギデオン王子の方だ。
夫の話ではファリティナのことをとても気にしていて、怪我の後も何度も面会を求めたが、セリオンに邪魔されて会えなかったようだ。
レミルトン邸にいることを偶然知って、ディアスに直接、面会を求めてきた。
屋敷に来た時に出迎えたが、ファリティナも快く受け入れたようだった。
付き添っていた侍従の話では、寄り添って静かに話していたとのことだが、何か上手くいかないことがあったのだろうか。
「ばあやにお話してくれないかしら。お優しい方だとは聞いているけど、またあなたを傷つけるようなことがあれば、私たちから抗議するわ。」
ファリティナは頭を振った。
「…殿下は、何もされていません。私が、また間違えたのです。」
「…何を、間違えたの?」
「…わかりません。」
そう言って、ファリティナは切なくため息をついた。
「泣かれてしまいました。…。」
「ギデオン王子が、泣かれたの?」
ファリティナは悄然と首肯した。
「まあ。」
怒らせてしまったわけではなさそうだった。それだけに余計、ファリティナは混乱しているようだ。
「どんなことをお話したの?」
「殿下が、何度も謝られるので、謝ってはいけませんと申し上げたのです。」
「謝っては、いけない?」
はあ、とファリティナはため息をついた。
「公爵令嬢としては、満点の答えだと思ったのですが…。やっぱり私の頭ではどうやっても無理なんでしょうね…。」
そう言って気弱にうなだれた。
ミネアにじんわりと愛しさが広がる。
ずっとこんなふうに話をしてみたいと思っていた。
成長の躓きに悩み、初々しい恋の悩みをこっそりと打ち明けてほしいと思っていた。
その夢が叶って、堪らなく嬉しい。
「どうして謝ってはいけないと申し上げたの?」
そう言って、そっと肩を抱き寄せた。
華奢で柔らかいファリティナの体をそっと撫でた。
「殿下は王族です。公正と慈愛のこの国の象徴です。そんな方が、私ごときに謝ってはいけない、と。私は臣下で彼の方々の手足です。無謬の彼の方が、私ごときに頭を下げれば、彼の方を信じてついてきた者たちが迷ってしまう。」
ファリティナはポツリポツリと話した。
ああ、この子は。ミネアは心の中でため息をついた。
元婚約者ではなく、臣下として接したのだ。既に婚約を解消されたから。
公爵令嬢としては、たしかに満点な答えだっただろう。
だが、ギデオンは謝りたかったのだ。
元婚約者として、ひとりの男として。
「殿下のことを、好きではなかったの?婚約していた頃は、あなたの方が好意を持っているように見えていたわ。」
「…好きでしたわ。」
ああ、やっぱり。ミネアは深く微笑んだ。
「ギデオン王子は、格好良くてお優しくて、私なんかにもちゃんと気遣ってくださって。あんなに優しい方と家族になれると思って、とても嬉しかったんです。だから、私なりに研究したんです。」
「研究?」
「いろんな本を読んで、社交場や茶会で、殿方はどんな女の人を好ましく思うのか、研究して。できるだけお会いできるように、あったら好意を示すように頑張ったのですが。」
あのわかりやすい好意はファリティナの精一杯の努力だったのか、とミネアは微笑んだ。
こうやって毎日を一緒に過ごしていたら、分かる気がする。
本当のファリティナは積極性があるわけではなく、どちらかというと受け身だ。それなのに、ギデオン王子には自ら寄って行き、頑張って話しかけたのだろう。
それは本来のファリティナにとってはとても力のいる行動だったはずだ。
わざわざ本まで読んで、社交のたびにいろんな人を観察して。
鏡の前で何度も似合う服や好意を持ってもらうための表情を研究したのだろう。話す内容も一生懸命考えて、会うのを心待ちにしていたのだろう。
そう想像すると、自然に笑みが零れた。
「でも、全然ダメでした…。」
「ええ?」
「ギデオン王子は生来がお優しい方だったんです。私が笑顔で寄ってくるから、鏡のように笑顔を返してくださっていただけで、私のことを気に入っていたわけではないのです。私も、気付きたくなくて、同じ好意があると思い込んでいました。きっと、周りの方から見たら、恥ずかしいくらいの鬱陶しさだったのですね…。」
ミネアは言葉に詰まった。
たしかに、二人に温度差があるのは分かった。本人が気づいて後から考えると、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったのだろう。
「王子は、きっと、明るくて、努力家で、健気な女性がお好みだったのです。」
学院内で噂になっていた男爵令嬢のことだとわかった。
ギデオン王子は単なる執行部の仲間だと主張しているが、ファリティナはギデオンは彼女に好意があると思っているのだろう。
「だから、学院に登校しなくなったの?」
ファリティナは小さく首肯した。
居た堪れなかっただろうとは、想像がついた。好意を持っていた婚約者が、目の前で他の女生徒を愛でている。社交界で噂になる程だ。
それがアクンディカ伯爵令息が仕組んだものだと今では分かってきたが、ファリティナが思い込むほどのなにかがあったのだろう。
可哀想に、とミネアはファリティナの肩を摩った。
ファリティナは可愛い。自信がないのを精一杯胸を張って、誰にも侮られないように頑張っていたのだとミネアは分かった。
あの規格外の弟が常に比較の対象にいたのならさもありなん。
だけど、どうしてこうも卑屈なのだろう。
セリオンに比べれば、誰でも霞んでしまう。だが、ファリティナにはファリティナの可愛らしさがある。
ミネアにとっては何者にも代え難い、愛しい少女なのに。