75 陽の光の中で
「ジュリアンとセアラは元気にしてるかしら?」
レミルトン邸のサロンでグランキエース兄弟だけにしてもらった。
眼帯の下の目は白濁としていて、コリンは思わず目を背けた。ブルーグレーの瞳はグランキエースの正統な血筋の証。コリンの上二人はその特徴を如実に引き継いでいた。
そのブルーグレーの虹彩が白く濁っている。
母親のした仕打ちがいかに非道なものか。言葉も出ない。慰めの言葉も、母親を非難する言葉も探すことが出来ず、ただただ胸が疼いた。
「帰って来たがってましたが、来月には兄様の譲位式で帰国しますので。まだ入学したてで生活に慣れてもらうのが先だと思いましたので諦めてもらいました。」
セアラもジュリアンもそれぞれの寄宿学校に入学した。
週末は屋敷に集まって、寄り添って過ごしている。弟妹が来たことで騎士学校の友人達からは付き合いの悪さに不満を言われたが、コリンは気にしなかった。
守るべきは命を惜しんでくれた家族。姉兄が国で命を賭けて守ってくれていると思うと、呑気に遊んで過ごす気にはならなかった。
セリオンが知力を、ファリティナが文字通り生命を賭けて守っているなら、自分は彼らを力と剣で守りたい。
その気迫が伝わったのか、ジュリアンも屋敷にいるときに稽古をつけてくれと言い出した。
そう伝えるとファリティナは、柔らかく笑った。
「男の子ねぇ。きっとあなたに憧れているのだわ。」
「そうでしょうか?ジュリアンはセアラを守りたいそうなんです。兄様に言われたからって。」
ああ、とセリオンは苦笑した。
見惚れるほど、綺麗な人だな。
コリンはセリオンの造作に感心した。
母親の美貌を一番に引き継いでいるのはジュリアンだが、セリオンは父親の美貌と母親の色気を引き継いでいる。
愛想をよくすると、近寄るものが増えるので、わざと怜悧な表情をするのだとセリオン付きの執事が話してくれた。
実際に誘拐未遂であったり、恋情を拗らせた狼藉者に襲われたりしたことがあるので、護身術は一定以上に習得していることは、コリンも知っている。
「兄妹だからね。あの二人はいつも一緒にいたから。セアラはしっかり者だが、それに頼ってしまうと潰れてしまう。心配だったんだ。」
ほお、とファリティナが息をついてセリオンを見た。
「セリオンってつくづく、意外よね。」
「どういう意味ですか?」
「人間ぽくないのに、ちゃんと気遣いができるんだもの。」
「人間じゃなかったら何なのですか?」
何かしら?と首を傾げるファリティナの横で、魔王だろ、とコリンは内心思った。
セリオンは変わった、とコリンもコリンとともに一緒に帰って来た侍従たちも思った。
これほど愛情深く家族を思っているなんて誰も知らなかった。
特にファリティナへの態度は周囲が戸惑うほどだ。
毎日、レミルトン邸へ見舞いに来て、誰も見たことがない甘い笑顔で、甘い声で、姉様、と呼びかけていると聞いた。
時には恋人のように抱きしめて、涙ぐむファリティナの涙を拭いてやっているらしい。
今だってさりげなくセリオンを貶すファリティナに優しく苦笑しながら、愛する人には愛情を惜しまないのですよ、と口説いている。ファリティナはどこ吹く風だ。
対して、ファリティナを貶めた不届き者には、魔王の名に相応しい冷酷さを見せた。
国王陛下の前でもグランキエースが要らないのなら国を出ると言い切ったと、レミルトン邸に着くまでに話されて、コリンは腰を浮かせた。
これから起こることも。
たった2つしか年が違わないのに、すでにこの国の盾と言われる公爵位に相応しいやり方でグランキエースの不正を収めようとしている。
すでに国にも報告済みで、宰相をはじめ議会も掌握済み。ファリティナを冤罪で嵌めた学院生はコンスル公爵派閥の人間だったため、レミルトンだけでなくコンスル公爵からも頭を下げられ、この先の後ろ盾を誓われた。
爵位を継いだ後、グランキエースの没落を謀ったもの、派閥でありながら傍観したものは、この国で今まで通り暮らせるとは思えない。
なにせ、セリオンだから。
「ホランド一族に集まってもらいます。お母様を絶縁して実家に戻し、これ以降、ホランド一族の責任で見てもらうことにします。但し、グランキエースの目の届くところで。一時であれ公爵だったのですから、利用しようとする輩もいるでしょう。」
セリオンが落ち着いた声で言った。
コリンの顔が引き締まった。
セリオンの譲位の前に、母親は断罪された。セリオンによって告発された不正は王国の国内法と照らし合わせ、法務官によって裁かれ公爵代理の横暴として処理された。
公爵代理は地位剥奪、必然的にセリオンに譲位。
譲位自体は早まることが決まっていたため、グランキエース公爵代理の不正は大々的には公表されていない。
明日集まる、母親の実家であるホランド一族の中でも、このことを知らないものはいるはずだ。
「譲位式を前にして、家内を整理します。コリンにはグランキエースの継承権第二位として、立ち会ってもらいます。」
セリオンが公爵になった場合、継承権の第一位はファリティナだ。まだ人前に出られる姿ではないとセリオンはファリティナの同席を断った。
ファリティナが心配そうにコリンを見た。
「お母様のこと、申し訳ありませんでした。姉様…。」
コリンは思わず謝った。
ファリティナは頭を振った。
「あなたのせいじゃないわ。こうなってしまったのは、子どもの私たちの誰のせいでもない。」
「ですが…。」
ファリティナに全て話してある、とセリオンは言った。
嘘の嫌いな方だから。姉様はどんな残酷な現実でも受け入れてくださる。だから全て話した。全て知った上で、怒って、憎んで欲しいと。姉様は全て受け入れて、無かったことにしてしまう。
自らが生まれてきたことに、罪悪感を持っているから。
だけど、グランキエースは、彼の方しか正統ではない。
王国の盾と言われるグランキエースを引き継ぐ正統な権利を持つのは、誰もが認めた血筋を持つ彼女だけ。
自分はファリティナと前公爵に託されたに過ぎない。
ファリティナを軽んじた罪は重い。と、セリオンは強く言った。
「道は分かれてしまったけど、お母様を恨んではいないわ。」
ファリティナの柔らかな声が言う。
そして、コリンたちに微笑みかけた。
「だって、彼の方がいなければ、あなたたちはいなかった。セリオンもコリンも、ジュリアンもセアラも。…ジェミニも。」
ジェミニの名を呼ぶと、ファリティナの目に涙が溢れた。
「お母様はたくさんのことを間違えてしまったけど、あなた達を産んでくださったことには感謝してるの。だから、追い詰めないで。あなた達の、お母様なのよ。実の、お母様なの…。」
セリオンが強く席を立って、ファリティナの頭をきつく搔き抱いた。
何も言えなかった。
謝ることもできなかった。
こんなにも自分達を慈しんでくれる存在を、あんなにも蔑ろにして、苦しめたと言うのに。
恨みに思うこともできない。
怒りも憎しみも、結局自分に返ってくる。
母親の血を引いて、母親の腹から生まれた。
父親は一緒だったとしても、その寵を奪って生まれてきた自分達に、母親を憎む資格はない。
ただ、正当に怒っていいのはファリティナだけだと言うのに、自分達兄弟を慈しんでくれるから、怒ることもできない。
追い詰めないで。
追い詰めて、一番割りを食うのは、結局一番の弱者だわ。
ファリティナの寛容さに甘えて、結局は彼女を一番の弱者にしてしまった。
心も体も傷つき、孤独だけを感じさせてしまった。
「私が守ります。」
悔しさを滲ませながらセリオンが言った。
「あなたを守ります。この先、ずっと。誰にも傷つけさせない。あなたはグランキエースの唯一の姫。」
ありがとう、セリオン。とファリティナはくぐもった声で言った。
「ずっと守ってきてくれたわ。あなた達がいてくれて嬉しかったの。遠くから見ることしかできなかったけど、あなた達が庭で遊んでる姿は、とても可愛くて慰めになった。あの大きな屋敷でわたしは一人じゃないと思うだけで、心強かったわ。」
ジェミニも、同じように遊んでほしかったの…。陽の光の中で、笑ってほしかった。
ファリティナの言葉が涙で滲んで、コリンも立ち上がった。
それに気づいてファリティナはコリンに手を伸ばした。
三人は午後の柔らかな光の中で、泣きながら抱きしめあった。