73 宣言
セリオンはガゼリの生産地域割譲の際に、叔父になるグランキエース伯爵にアマンダの話をした。
ギデオン王子と親しく、ファリティナから寵を奪った女生徒がいる、と。低い身分ながら、学院での成績も良く、執行部に所属して第二王子と懇ろになっているらしい。と。
ファリティナがこんなことになってしまったので、グランキエースから成婚の結納物としてガゼリ権益は渡せなくなった。
公爵家もガタついているし、グランキエースの正統な血筋である伯爵に何か手はないだろうか、と仄めかした。
食いついたのは伯爵家だ。
セリオンはそれ以上のことはしていない。
勝手にアマンダをギデオンと恋仲だと勘違いして、王子妃に仕立てようとした。
本家の姫であるファリティナを庇うこともなく。
セリオンは叔父に踏み絵を踏ませたのだ。そして、グランキエース伯爵はセリオンを侮った。
グランキエース伯爵家がどこに所属し、誰に忠誠を誓うのか、目に見える形で罠に嵌めた。
相変わらず、恐ろしい奴だ、とギデオンは肝が冷える。
グランキエースという大樹に守られていたにも関わらず、大樹が害虫に侵されているのを知ると朽ちていくのを黙って見ていた裏切り者を、鬼才が恕すはずがない。
アマンダを道連れに、派閥から蹴落とすつもりなのだろう。
執行部の半分が休学を願い出て登校せずにいる。
アマンダを旗印にし、ファリティナやセリオンを最も名誉ある地位から引きずり降ろそうと共謀していたことが誰の目にもはっきりとした。
利用されていた、とギデオンは目の当たりにしたが、不思議と落胆はなかった。むしろ学生の間で良かった、と自分の不徳を恥じ、身を引き締めた。
それでも、勉強にしては払った代償は大きい。
何よりもファリティナを身も心も傷つけ、ひとりの女性としての尊厳を完全に砕いてしまった。
セリオンに罵られても仕方ない。
自分には、彼女を思い遣る資格などないことは分かっている。
ファリティナは自分の顔など見たくもないだろうし、思い出したくないだろう。
そう思うと心の中がぐずぐずに溶けて、矜持を奮い立たせていることが虚しくなってしまう。だが、そんな事を言っている場合ではない。ここで尻尾を巻けば、彼女に謝ることはだんだんと難しくなる。
卒業してしまえば立場が際立ち、簡単に側に行くことはできない。
自分も、彼女もそういう人間なのだ。
だからこそ釣り合う。
大人になって伴侶になっても、お互いの不自由な立場を思いやれる。
簡単には説明できない難しい生い立ちを、同じような立場だからこそ推し量ることができるのだ。
自分の両親も、ファリティナの父親も、だから二人を娶せようと思ったのだろう。
それなのに、突き放してしまった。
楽しいだけの学院生活に、現実から目を逸らしてファリティナの手を放してしまった。
彼女が抱える孤独は、自分しか埋められないものだったのに。
生きることを望まれてないと思い込むファリティナに、より不幸を与えてしまった。
挽回したい。
今更、と誰もが言う。
だけど、考えれば考えるほど、ファリティナの名誉を回復するには自分を許してもらうほかない。
どちらにとっても苦しい作業になるだろう。ファリティナは自分を見るたびに裏切られたことを思い出し、自分は周囲に嘲笑われながら跪いて許しを請い続ける。
ファリティナが清廉潔白であったと周囲が納得するまで。
「これは、ギデオン殿下。」
話し込む二人に、声がかかった。
ファリティナの祖父、ディアス=レミルトンだった。
「先日は、ファリティナに贈ってくださってありがとうございます。とても慰めになるようです。いつも膝の上に乗せて、鳴らしております。」
レミルトン卿は恭しく礼をした。
疎遠だと思っていたファリティナの外祖父に頭を下げられ、ギデオンは戸惑ってセリオンを見た。
セリオンはわざと目を合わせないように知らぬ顔をしている。
「あのオルゴールは殿下が選ばれたのですか?」
「ああ…うん。気に入って、くれているなら良かった。」
「殿下と初めて一緒に踊った曲だと。」
ディアスが言うと、ギデオンの顔がパッと輝いた。
「覚えてくれていたのか!」
「はい…。殿下も覚えていらっしゃったのですね。」
ディアスは眉尻を下げた。
「もちろんだ…。二人で、何度も練習したんだ。」
婚約の披露宴で、初めてパートナーとして踊った曲だ。二人が主役の為、何度も練習させられた。
ファリティナは何度か王宮まで出向いて、踊りを合わせた。ギデオンがいつも相手をするダンスの女性教師に比べてファリティナは小さく、足幅も狭く、とても気を遣ったものだった。
「レミルトン卿はファリティナを見舞いに行ったのか?」
「ファリティナは私共の屋敷におります。安静のために。」
ギデオンは驚いてセリオンを見ると、セリオンが頷いた。
「今、我が家は安全とは言えませんから。レミルトン卿が保護を名乗り出てくださったのです。」
ほ、とギデオンが息をついた。
グランキエースとレミルトンの蟠りが解けたのだ。ファリティナが安全に過ごせる場所が増えて、少し安心した。
「彼女は、元気で過ごしているだろうか?」
ギデオンがはにかむように微笑んで、ディアスに聞いた。その衒いを含んだ微笑みはディアスの心を撃ち抜いた。
なんと可愛らしい、優しさに溢れる笑みなのか。
ファリティナに見舞いの品を贈ることといい、選んだオルゴールの曲といい、やはり王子はファリティナを悪く思っていないのではないか。何かの誤解があって、こんなふうに拗れてしまったのではないか。
ギデオンのことを聞いた時のファリティナの様子も、嫌悪に溢れたものではなかった。好意を受け取って貰えず、泣く泣く諦めたような口ぶりだった。
これは、いけるかもしれない。
「もし良ければ、またファリティナと会ってくださいませんか、殿下。」
ディアスが言うと、ピシャリとセリオンが言った。
「いい加減になさってください。レミルトン卿。」
しまった、ここには蛇が…。
ディアスは焦り過ぎたことを悟った。
セリオンが眦に怒りを込めて、二人を見ていた。
「私はいつだって、姉とともに消える覚悟はあるのですよ。私が生きている意味は彼の方しかないのですから。」
ギデオンは、驚いた顔のまま、セリオンをじっと見た。
「…セリオン。姉君が大切なのはわかるが、言葉に気をつけないと誤解を…。」
「ファリティナは私の最愛の女性です。手出ししないでください。」
セリオンが宣言するように言った。
ギデオンが衝撃を受けて固まった。
ついに言いやがった。この魔王。
当代の英雄と言われたディアス=レミルトンは額を押さえた。