72 ギデオンとセリオン
ギデオンが侍従を振り切って走ってきていた。
王族の威厳も優雅さもないな。
内心で悪態をつきながら、セリオンは頭を下げた。
「ご機嫌麗しゅう。ギデオン殿下。」
「ありがとう!ファリティナに渡してくれたんだな!」
声に嬉しさがにじみ出ていた。
セリオンは礼のため下げた顔で小さく舌打ちした。
ファリティナが早速礼状を出したのだろう。
それにしても、敬称もつけず呼び捨てとは、腹が立つ。
「喜んでくれていただろうか?」
少し息を弾ませながら、ギデオンが聞いた。頬を紅潮させ、嬉しそうにセリオンに笑いかける様は世間のいう美麗な王子様そのものだ。
「暇ですからね。」
セリオンは素っ気なく答えた。
「気晴らしでもなれば良かった。目の方はどうなんだ?」
「…今は形を捉えることはできているようです。膜がかかったようにぼんやりとですが。」
「そうか。見えなくなることはないのかな。」
「まだわかりません。このままのこともあるし、徐々に視力がなくなる可能性もある。今は辛いことを思い出して泣いたりしないように気を使うだけです。泣くのは負担がかかりますから。」
ギデオンがしゅんとした。
そのわかりやすい感情表現に、セリオンはイラっとくる。
「体調が整ってからでいい。見舞いに会えないだろうか。」
「会えません。」
一瞬の迷いもなくセリオンが言った。
ギデオンが言葉に詰まった。
「セリオン。」
「辛いことは思い出させてはいけないんです。ご自分がその一つだという自覚はありますか?」
ギデオンが少し息を吐いて、セリオンを見た。
「そうは言っても、君たちは高位貴族だ。これから私と王宮で会うこともある。それは避けられないだろう?その度に辛いことを思い出すような、そんな関係は嫌なんだ。ちゃんと謝って、初めからやり直したい。友人から、始めたい。そうでないとまた歪な関係に、彼女が苦しい想いをする日がくるんじゃないか?」
正論を言われたようで、セリオンはムッとした。
「でも、あなたは今、忙しいのではありませんか?今日は学院はどうしたのです?」
「それを言うなら君もだろ?君が宰相たちと面会すると聞いて、この時間は抜けてきたんだ。良かった、すれ違わなくて。」
セリオンは最近、全く学院に訪れない。侍従のエイデンが伝言がかりになって手掛けている施策は進んでいるようだ。ギデオンとの連絡もエイデンを挟んで行われている。
わざわざ自分を捕まえるために学院を休んできたのか。とセリオンは舌打ちしそうだった。
きっとファリティナの様子を聞きに来たのだ。
「それで、どうなんですか?学院は。」
ファリティナを釈放してから、ギデオンは学院内でも大きく方向を変えた。
手をこまねいている場合ではない、と学院長や理事を招集し、きちんとした法務官を入れて事件を精査すると宣言した。
「アマンダは休学の願いを出してきた。他にも数人。」
ギデオンは淡々と言った。
階段から突き落とされた検証を始めると、アマンダの証言と怪我が食い違うところが出てきた。突き落とした犯人がファリティナであったのかもはっきりしないと、証言を覆してきた。
虐められていた件も、執拗に言ってきたのはファリティナ本人ではなく、彼女の取り巻きだと証言を変えた。
ファリティナの友人と言われている者たちは、確かにアマンダに注意をした事はあるが、ファリティナに頼まれたことはないと証言した。
アマンダはギデオン以外の男子生徒とも仲が良く、婚約関係にある女生徒からの不満はあった。ファリティナではなく彼女たちから態度を改めるようにとの注意は散々あったようだ。
それが全てファリティナが言わせていると勘違いしていた、と証言して、周囲を呆れさせた。
周りがみんなそんなことを真に受けるはずはない。
エミル=アクンディカと数人がアマンダの証言を誇張して吹聴したことは自供している。アマンダは彼らに乗せられたのだ。
ギデオンの寵はアマンダにあると勘違いさせ、アマンダもあわよくばギデオンと結ばれることを夢想した。
現実を知らない、若者の夢物語だ。
ファリティナ=グランキエースを悪役令嬢にして、王子と男爵令嬢が身分を超え、困難を超えて真実の愛で結ばれる物語。
エミル=アクンディカはそれを利用して、自分の力を試そうとした。
ファリティナの不幸な境遇に目をつけ、彼女なら反抗できないと、貶めることに成功した。
彼らの誤算は、セリオンがファリティナを守ったことだった。
兄妹仲が不仲だと思われていたグランキエースは、実は強固な絆で結ばれていた。
それはもう、姉弟という言葉以上の親愛がセリオンにあることを誰も知らなかった。
「休学なんかで逃げられると思ってるんですかね。浅はかな。」
「もちろん、済ませないさ。学院内の話ではないからね。きちんと法務官を差し向けている。そちらにはグランキエース伯爵から何か連絡はないか?」
「ありましたよ。こんなはずじゃなかったと。調べもせずに養女に迎えたのか、と返しましたが。」
セリオンはさらりと答えた。
ギデオンとその後ろに控えていたギデオンの侍従たちの顔の表情が無くなった。