7 毒とご褒美
ミュゲの花には、ムスクを思わせる甘ったるい芳香がある。
その芳香を香水に加工するのだが、その際、毒の成分も抽出する。
ミュゲの香りは、貴族女性が好んで使う香水だ。
嘔吐感とともに鼻腔についた香りはミュゲの香りだった。
ファリティナはドレッサーに並ぶ香水瓶を開け、間違いないことを確かめた。
毒。
ジェミニは母親から毒を渡されていたのではないか。
病弱なのは常に少量ずつの毒を飲まされていたのではないか。
病死を図るために。
なんと浅ましい。
なんと哀れな。
ジェミニが不義の子であり、母にとっては邪魔な存在だということがはっきりしてしまった。
だが、ファリティナは万が一の可能性をかけて、ジェミニのところへ運ばれる薬を鑑定に出すことにした。
家の者に知られず、鑑定に出すことはファリティナが思っていたより困難だった。
毒の鑑定をしてくれる研究機関を探した。毒に関する文献を何冊か読み込み、参考論文を上梓している機関と研究者を調べ上げた。
それぞれに手紙を書いて、鑑定をしてもらえるのか、また料金的なことを相談した。
公爵家のお抱え医師や、王宮にいる侍医団に問い合わせれば早いのはわかっているが、どこも信用できないと思っているファリティナには地道なやりかたしかなかった。
ようやく探し当てた研究者に薬を送り、今度はジェミニの診察をしてくれる医師を探す。
公爵家の侍医は信用できない。
ファリティナはジェミニを屋敷の外の公園に連れていくと口実をつけて、評判の街医者に連れて行った。
内臓にかなりの損傷があると言われ、薬の処方と生活の指導を受ける。
医者の診察も薬も高額で、ファリティナの部屋にあったいくばくかのお小遣いはすぐになくなってしまった。
ここからファリティナは金銭で頭を悩ませることになる。
裕福な公爵家だが、ファリティナの自由になる現金はほとんどない。
屋敷に内緒で研究機関に鑑定を依頼すること、ジェミニのために本物の薬を用意することは難しいことだった。
ここに来てファリティナは屋敷の中にも味方がいないことに気づいた。
公爵令嬢である自分が動くとなると、護衛や侍女がつきまとう。専属の侍女はいたが、彼女たちの雇い主は公爵家。つまりジェミニの敵となる母親だ。
怪しい動きをして報告されては敵わない。
せめて自分ではなく、ジェミニを哀れと思い協力してくれれば。
だが、今まで高慢令嬢として名を定着させたファリティナには気安く話しかける侍女などいなかった。
あっという間にひと月が過ぎ、ファリティナは領地に向かう日となった。
次男のコリンが隣国の留学に向かうため、その見送りを兼ねている。
ジェミニに後ろ髪を引かれる思いで、ファリティナはコリンと共に屋敷を出た。
「ヤダヤダ、ねえさま。ジェミニ。行く。」
ジェミニはファリティナにしがみついて離れなかった。
「ごめんね、ジェミニ。姉様、すぐに帰ってくるわ。」
「今日帰ってくる?」
「今日は無理だけど、すぐよ。」
「えほん。えほん。」
「アデルが読んでくれるわ。きちんと眠れたらご褒美をくれるの。姉様が用意した特別なご褒美よ。」
「ねえさまがいい。ねえさま。ねえさま。」
出発前の挨拶にきたコリンは、久しぶりに見た小さな弟がファリティナにすがりつく姿を呆然として見た。
ファリティナとジェミニの間にこんな絆があったとは知らなかった。
ファリティナはなんとかジェミニを宥め、その口に小さな飴玉を入れた。ジェミニの口がほころぶ。
「待っていて、ジェミニ。姉様は絶対に帰ってくるわ。この飴玉がなくなるまでにはきっと。お薬は苦くて飲めないでしょうけど、ひと舐めしたら必ずこれをお食べなさい。でも無理して飲まなくていいのよ。この前みたいに吐いてしまったらその方が辛いでしょう?」
ファリティナはそう言うと、ジェミニを強く抱きしめて、頬に額にキスをして名残惜しそうに屋敷を出た。
本当は連れて行きたい。だが、やっと熱が下がったばかりのジェミニには片道丸二日かかる馬車の移動は負担が大きすぎる。
屋敷を出るとき、セリオンが見送りにきた。
ファリティナは意外に思って、まじまじとセリオンを見てしまった。
セリオンはコリンに公爵家の人間として恥じないように勉強しろと、いくつかの助言を言って、ファリティナに向き合った。
「姉様、あなたもです。このひと月、学院に登校したのは何回ですか?しかも、執行部主催のサマーパーティを休んでまで領地に休暇に行くとは。呆れてものも言えません。いつか王子に愛想を尽かされて、婚約を破棄されますよ。」
ジェミニが熱を出して以来、ファリティナはますます学院から遠ざかっていた。
ジェミニを生かしたい、という目的を見つけたら学院などに割く時間がもったいなかった。
「ごめんなさいね、セリオン。私のせいで、肩身の狭い思いをしてるの?」
勝手なことをしているという自覚はある。セリオンは自分とは別の次元で生きている人で、今更、不出来な姉がいたからと言って、彼が責められることはないだろうが、それでも学院という狭い世界で生きづらく思っているのなら申し訳無く思った。
「あなたのせいで?そんなわけがないでしょう。あまりに学院に来ないせいで、私に姉がいたことさえ忘れられているようです。」
その返答を聞いて、ファリティナは素直に安堵した。
セリオンは心底馬鹿にしたようにファリティナを見て、
「嫌味も通じないのか。本当に馬鹿ですね。」
と悪態を吐いて背を向けた。