68 王子からの贈り物
苦笑したファリティナにディアスが言った。
「覚えていらっしゃるのではないかな。だから、これを選ばれたのでは。」
ファリティナは曖昧に笑った。
そっと手元の陶器の子犬を撫でる。
「ギデオン殿下はとても反省されていると聞く。君のこともとても気にされているから、お見舞いを下さったのではないかな。今は目が不自由だと聞かれて、こんな気の利いた贈り物を下さるくらいだ。」
なんだか雲行きがあやしい。
セリオンは眉を顰めた。
「もし、ファリティナに気持ちがあるなら、もう一度ギデオン殿下と婚約してはどうだろうか。」
「何を言いだすのですか。」
セリオンがピシャリと言った。
「よりによって第二王子?冗談じゃない。あんなに虚仮にされた相手を、何故、今更、選ばなければいけないのです。」
部屋の温度が下がった気がした。
貴様だ!貴様のその態度が、不安にさせるからだ!
百戦錬磨の将軍も圧す勢いのセリオンを好々爺の顔でなだめる。
「だがな、セリオン殿。」
「それに、姉はまだ治療中です。今は専念させるべきです。悩ませるようなことを言わないでください。」
舌鋒を鋭くするセリオンに、ファリティナがそっと手を伸ばした。
「セリオン。」
「姉様。」
威嚇するセリオンにファリティナが宥めるように声をかける。
怒りにつり上がったセリオンの目元が緩んだ。
いつか見た光景にディアスはこめかみを押さえた。
危険だ。この男は、本当に危険だ。
「本当に姉思いねぇ。公子様は。大丈夫よ。もし、ファリティナにまだその気があればってことだから。婚約中は仲睦まじい姿を何度も見ていたから。もしかしてと思って。」
ミネア夫人が明るく笑った。
ファリティナがギデオンにくっついて回る姿を何度も見かけた。
公爵一家で王宮に来ても、いつも少し離れてつまらなそうにしているファリティナが、嬉しそうに王子に話しかける様子でファリティナが好意があることはわかっていた。
幽閉したのは、誤解と手違いの結果だったと、ギデオンは甚く後悔していたと聞く。
結局、ファリティナに渡されていた囚役が毒を扱うものだとわかり、力ずくで解放したのもギデオンだった。
今更かもしれないが、ファリティナに多少なりの未練があるのではないか、とディアスは思った。
だとしたら、最良の相手だ。
この国で公爵家のファリティナに釣り合う相手は、王族か、グランキエースより力を持つ貴族、将軍職か宰相職かしかない。
将軍職も現在の宰相も、コンスル公爵家の派閥だ。すでに悪印象を植え付けた派閥を選びたくはないはずだ。
しかし、早い事、婚約者を探さなければ、ファリティナの貞操が不安だ。
焦るディアスの横でミネア夫人が、朗らかに声をかけた。
「それで。本当のところはどうなのかしら?ファリティナ。あなたさえ良ければ、私たちからも口添えできますよ。」
ファリティナは祖母を隻眼で見返して、少し息を吐いた。
「…体にも経歴にも傷があるものなど、王家に相応しくありません。」
ミネア夫人は少し目を見開いた。
それに、とファリティナは続けた。
「一度、諦めた方ですから・・・。」
そう言って、少し笑った。
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「悪役令嬢とはなんだ?」
馬車の中でセリオンは、エイデンに聞いた。
エイデンも突然振られて首を傾げた。
「あれでしょうか。今、巷間で流行っている女性向けの小説の。」
答えたのは、公爵家でファリティナ付きの侍女だったアイリスだった。
今は、レミルトン邸と公爵邸を行き来して、ファリティナの世話をしている。
巷で流行りの小説で、女性向けの恋愛と勧善懲悪的なストーリーが受けていて、人気の演目にもなっているようだ。
高位の令嬢や、有力者の令嬢が身分を笠に着て、主人公を虐げる役のことを言うらしい。
ああ、とエイデンも頷いた。
最近、家族と観に行った劇の演目に、そのようなものがあったらしい。
「姉様は、そんな小説が好みだったのか?」
「ファリティナお嬢様はたくさん読まれますから。」
読書はファリティナの趣味の一つで、雑多な種類を多読するのだそうだ。
「ですから、今回の第二王子殿下の贈り物は喜んでいらしたと思います。お好きな本も読めず、退屈していらしたと思います。」
セリオンは苛立ちを顔に出さないように努めた。
たしかに、オルゴールは盲点だった。
目の使えないファリティナは、香りや音しか楽しみがない。
もともと友人の少ないファリティナには、人と気安くおしゃべりをする習慣はない。
鳥の鳴き声や、吟遊詩人の歌声などの発想もセリオンには思い浮かばなかった。
セリオンを無理矢理、呼びつけて、ファリティナの様子を聞き出したギデオンは早速、公爵邸にオルゴールを寄越した。
送られてきてからすでに何日か過ぎている。
渡すかどうかはファリティナの様子を見て決める、と伝えたが、それでいいと連絡が来たのをいいことに放っておいたのだ。
気まぐれに鳴く鳥や、その場かぎりの歌ではなく、いつでも好きな時に、誰かの手を借りず楽しめる。
ギデオンの話題が出たのは、迂闊だった。
婚約を解消してからのほうが、ギデオンはファリティナに気を配るようになっている。
今回、ファリティナがきっぱりと断ったが、レミルトン家が推してきたとなれば王家も一考し始めるだろう。
近いうちに第二王子と会って念を押しておこう。
「演劇にもなってますし、お嬢様の体調が良くなられたら、劇場でご覧になったらいかがでしょう。」
「面白かったか?」
アイリスの言葉に、セリオンはエイデンに振った。
先日、家族で見たという感想を求めた。
「正直、男から見たら何にときめくのかよくわかりません。」
エイデンは正直に答えた。
「正直だな。お前のそういうところが好きだ。」
エイデンの無骨だが偽りのない態度がセリオンは好ましい。
エイデンが目を輝かせた。
犬のようだな、とセリオンは感想を持った。とてもわかりやすい忠誠心だ。
「アイリスは読んだことがあるのか?」
「侍女仲間の中で流行りましたから、何冊か読みました。楽な読み物ですから、あまり中身はございませんでした。よくある恋愛小説です。」
ふうん、とセリオンは頷いた。
アイリスはセリオンたちより10才ほど上だが、現実的で夢見がちなところがない。
「一冊、読んでみるか。」
「え?セリオン様がですか⁈」
エイデンが驚くと、セリオンは、当然と頷いた。
「姉様が、悪役令嬢をやれない、と言っていた。嵌められた方だというのに、なんのことだろうと思ってね。」
ああ、とエイデンは頷いた。
「アマンダとの関係のことでしょう。身分差といい、ギデオン王子殿下を挟んでの関係といい、姦しいものから見ればそう見えたのだと。」
「公爵令嬢が、男爵家の令嬢を虐める図か。なるほどね。事実ではないのに、噂が広がったのはそんな下地があったからか…。」
セリオンは考えた。
ファリティナの不名誉を覆すには、この噂以上のことを事実として見せつけなければいけない。
派手な断罪劇を、聴衆の面前で公表するような。
だが、そんなことはしたくない。
ファリティナはもう表舞台に立つことをのぞんでない。元々、そんな野心家な人ではないのだ。
穏やかで、寛容な人だ。
可憐で優しくて、派手な色や匂いはない、それなのに心温まる小さな花のような人だ。
舞台になんて立たなくていい。
自分が、彼女が毎日ふわふわと笑って過ごせる場所を作る。
だからファリティナを無理矢理、役者にするような舞台は潰しておこう。
身分が下だから弱いとか、正しいなんて、馬鹿馬鹿しい。
高貴な生まれにはそれだけ責務と束縛があり、与えられた座に相応しい思慮深さを強要される。
それは他者からみると、涼しい顔に見えて、その実、血が滲むような思いをしているのだ。
妬むだけで、他者を慮る思考力もない者には再教育が必要だ。
セリオンはエイデンに言った。
「姉様が市井で遊んでいたという、噂。少し調べて欲しい。」




