67 籠の中の鳥
ファリティナはぼんやりと籠の鳥を眺めている。
いつ来ても熱心に眺めているので、よほど気に入ったのかと、セリオンは言った。
「…昔、鳥の骨格標本の絵を写した事があったの…。」
ファリティナは鳥を見ながらぼんやりと答えた。
骨格標本を写す。
セリオンは思わず口を押さえた。
何のために、というツッコミは入れないでおこう。とりあえず話を聞こう、とセリオンは促した。
「その時にどうしてこんなに小骨が多いのかしら、と思ったのだけど、動きがチョコチョコしてるからなのね…。」
いや、ちがう。
セリオンは心の中で突っ込んだ。
細かいことはわからないが、ちがうと思う。だけど、その惚けた視点も面白いので、そのままにしておいた。
しかし、骨格標本とは…。
「姉様はあまり部屋から出てこないと思っていたら、そんなことをしていたんですね。」
「…あなたは、描いたことないの?骨格標本。」
「ありません。」
あら?とファリティナは首を傾げた。
「どうして?」
「逆に、どうして描こうと思ってんですか?骨格標本。」
ファリティナは暫く目を閉じて考え込んだ。
「…暇だったから、かしら。」
ブハ、とセリオンが吹いた。
「あら?笑うこと?なんだか傷つくわ。」
「暇だからって、なぜ、骨格標本⁈しかも鳥の!もしかして人間とかも描いたんですか⁈」
「面倒だから、途中で止めたわ。」
途中まで描いたのか!セリオンは笑いを堪えながら肩を震わせた。
ファリティナが口を尖らせた。
「もう。失礼な人。」
「すみません。あまりにも意外で。だから姉様は絵が上手いんですね。」
「私たち兄弟で絵の才能がないのはあなただけよ。セリオン画伯。」
ふふふ、とセリオンは楽しそうに笑っている。
ファリティナは少し睨みながら、ふ、とまた鳥に目を移した。
「きれいね…。」
連翹のような黄色い羽に、白い下羽根が見え隠れする。
繊細で優美な動きも、自然が作り出す鮮やかな色も、存在自体がとても美しい、とファリティナは感心していた。
「姉様。」
セリオンは隣に座って、ファリティナの下ろしたままの髪を撫でた。
スルスルと滑り心地のいい感触に思わず目を細めた。
薄い金色の髪はグランキエースに代々引き継がれる色。
セリオンのうねりが混じる髪質と違い、真っ直ぐな髪はこのレミルトンの祖父に似ているのだろう。
ファリティナは間違いなく、武家レミルトンと内政のグランキエースの鎹となる存在の女性。
「もうすぐ片がつきそうです。もうしばらく、ここにご厄介になりますが、何か不自由はないですか?」
面倒を見てくれている祖母も侍女たちもとても親切だ、ファリティナは言っていた。
きっとそうなのだろう。
ファリティナの気の抜けたのんびりした顔を見れば分かる。
ファリティナに悪意を強いるものはなく、尊重してくれているのだろう。
だが、祖母のミネア夫人は、そののんびりした様子が退屈なのではないかと気を揉んでいるようだった。
セリオンとて、ファリティナの全てを知っているわけではない。
むしろ同じ屋敷で暮らしていたのに、どう生活していたのか全く知らない。
王宮でこっそり観察していたミネア夫人の方が、ファリティナの食の好みを把握しているくらいだ。
王宮で出されるデザートは、レモンのカスタードパイが好きだと知っていて、2日に一度はお茶の時間に出してくれるらしい。
公爵家では食事時に集まる習慣はなく、部屋を行き来するほどの交流もない。
セリオンは、学院に入るまでファリティナがどのように時間を過ごしてきたか、全く知らない。
まさか、暇にあかせて骨格標本を写し取っていたとは…。
ファリティナの字や絵は綺麗で、本のページをそのまま写し取ったように綺麗に描くんだ、とギデオンから聞かされたばかりだから、余計納得が言った。
しかも、できるなら欲しいと言った。
あの野郎。とセリオンは心の中で毒づいた。
あれだけファリティナを追い詰めておいて、厚顔無恥な。ファリティナのものを髪一本でも渡したくないが、この預かりものを渡せば、何かしらの返礼が必要に違いない。
ファリティナはゆるゆると頭を振った。
「とても、親切にしてくださるわ。怖いくらい。」
「ですが、夫人は姉様にもっと元気になってほしいのですよ。」
「私、元気に見えないかしら?」
目を巻かれているので一目で病人だと分かる。体の方はだいぶ復調して、包帯が大袈裟に見えるくらいだ。
「どうすればいいの?歌でも歌う?」
「歌えたんですか?」
「習ったことはないわ。」
じゃあ、なぜ言った?とセリオンは心の中で言って笑みを深めた。
「歌を習いますか?何か手習いでもしたら元気になるかもしれませんよ。」
「セリオンは元気になってほしいの?」
「もちろんです。」
ファリティナはじっとセリオンを見た。
「…ごめんね。今は、まだ、無理だわ。」
喪ったものが大きすぎた。
あんなに精一杯の愛情を注いで、形振り構わず抵抗しても、大事なものは守りきれなかった。
愛したい、愛されたいと願い、みっともない自分を演じて見せても、結局この手には何も残らない。
悪役令嬢だから。
そう理由をつけたほうが、楽だった。
せめてもの人型があったほうが、楽だった。
その型もなくなれば、どんな自分を演じればいいのかわからない。
残ったのは透明で空っぽな自分。
愛されることもなく、愛しても残らない、ファリティナという容れ物。
みんな、口を揃えてそんなつもりじゃなかったと言う。
そう言われても戸惑うばかりだ。
どう振り返っても、自分には何も残っていない。
振り払われた手は痛い。
だからもう、伸ばす気は無い。
セリオンは優しく抱きしめた。
「…公爵家は、どうなるの?」
ファリティナが囁くように聞いた。
「宰相様が本格的に鉱石横領について動き出しました。私からの告発ということにして、公爵代理は地位剥奪の上、蟄居。ガヴル子爵は最悪死罪です。」
「…随分、重いのね。」
「鉱石だけでなく、一緒に流れた硝石が、南辺境の紛争を激化させてます。叛逆罪です。」
ガヴル子爵が素直に罪を認め、交渉材料を提示できれば命はあるだろう。
「子爵家が、他国に鉱石を流せるかしら・・・。」
全く、この人は。
セリオンは嘆息した。
あんなに惚けた性格なのに、どうしてこういうことには聡いのだろう。
「ええ。それで宰相様が引き取ってくださいました。子爵家よりもっと大きな家が働いていたとなると、グランキエースに色仕掛けで没落を狙ってきたとも考えられます。内紛になる可能性もある。国情安定のために派閥ごと潰すしか無くなりますからね。」
どちらにしろ、グランキエースは王国に残される。
セリオンは国外に出なくても良くなった。
そして、自分は。
自分が思っていたより、国外に逃げることを楽しみにしていたのかもしれない、とファリティナは思った。
身分も名前も捨てて、新しく生まれ変わることを望んでいたのかもしれない。
その夢が潰えたように感じるからこんなにがっかりしているのだろう。
「…ごめんなさい。」
「どうして、謝るんですか?」
「あなたは頑張ってくれてるのに…。私は。」
「あなたは怪我人です。治すことに集中しなければ。」
「…怪我が治れば、公爵令嬢に戻るのね。」
「だけど、もう、悪役令嬢をやれる自信がないわ…。」
「悪役令嬢?」
「・・・・・。」
ファリティナは何も言わず、セリオンに凭れた。
その儚げな様子に何かしなければ、と焦る。
「そうだ、預かりものがあるんです。」
セリオンは侍従にギデオンからの預かりものを持って来させた。
恭しく箱を持ってくると、一緒にディアスと夫人が入室してきた。
「相変わらず、仲が良いわね。あなたたちは。」
寄り添っていた二人を見て、ミネア夫人が朗らかに笑った。
ディアスは苦いものを食べたような顔をしている。
ギデオンからの贈り物はオルゴールだった。
手のひらに乗るくらいの小さな箱の上に子犬が2匹。取っ手を回すと音楽に合わせて、楽しげに追いかけっこをする。
「可愛い!」
ミネア夫人が喜ぶと、ギデオン王子殿下からです、と侍従が言った。
夫人とレミルトン卿が顔を見合わせた。
ふ、とファリティナが何か思い出したように笑った。
「どうしました?」
「…いいえ。この曲。」
「曲?」
「殿下と婚約して、初めて踊った曲だわ。」
婚約の披露宴で踊るため、特別に練習した。
「…殿下は忘れてらっしゃると思うけど。」
そう言って、儚げに微笑んだ。