6 失笑
母が不貞を犯したと気づいて、ファリティナは思い出した。
あの悪夢。
投獄の理由は同級生に対する度を越した虐めであったが、断罪の理由は王家に対する裏切りだった。
当主代理の母が愛人と共謀し、領地からの生産物を秘匿して王国に収めなかったこと。
愛人の子爵を介して外国に販売のルートを持っていたことだった。
それを理由に一族は全員毒杯を賜ったと記憶している。
ファリティナは最後だと、毒杯を差し出した看守が言い渡した。
最後、ということは、ジェミニも、セアラも、鬼才と謳われたセリオンも毒杯を飲んだのだろうか。
セアラの双子の兄であるジュリアンも、セリオンのすぐ下の弟のコリンも。
コリンは来月には隣国に留学する。
そのまま戻らなければ毒杯は免れたのだろうか。
あれは夢だと思いながら、その可能性がなくはない、と思い直す。どこか現実味のある夢だった。
男爵令嬢に対する物理的な嫌がらせは冤罪だったが、度重なる口撃は、自分ならやりかねない。
もしかして、予知夢なのかもしれない。あれは夢で、現実ではない話だが可能性はなくはない。
だとしたら、違う道筋を作っておくべきだ。
まず調べるべきは、グランキエースを取り巻く状況だった。
だが急に動き出すと、母やセリオンに知られるだろう。母に不貞を犯したことを問い詰めて、嵐を巻き起こしたところで何が残るだろう。
セリオンやジェミニにとっては実の母親だ。自分を始めとする子供達にとっては未だ頼るべき保護者だ。追い詰めて、惨状をもたらしても困難に陥るのは自分たち。
そこからの落とし所を探さなければいけない。
かといって、ファリティナには相談するべき大人がいないことに気づいた。
グランキエース家の先先代の祖父母はすでに他界しており、父の兄弟とは疎遠になっている。それも、メイドだった母を後妻に入れたためだった。
ファリティナとセリオンは年齢にして一歳しか離れていない。ファリティナの母が亡くなって半年も経たず後妻に入った母の腹に赤ん坊がいた。それがセリオンだった。
父は病床に就いたファリティナの母を裏切っていたのだ。
父にそっくりなセリオンの顔を見れば否定出来ず、また高位貴族が愛人を持つことが珍しくないので、ファリティナの祖父母からの絶縁で収まったが、三男と次女の双子が生まれたあたりから、父の兄弟は公爵家に寄り付かなくなった。
原因ははっきりわからないが、おそらく母の実家となるホランド家に連なる者たちを重用しすぎて、古参の派閥家の反発を招いたのだろう。
だが、その冷え切った関係に今更頼ろうという気にはファリティナはならなかった。
「そう考えると随分な淫売ね、あの母は。」
ファリティナは眠れず、暗い部屋の中で呟いた。
父だけでなくガヴル子爵。もしかすると、その間もいたのかもしれない。
たしかに、母は男好きする容姿をしている。
子どもの目から見るとわからないが、欲の対象とすると高嶺だ。そしてその色気はセリオンと三男のジュリアンが色濃く引き継いでいる。
未だ婚約者を立てないセリオンだが、学院に入る前から子女の間では噂の貴公子だ。
微笑まない、氷の貴公子として。
よくもまあ、あんなに辛辣な言葉と人をゴミのように見下す高慢な人間に熱が上げられるものだと、姉のファリティナは思っていた。
そして、その美貌を引き継いだ兄弟を内心、羨ましくも思っていた。
あの美貌と色気があれば、容易く婚約者の気がひけるのに、と。
ファリティナは失笑した。
なんと男の見る目がないのだろう。
今夜のあの態度で、ギデオンがいかにファリティナを安く見積もっているかよくわかった。
結局、グランキエースの結納金などがついても、自分の値打ちはあの程度なのだ。
ファリティナは次の長期休みに領地に赴くことにした。
頼りになる人も見つからないままだが、不安になるものを一つずつ消していこうと思ったのだ。
執事長からは不審がられ、セリオンからは長期休み中に開かれる学院のサマーパーティを欠席することで嫌味を言われたが、ファリティナは気にしないことにした。
気がかりはジェミニだけだった。
できれば領地に連れて行きたい、と思っていた矢先、原因不明の熱で意識が朦朧としたことがあった。
ファリティナは学院も休み、つきっきりで看病した。
生きて。どうか、生きて。
ファリティナはジェミニの手を握り、ひたすらに祈り続けた。熱は2日続き、下がった時はジェミニは生気を失ったように青白くなっていた。
熱だけでなく下痢もひどく、ファリティナは侍女が止めるのも関わらず、ジェミニの体を清めた。
ジェミニは薬を殊の外嫌がった。たしかに子どもに飲ませるにしては色は毒々しく、甘ったるい匂いの飲みにくそうな薬だ。だが、せっかく母親の公爵が手配した薬だ、と侍女たちはなんとか飲ませようとしていた。
そんなに飲みにくいのなら、何か工夫できないか、とファリティナも悩んでいた。
ジェミニが嫌がる薬は滋養強壮のもので、通常の食事後となっている。ならば食事と共に口に入れられないか、とファリティナは考え、味見をしてみることにした。
ジェミニは口に入れるのも嫌がるので、本来なら食事後ひと匙ずつのところが、毎日ひと舐めすればいい方だ。
ファリティナはひと匙、舐めて吹き出した。
「これは飲めないわ。」
ねえ、そうでしょ、姉様!
いつになく大人びた口調でジェミニが言い募った。よほど腹に据えかねていたのだろう。
その日、ファリティナはひどい下痢をした。嘔吐感もあり、耐えきれず体を起こしたときに鼻腔についた匂いに覚えがあった。