59 儚さ
話すのが難しいなら、話さなくてもいいのよ。
嘘を吐かれるのは嫌なの。
ファリティナが言った言葉。
セリオンは毎日、レミルトン家にファリティナに会いに行っている。
ファリティナがレミルトン邸に引き取られた、その日、セリオンはコンスル公爵とその派閥の一人である宰相と面会し、状況は一変した。
ファリティナは、状況がどうなっているのか、セリオンに尋ねた。逡巡するセリオンにファリティナが言った言葉だ。
ファリティナのまわりで嘘を吐いた人間はいなかった。
ただ無関心だっただけだ。
だからこそ、ファリティナは怒れなかった。
嘘を吐き、欺いたのならファリティナは正当な怒りをぶつけられただろう。
だから、ファリティナにとっては全て嘘だった。
公爵令嬢として敬われること。
王子の婚約者として扱われること。
どれも空っぽな人型に対しての気遣いであり、ファリティナ自身を気遣って、心配してくれたものではなかった。
私自身が嘘みたいな存在だものね。
呟いた言葉が悲しい。
むしろ嘘であってほしいと、みんな願ったのね、きっと。だから私はこんなに薄っぺらいのだわ。
そんなことはない、と否定するのは簡単だった。だが、否定したところでファリティナは信じない。
現に今までそうだったからだ。
だからセリオンはファリティナを抱きしめた。
「そんなに儚いことを言わないでください…。」
悲しそうに、寂しそうに言うと、ファリティナは不思議そうにセリオンを見た。
「セリオン、あなた…。」
セリオンはファリティナを安心させるように優しく微笑んだ。
「いつからそんな人間らしい憂い顔ができるようになったの?」
「私をなんだと思ってるんですか。」
相変わらずファリティナは惚けている。セリオンにとってはそこがたまらなく可愛い。
踏み込ませない冷たさを持つセリオンに、これほどの軽口を言い合えるのもファリティナだけだ。
「たしかに今まで辛辣なことしか言ってこなかったですね。」
セリオンは苦笑した。
「だけど、今は誰よりも大切に思ってます。」
ほんとですよ。とセリオンは抱きしめたまま、甘く笑った。
「姉様は、どちらがいいですか?前のように冷たい私と、今の優しい私と。」
ギデオンのようにわかりやすい、包容力溢れる優しさだけが魅力じゃない。
セリオンのように普段は氷のように冷たいのに、時折、寛いだように微笑むのも、たまらない魅力なのだ。と、侍従のエイデンに熱弁され、そんなものなのかと思った。
ファリティナはどう思うだろう。
「どちらもセリオンよ。」
ファリティナはセリオンに抱きしめられながら言った。
「美しくて、賢くて、私とは違う世界にいる。冷たくても優しくても、私の弟には変わりないわ。」
寛容だな、とセリオンは思った。
ファリティナは寛容だ。それは彼女の美徳だ。
だけど、それが今までの生い立ちでできた諦観からきたものなら、悲しい。
ファリティナは何でも許してしまう。
格下の身分からの侮りも、約束された愛情を受け取れないことにも。
のんびりとした態度とは裏腹に、ファリティナは卑屈だ。
その卑屈さは、心許したものにしか出さない。
そんな懐かない孤高の猫を膝に乗せるような楽しみを、セリオンはファリティナに見出してしまった。
ファリティナと会っていた応接室の扉が、ノックされた。
ディアスは恋人のように寄り添う二人を見て眉を顰めた。
「君たちはちょっと距離が近いんじゃないか。」
「ええ、姉弟ですから。」
「今は隣に座ってますからね。」
惚けているファリティナとは違い、セリオンは間違いなくディアスの苦言が分かっているはずだ。
「…おまたせしたね。行こうか。セリオン殿。」
ディアスは渋面でセリオンを睨むと、促した。
「では、行って参りますね。姉様。」
優しく笑いかけて、セリオンはファリティナに呼びかけた。
「今は、いろいろ思い悩まないでください。怪我を治すことに専念しましょう。早く治して、コリンたちに会いに行きましょう。ジュリアンに必ず会いに行くと約束したんです。きっとあの子達はあなたの元気な姿を待っている。」
「セリオン、あなた、学院には行ってるの?」
このところ、セリオンは益々忙しそうだ。
毎日、レミルトン邸を訪れるが、その時間は不定期で、先代レミルトン卿や現伯爵とも出かけている。
「課題は出してますよ。」
ふふ。とセリオンはいたずらっぽく言った。
「そうそう、姉様は休学にしてあります。」
「まあ。てっきり退学になったと思っていたわ。」
「行きたくないのなら、中退しても構いませんよ。ですが、もう少し落ち着いてから考えましょう。」
ファリティナが拘束されてからまだ3カ月もたっていない。随分、昔のような感覚だった。
「私は、いいけど。あなたはちゃんと卒業しないと…。」
「大丈夫ですよ。今、忙しいだけで。落ち着いたら、そのうちに。」
そのぼかした言い方にファリティナの愁眉が陰った。
「私では、心配ですか?」
セリオンが言うと、ファリティナはじっと見つめて、やがてゆるゆると頭を振った。
「あなたに任せるわ。」
そう儚げに微笑む。
セリオンは満足そうに美しく笑い、ファリティナに近づいて、頬にキスをした。