53 狼藉
セリオンは学院の一室でギデオンと会っていた。
ファリティナが囚役として辰砂を削っていたことは、ギデオンの口から国王たちに報告された。
辰砂掘削や粉砕は健康を害する危険を伴う。囚人であっても長時間の作業はさせない。
それだというのにファリティナは誰にも監督されることなく、何の説明も受けず、このふた月、作業させられていた。
ファリティナ自身が気をつけて口当てや直接肌に触れない工夫をしていたことでわかるように、辰砂を蓄積毒として緩慢な死を狙った可能性がある。
アーベナルドの牢獄といい、審議されないまま囚人と扱われたことといい、この国の盾と言われる四大公爵家の子女に対して間違いでは済まされない悪意を感じる。
ギデオンはそう訴えてファリティナの釈放を刑務省に命じた。
同時に誰がファリティナをそのような厳罰に処したのか説明を求めた。
第二王子と言えどまだ学生であり、実務に携わらないギデオンが声を上げたところでどこまで官僚たちが応えるか分からなかった。
ファリティナの立場を1番に守らなければいけないはずの、グランキエース公爵の主が動かないのだ。
家ごと、派閥ごと彼女を切り捨てようと思われていても仕方ない。
幸いにも、返答はあった。
学院生からの告発状を深刻と捉え、またギデオン第二王子の側近たちに危害を加えたと考え厳罰を処した。と返答があった。
その一連の話を聞いて、セリオンは軽く息を吐いた。
「…レミルトンではない、と。」
え?とギデオンは意外そうな顔をした。
「わからなかったんですか?首謀はレミルトンじゃない。」
「え?じゃあ誰が・・・・・・。」
知りませんよ、とセリオンはつまらなそうに返した。
「ど、どうしてレミルトンではないと。」
ギデオンが聞くと、セリオンは睥睨して言った。
「自分で言って気づかなかったんですか?」
「そんな虫を見るような目で見るなよ!」
「別に見てませんよ。」
見てただろ!と噛み付くギデオンにセリオンは、ふん、と鼻を鳴らした。
「王宮警護はレミルトン派閥だが、王都警らはアクンディカ派閥。アーベナルドは王都警らの管轄です。」
刑務は軍閥であるコンスル公爵家が取り仕切っている。
コンスル公爵派閥の中にも派閥があり、主なもので三つ。
一つ目は王宮警護を担当するレミルトン家派閥。
二つ目は王都警らを担当するアクンディカ家派閥。
三つ目が、辺境警備のビューロ家派閥。
担当区分と派閥は必ずしも一致しない。定期的に行われる将軍交代の際に、担当も変更される。
派閥は担当区分ではなく、血統によるものだ。
「ファリティナを厳罰に処すようにとの申し送りは、拘束された時に行われた。王都警ら組織の中だったからこそ、アーベナルドの牢獄だったわけです。王宮に移されたのは予想外だったはず。ただそこでも申し送りがあったため囚人として扱われた。辰砂粉砕の罰は一般的な罰ではある。室内で厳罰を与えるにはちょうどいい罰ですね。」
「レミルトンが拘束したわけじゃないと?」
「拘束したのは告訴状に応えた結果です。告訴状の提出者が刑務に通じるコンスル派であることは間違いないでしょうが、それがレミルトン家のものとは限らない。」
セリオンは少しだけ眉を寄せて視線を落とした。
「レミルトン家の要請を受けて行われた可能性はあるが、何のために命まで晒させたのかわからないですね。コンスル公爵派全体が関わっているとも考えられますが、今の宰相様はビューロ家派閥の出身です。宰相室は私を取り込もうとしていますから下手にファリティナを危険に晒して、宰相室の印象を悪くするようなことはしないでしょう。私を嚇すためにその手を使うのなら、ファリティナを拘束しただけで充分だ。」
「レミルトン家はコンスル公爵派閥の中でも大家です。私怨はあるでしょうが高位令嬢を冤罪で殺して、派閥全体をグランキエースから恨まれるようなことはしないと思いますよ。グランキエース自体を潰す気ならまだしも。」
「・・・・・・。」
ギデオンのなんとも言えない呆れたような顔を、セリオンは冷たく見た。
「何ですか、その間抜け顔。」
「・・・・・・完全に王族だと思ってないな。」
「そんなもの誰だって表面だけですよ。敬愛なんて。というより、派閥も頭に入れてないんですか?そんなんでよく王族を名乗れますね。」
ううう、とギデオンは赤い顔をした。
「し、知ってたよ!軍閥の派閥くらい。」
「知識として知っていてもそれがどう人を動かすのかまで考えなかったってことですか。バカですね。せっかくの情報の持ち腐れだ。」
セリオンが立ち上がった。
「ちょっと待って!コンスル公爵派閥はグランキエースを潰す気なのか⁈どうして?」
セリオンは、肩を竦めた。
「それくらい、自分で考えてください。」
「私の頭じゃ考えつかないから聞いてるんだ。」
「はあ、善良が売りだけのお坊ちゃんだけある。」
「嫌味はいいから!」
「派閥なんてものは権力の奪い合いだ。誰がどんな企みをしてるかなんてわからない。」
「・・・・・・コンスル公爵家ではないということか?」
「さあ。」
「セリオン!」
「本当に知らないですよ。知ったところで私たちには身を守るすべもない。」
やけに冷静にセリオンは言った。
「だけど…。」
「誰かの企みに引きずられるくらいなら、こちらのやりたいようにやるだけだ。」
「何を企んでる?」
「教えるとでも?」
「セリオン!私は味方だろう!?」
「・・・・・・」
「冷たい目で見るなよ。せめて何か言ってくれ!」
コンコン、と部屋がノックされてエイデン=セド=シカファがするりと入ってきた。
「お話し中、申し訳ございません、殿下。急ぎ、公子にお伝えしたいことがございます。」
ギデオンが頷くとエイデンはセリオンに近づき何事か囁いた。
セリオンの顔色が変わった。
「・・・・・・姉様は、大丈夫か?」
「重傷です。眼球に傷がつきました。」
ギデオンの耳が言葉を拾ってセリオンたちに近づいた。
「ファリティナ嬢に何かあったのか?」
二人の顔色から良くないことだとわかる。
セリオンはいつか見たように、怒りで顔を白くしていた。
「・・・・・・公爵代理から、暴力を振るわれました。」
「公爵、代理?」
「母です。」
ギデオンは信じられない気持ちでセリオンと侍従のエイデンを見た。
エイデンは緊張で顔色が悪く、セリオンも抜けるような白い顔に怒気だけがメラメラと燃立つようだ。
「火急のことですので、このまま退室させていただきます。」
セリオンは言葉少なに頭を下げ、学院を後にした。
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ファリティナは自室のベッドにいた。
部屋はカーテンが閉められ、まだ日があるというのに暗い。
セリオンがファリティナの部屋を訪れた時、照明を抑えられた薄暗い部屋で、ちょうど侍女に支えられてお茶を飲んでいた。
「姉様。」
セリオンが駆け寄りベッドに近づくと、ファリティナは音がする方に顔を向けた。
「セリオンね。」
ファリティナの両眼は包帯で巻かれ、頬にも布が当てられていた。
セリオンは息を飲んだ。
王宮からファリティナを連れ帰り、この日で3日目。
辰砂を押収しギデオンが国王陛下にファリティナへの所業を訴え出てから、すぐに釈放が認められた。
屋敷に戻ってからのファリティナは、大人しく部屋にこもっていた。
屋敷に到着してすぐに公爵代理の母親に面会を申し入れたが、翌日まで待たされた上、いかにも不満そうな様子だった。
ファリティナはセリオンと相談し、なるべく顔を合わせないように反省を表しているようにと、部屋にこもっていたが、医師の診察を受け部屋に戻る途中、母親と出くわした。
ファリティナを見かけた母親は鬼の形相で近づき、持っていた扇で激しく打ち付けた。
扇が折れるほどの強打だったが、興奮した母親はそのままファリティナの顔面を打ち、返すとまた反対側の顔面を打ったらしい。
その際、折れた扇の先が眼球にあたった。
ファリティナは勢いで態勢を崩したが、そんな彼女を母親はさらに打ち付けようと手を伸ばし体を押した。
場所が悪く階段の端で起こったために、ファリティナはそのまま階段の踊り場まで転げ落ちてしまった。
ファリティナの怪我は右目の眼球に傷がついたこと。また、階段を落ちたための全身への打撲。
眼球を動かすのを防ぐために両眼ともに包帯が巻かれた。
「申し訳ありません。」
セリオンの声が震えていた。
ベッドに腰掛けてそっとファリティナの手を取った。
ファリティナは頭を振った。
そして小さく吐息を漏らした。
「あなたのせいじゃないわ。」
もっとうまくやればこんなふうにファリティナを傷つけられることはなかったのに。
あのまま王宮に幽閉されていれば、こんな怪我は負わなかったのだろうか。
うまく行く方法なんてあったのだろうか。
後悔と虚無感がセリオンを襲う。
生まれて初めて守りたいと思った人なのに、何一つ守れない。
鬼才と言われて持ち上げられただけで、結局はただの15歳のガキだ。
力がほしい。
ファリティナを誰にも傷つけられない、力が。
だけど、手に入らない。
セリオンはファリティナの頭をそっと胸に押し付けた。
ファリティナは柔らかく、華奢だ。
こんな小さな体で、力など何もない張りぼての公爵家の精一杯の見栄を使って、自分たち弟妹を守ろうとしてくれた。
その健気さに、心打たれない筈がない。
「この国を、出ましょう。」
ファリティナに聞こえるように、小さく言った。
ファリティナは何も答えなかった。
少しだけ、セリオンの胸に体を傾けただけだった。