52 断罪
グランキエース公爵代理は金切り声を上げた。
「どういうことなの!セリオン!」
セリオンは取り乱す女性をつまらなそうに見遣った。
「分かりませんでしたか?」
母親は紅潮した頬で肩を怒らせている。
「鉱石と硝石土砂の横領を王家に報告する、と言ったんです。なんのことかご存知ですよね。」
「分からないわ!」
ふうん、とセリオンは足を組んだ。
「大人しく認めて引っ込んでくれれば、あなたの情夫だけに罪を被ってもらおうと思ったんですが、そうもいかないようですね。」
「な、なんのこと…。」
「国が決めた公定価格を崩して、鉱石を売るのは違法ですよ。それを正規の手続きもせず外国に売るのは立派な国家叛逆罪だ。」
母親の顔は白くなった。
「しかも、その売買利益が公爵家の金庫に入らない。全てガヴル子爵領とその周辺、外国に流す交易地の領に利益が流れている。公爵家を公爵家当主が裏切ること自体、倫理に反するが家内のことで収めればいい。問題は公定価格を下回る売買を許していることだ。」
「今更、ガヴル子爵とあなたの関係をどうこう言ったりしません。あなたの夫は亡くなっているし、相手が既婚者なのは向こうの問題。だけど国の盾と言われる公爵領の資産で私腹を肥やすのは許されない。愛人として援助するなら可愛いものだ。これは度を越している。それくらいわかるでしょう。」
醜悪だ。
セリオンはため息も出ないくらい呆れている。
「どうして今なの⁈パレルトとの婚約を間近にして、こんなこと表に出したら破談になってしまうわ!そうしたらグランキエースは…!」
「今だからですよ。パレルトに失礼だ。大事な孫娘の幸福を願って私に嫁がせようと言うのに、グランキエースに瑕疵があってはいけない。」
「それなら。ファリティナは、どうしてファリティナを戻したの!ファリティナの社交界での評判は最悪だわ!」
「ファリティナの件とこの件は関係ない。」
セリオンは冷たく切り捨てた。
「ファリティナは嵌められただけだ。悪事を犯していない。」
「そ、そんなはずないわ!城下のことはありえないけど、学院内のことは本当だったから捕まったのでしょう⁈あなただって、あの男爵令嬢を伯爵家の養女に推したじゃない!」
「調べたんですか?」
母親の金切り声とは反対に、セリオンは怖いくらい静かに答えた。
「ファリティナが何をしたか、あなたは調べたんですか?それで確証を得たと?」
「し、調べられるわけないじゃない。そんなもの…。」
「そんなことはない。公爵家の権限を使って、学院に通ってる派閥の子息を呼び寄せるなりできたはずだ。もし、ファリティナの罪状が事実だとしても、同じ手口で黒を白にできる。それが権力ってものでしょう。」
セリオンの口調はあくまで静かだ。
追い詰めてはいけない。
戒めているために平静を保っている。
それにしても、この女の腹から自分が出てきたとは考えたくもない。
愚かだ、とつくづく思う。
父の趣味を疑う。
将軍の娘であるファリティナの母親の方が、絶対に良かった筈だ。
この女にあるのは容色だけだ。
それを武器にのし上がったくせに、手に入れたものを使いこなすこともできないとは。
単なる強欲だ。
「違うっていうの⁈じゃあなぜ、ガゼリの件を伯爵家に…」
「ガゼリの権益も鉱石の価格も、王家との契約です。」
「王家、ひいてはこの国全体の利益に与するものだ。気に入らなかったからといって覆すことはできない。」
そんなこともわからないのか、とセリオンは内心舌打ちした。
「でも、でも、ガゼリは…旦那様が長く力を注いでいたのに。それを手放すなんて。」
「どの口が言うんだ。」
セリオンはつい憎々しげに言ってしまった。
裏切り者のくせになんて厚かましい。
怒りのままに怒鳴りそうになるのを、一旦目を閉じて抑える。
「これは温情ですよ、お母様。王家に報告する前にあなたに言ったんだ。報告する時までに愛人とちゃんと整理しておいてください。」
「何もおかしくないわ!ゼノ山脈で取れ過ぎた鉱石の使い道は外に出すしかなかったのよ!パレルト公爵に相談すれば、きっときちんと報告できるわ!」
やっぱり繋がっていたか。
セリオンは確信した。
きっと鉱山の生産量をあげ、外国に流す案を持ってきたのはパレルト公爵だ。
母親がガヴル子爵と懇ろになるのが先か計画が先かわからないが、パレルト公爵が図った情夫を使った罠だ。
グランキエースごと取り込み、ゼノ山脈からの利益を使って肥大化するつもりなのだろう。
勝手にしろ。
セリオンは心の中で吐き捨てた。
ファリティナに死の恐怖を与えた時点でセリオンはこの国を見限った。
掻き集めた資産は目標には程遠いが、皇国の兄弟が学校を不自由なく卒業できるには十分だ。
あとは自分とファリティナの生活の保障だが、研究者の人脈を使えば何かしらの仕事を得られるだろう。
ファリティナは自分のところに帰ってきた。
あとはタイミングだけだ。
パレルトとの婚約が成していようが、グランキエース派閥がどうなろうが知ったことではない。
ファリティナの体調が整い次第国外へ出奔する。
それまでに火種に次々と火をつけ、それらが焦土と化すのを外から見てやる。
横領の件は王家に報告して、処分が決まるまでにさっさと出ていくつもりだ。もし出国が上手くいかなければ、報告した時点でパレルトとは一度破談になるように話を持って行く。
だが、パレルトはこちらに温情を見せるだろう。
立て直すための後ろ盾に名乗りをあげる筈だ。
それはそのまま受け取っておいて、王家への賠償金の借り入れとしてゼノ山脈を売り払い、即金を手に入れられれば出国の際の積み増しができる。
だが、そこまでの時間はかけるつもりはない。
明日にでもファリティナには医師の診断を受けてもらう。
体調に不具合がなければ王家に報告の後、ファリティナの領地蟄居を理由にグランキエース領まで行き、そこから留まらず国境を抜ける。
国が、この国の統治者たちが、柱であったグランキエース公爵家を見捨てるというのなら、その前に自分たちから捨てる。
自分たちはまだ若い。
生き延びさえすればどんな場所でも笑える。
ファリティナ、あなたさえいれば。
「ファリティナは領地に蟄居させます。ここにいては、悪目立ちですからね。」
「そうよ…それがいいわ。」
「問題はあなただ。当主代理の身ながら、この国を裏切った。」
「そんな!鉱石はグランキエース領のものよ!どうしようといい筈だわ。」
「私から何度も説明しません。何がおかしいのかはこの先、代替わりの後ゆっくり理解してもらいます。今は愛人と状況を整理しておいてください。」
「ファリティナのせいだわ・・・・・・」
夫人のつぶやきに、セリオンは足を止めた。
「あの子が捕まりさえしなければ・・・・・・。あんなつまらない事で。男爵家なんかに負けるから・・・・・・。」
「言ったでしょう。この件とファリティナの件は関係ない。」
「じゃあ、何故突然!王家に報告なんてしなくていいじゃない!取り過ぎてしまっただけよ!今から減らせばいいのよ!」
「そういう問題じゃない。」
「王家の顔を立てなきゃいけないのは、ファリティナが婚約を反故にしたからよ!あの子さえ変なことをしなければ!噂といい、ジェミニのことといい。余計なことばかり!」
セリオンは、自分の顔から血が引くのが分かった。
怒りが腹の底から生まれる。
「ジェミニの、どこが余計なことだって?」
出した声は今までより一段と低い。
だが興奮している母親には、セリオンの変化は分からなかったらしい。
「あの子は体が弱かったのにサイリウムなんかに連れて行くから。無理矢理外に出したりするから。ファリティナが死なせてしまったようなものよ!」
セリオンの背中がカッとなった。
ドン、と手近にあったテーブルを叩きつけた。
「黙れ。」
絶対に言わせない、そんなこと。
「私たちが、何も知らないと思ってるんですか。」
セリオンの怒りの形相にハッと母親は黙った。
この愚かな女の横っ面を引っ叩いてやりたい。
絶対に許さない。
この女が引き起こした事でファリティナがどれだけ心を痛めたか。
声を押し殺し、泣いたのか。
口で説いてもこの愚鈍にはわからないだろう。
だから説明しない。
その代わり、かつての栄華を後悔と変えてやる。
自慢の息子の手で。
セリオンは足音高く、部屋を出て行った。